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【MSA深層秘録FILE】美乳のために、わが子をロバに預けた!? 奇想天外・乳母の歴史

「MSA深層秘録FILES」は、
世界各地に残された未解決事件、歴史の謎、説明不能現象を追うミステリー考察シリーズである。


旦那様の欲の犠牲となった母体と乳母の誕生

どの時代も「美」は人間を狂わせてきた。
古代エジプトの女王は美を保つためにロバのミルクを浴び、ヨーロッパの貴婦人たちは美しい胸を守るために、自らの子を他人や動物に育てさせた。
乳母という存在は、女性の美と欲望と社会の価値観が生み出した、奇妙にして必然の制度だった。
実は乳母の存在はかなり古い。
古代ギリシアの最古の文明で今から3000年前のエーゲ文明の粘土板にも女奴隷の中に乳母がいたことが判明している。

日本の歴史にも乳母はかなり古くから登場している。
『日本書紀』神代下の別説に、「彦火火出見尊が婦人を集め、乳母(ちおも)、湯母、飯かみ、湯人を決め、養育し、これが世の中で乳母を決め、子を育てることの始まりである」とある。
彦火火出見尊とは初代天皇である神武天皇の祖父らしい。

そんな昔から乳母は存在していたらしい。
身分の高い女性は子育てのような雑事を自分ですべきではないという考えや、他のしっかりとした女性に任せたほうが教育上も良いとの考えから乳母が存在していたらしいが、本当に理由はそれだけだろうか?

乳母との契約についての記録は、古代エジブトのファラオの時代にも確認できる。
古代ギリシアやローマの比較的裕福な母親たちは乳母を雇っていた。

18世紀のヨーロッパでは、裕福な母親たちが自分の産んだ赤ん坊を他人のお乳で育てるのは珍しいことではなかった。
理由はその時代、文化によってそれぞれだが、中世ヨーロッパではズバリ、愛する女性、つまり妻の裸体の美を損なわれることを嫌ったからだと言われている。
古代から多くの女性の裸体をモデルにした彫刻はあるが、産後、授乳後の裸体をモデルにした彫刻が皆無なのは暗に意味するものがあるように思う。

美乳にこだわったフランスには、13世紀から乳母を斡旋したり、乳母達の履歴を詳細に調べるための政府機関が多くあった。
なぜそのような機関があったのか?
身元がしっかりした信用できる乳母に!
というのももちろんあったが実は乳母選定には今では考えられない、呆然とさせる秘事があったことが判明している。

謎すぎる乳母選定の根底にある迷信

中世ヨーロッパでは黒死病(ペスト)の流行や、梅毒の流行など不治の病が度々猛威をふるっていた。そのため、雇い入れた乳母の乳に病原菌が潜んでいる危険も確かにあった。
慎重になるのは当たり前だが、それだけではなかった。
なんと19世紀の人々は、乳母の持つ身体的特徴や道徳観が母乳を通して子供に移ると信じていた。
つまり、もし盗癖のある乳母を雇えば、泥棒を育てる事になると思われていたのだ。

19世紀中頃にはフランスのある大臣が、娼婦は自分の子供を母乳で育てるべきではないとまで公言していた。もちろん、それは子供が彼女達の貞操観念を受け継いで堕落してしまうのを恐れてのことだったのだ。
このように、多くの危険性があると考えられていたにもかかわらず、非常にたくさんの女性が子育てのために見知らぬ女性に自分の子供を預けていたのだ。
そんなに乳母が信用できないなら、自分で育てれば?と疑問がよぎるが、当時の女性は子育てよりも旦那の欲の優先を強要された。それこそが乳母を雇い入れる大きな動機となっていたのだ。
カトリック教会も父親が不義密通を犯すよりは、子供に乳母をつけたほうが良いという意見だった。そもそも結婚という考え方も、あちこちに手を出す男性の底無しの欲望に足枷にする意味で生み出されたものなのだ。
古代から、母乳を与えると美乳を保つことは難しいとされ、時によっては膨らみ、時には縮んでしまう。
また、授乳の結果、跡が残り、形が崩れたり、乳首が割れて炎症を起こし、一生消えることのない傷となると考えられていた。
乳母はその美を保つために必要不可欠な存在とされていたようだ。
ただ、母親も乳母も母乳をあげられない時期があった。

中世ヨーロッパでは梅毒が大流行した時期があった。
フランスで子供を育てるために動物が使われるようになったのは、16世紀に流行した梅毒が初めてヨーロッパを襲った時だった。
梅毒にかかった赤ちゃんは頻繁に捨てられ、間もなく捨て子を預かる病院の乳母も病気にかかっていると信じられるようになった。
そこで赤ちゃんに固定食を食べさせるよりも、動物達の乳を与えるほうが良いのではと考えられるようになった。

ミッシェル・ド・モンテーニュは1570年「村の女性が子供に母乳をあげられない時にヤギを連れてくるのはよくある光景だ」と書いている。
ところが、ここで大問題が発生!
当時は動物も含め、母乳を通して道徳心や倫理観が子供に移ると信じられていたため、動物の選択はとても重要な決断だったのだ。
羊は従順すぎるし、メス狼は孤児達に良い影響を与えないと考えられていた。
豚も社会から嫌われていた。
ヨーロッパの人々が下した決断は、ヤギか、よく言えば優しそうで、悪く言えば、アホっぽいロバだった。

しかし、おそらく富裕層はロバ、庶民はヤギだったのではないかと思う。
なぜなら、中世ではヤギは悪魔として扱われることもあったからだ。
ヨーロッパの中世後期に魔女狩りというのが流行した時代、魔女は土曜日の夜にホウキやヤギの背に乗って宴会に集まってくるとされていた。
あの有名なゴヤが描いた「魔女の集会」には巨大で恐ろしげなヤギが描かれていた。
おそらく、ロバよりも格安だったのではないかと思う。
そのロバは?というと実は結構昔から重宝されていた歴史があったりする。

乳母の役割を奪うロバ


ロバのミルクは、古代エジプト以来、消化と美容の目的で馴染みのあるものだった。
古代エジプトの女王クレオパトラは、肌の美しさと若さを保つためにロバのミルクを浴びたと言われてる。伝説によると、彼女の毎日の入浴に必要な量のミルクを提供するには、700頭以上のロバが必要だったようだ。

ローマ皇帝ネロの2番目の妻であるポッパエアサビーナ(30〜65歳)の場合もそうで、ロバのミルクは顔のしわを取り除き、肌をより繊細にし、その白さを保つと一般に信じられ、それはよく知られている事実だった。
当時の富裕層の女性はそれで顔を1日7回洗う習慣があり、その数を厳密に守っていたとか。実際、ポッパエアサビーナはロバのミルクだけで準備された座浴をしてたとか。
また、ナポレオンの妹であるポーリーヌボナパルト(1780–1825)も、彼女の肌の健康管理にロバミルクを使用してたと判明している。
古くからそういった歴史はあったようで、ヒポクラテス(紀元前460年から370年)は、ロバミルクの薬用使用について最初に書いたものがあり、そこには、中毒、発熱、感染症、浮腫、創傷治癒、鼻血、肝臓障害など、さまざまな症状に処方されたとある。

ローマ時代には、ロバのミルクが認められた治療法だった。
プリニウス・プリニウス(西暦23〜79年)は、百科事典の著作であるナチュラリスヒストリアで、その健康上の利点、つまり、発熱、倦怠感、眼精疲労、歯の衰弱、顔のしわ、中毒、潰瘍、喘息、および特定の婦人科の問題と戦うことについて広範囲に書いている。

実はロバミルクの総組成に関する公表されたデータは、牛乳、羊乳、山羊乳と比較した場合、乳糖、タンパク質、灰分レベルが母乳に近いことを確認されている。そんなロバミルクの美容効果は現在の化粧品でも用いられているようだ。
ロバミルクは、子供たちが汚らわしい野獣のようになる可能性が低いとされ、よくわからないが道徳面からもヤギよりも高く評価されていた。
多くの著名な医者たちは、一般にロバの乳は病気に効き目があり、毒消し効果があるというヒポクラテスやガレノスの言葉を繰り返した。
ガレノスはロバの乳が腐るのを恐れて、ロバを患者のベッドのすぐ近くに連れてきたという。ロバによる授乳は、驚いたことに、その後低温殺菌されたミルクや信頼性の高い粉ミルクが世の中に出てきたにもかかわらず、フランスの養育院で20世紀初頭まで行われていた。

こうして人類は、母乳にまつわる恐れや欲望を背景に、時に他人の乳を、時に動物の乳をも借りながら子を育ててきた。
その営みの根底にあったのは、「”愛する妻の美”をいつまでも保ちたい」という終わりなき問いだった。

乳母の歴史を辿ると、そこには単なる育児の外注を超えた、人類社会の欲望と価値観の縮図が見えてくる。
「母の乳を誰が与えるのか」――この単純な問いの背後には、
・夫の支配欲、
・社会が求める女性の美、
・病や迷信への恐れ、
が複雑に絡み合い、迷走しているようさえ見える。
現代では人工ミルクや哺乳瓶が普及し、乳母という存在はほとんど姿を消した。しかし、美の定義は、形を変えつつようだ。かつて「美を守るために母乳を避ける」ことが当然とされた時代から、母となった身体そのものを祝福し、アーティストがマタニティーヌードを発表するまでに価値観は大きく転換している。
ただ、それを美であると男性が受け入れているのかというば、まだまだ時間が必要なように筆者は思えてならない。
母性と美を切り離して考えた過去と、母性そのものを美とする現在――乳母の歴史は、その変化を浮き彫りにする鏡なのかもしれない。


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