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【エッセイ】満員電車で女幽霊に遭遇した話―四谷怪談はなぜ女性に支持されたのか?


朝の満員電車で端の席が取れるのは稀である。
壁があり、体を預けて寝られるので競争率が高い。しかし、昨日の朝はその席に座る幸運に恵まれた。
私は通勤用リュックを抱えながら、電車の心地よい揺れに身を任せて眠りに入る。しかし、この日はそうはならなかった。

しばらくすると、鼻や目のあたりがモゾモゾとこそばゆい感覚に襲われたのだ。たまらず顔をしかめながら目を開けると、黒髪が垂れ下がっていたのだ。端席のデメリットは、壁によりかかって立っている女性の髪が時々攻撃してくることだ。
私はギョッとして見上げると、ストレートの漆黒の長い髪が私のテリトリーに侵入していたのだ。
美しい。
綺麗ではあるが、今は美術鑑賞に浸る気はない。
一刻も早く寝て嫌な仕事に備えなくてはならないのだ。朝で気が立っていた私はその女性に「当たってますよ」と気づかせるためにサッと払いのけた。漆黒の髪がゆっさりと波打つとまた元に戻ってくる。
ますますイライラする。
女性は気づかない。
長い髪だと先を払い除けたくらいでは伝達されないのか。
私はもう一度払いのけたときだった。大きく黒髪が揺れたかと思うと、肩越しにその黒髪の間からギョロっとした眼を覗かせた。


その女性の、怒りの色を帯びた視線に凍りつく。なぜ迷惑を被った私に、痴漢に遭ったような怒りの視線を向けてくるのだと理不尽さに疑問が湧くと同時に、ある別の疑問が頭をよぎった。

それは”女幽霊の長い黒髪の恐怖”っていつからだろう?
ということだった。

女幽霊といえば、白装束にだらりと垂れ下がる長い黒髪。
その黒髪の合間から覗く鋭い眼光だろう。
このイメージは江戸時代にはすでに定着していたようだ。怨霊や物の怪といったものは古くは平安時代からあったが、それらは幽霊というよりも妖怪として恐れられた存在であったようだ。


1750年ごろ、円山応挙が描いた幽霊図が現存している。
それを見ると、確かに長い黒髪に白装束、そして足がむけて徐々にフェードアウトして足が消えているように見える。

典型的な女幽霊だが、違和感がある。
それは表情だ。
幽霊図の女幽霊の顔は実に穏やかで、誰かをずっと待っているような表情が印象的である。
そういう意味では今回私にむけられた怒りの色は全く見てとれない。

では”待っている女幽霊”から怨念に変わったのはいつ頃の話だろうか。
それは1825年、鶴屋南北が発表した歌舞伎『東海道四谷怪談』の可能性が高い。ここで少し話の概要を簡単にまとめておく。

物語の中心人物は、田宮家に婿入りして身分の足がかりを得た浪人、田宮伊右衛門と、田宮家の娘で病弱で気立ての良い妻の於岩。
伊右衛門は出世欲が強く、金と身分のためなら手段を選ばない。
やがて於岩との結婚が重荷に感じ始める。
伊右衛門は金持ちの家の娘 お梅 に目をつけるが、於岩がいるため再婚はできない。
伊右衛門は、表向きは「妻のため」と称し体調回復を装いながら、毒薬を飲ます。ある日、衰弱した於岩が鏡を覗き込むと、そこには黒髪が抜け落ち、顔が崩れ化け物と化した自身の姿に悲鳴をあげる。
於岩は自身が”女として終わった”と悟り、夫に捨てられる恐怖に取り憑かれ狂乱してしまう。
そして狂死する。
伊右衛門は、於岩の死を隠すため死体を戸板に打ち付け川に流す。
於岩の父も口封じのために殺害。
そして伊右衛門は田宮家を乗っ取ってしまう。
しかし、その後伊右衛門の周りに変事が次々と起こる。
崩れ落ちた顔と黒髪の怨念が仄暗い片隅にゆらめく。
伊右衛門は於岩の怨霊に怯え、幻影と現実の区別がつかなくなり、家の者を惨殺する。最後は追い詰められた伊右衛門は無惨な最後を迎える。

怪談話の古典的な名作ではあるが、一つ疑問が浮かぶ。
伊右衛門は婿養子。サザエさんで言うと「マスオさん」だ。
於岩は「サザエさん」で実家。
立場的には於岩が上で、追い出されるのは婿養子である伊右衛門の方だと思われる。
なぜ於岩が狂い死するのか。
現在では於岩が伊右衛門への純愛への裏切りに焦点を当てているが、原作では、実は恋路は色が薄い。
江戸時代当時、女性の社会的立場はほぼない。

不義(不倫)の罪は現在よりも江戸時代の方が重罪だったことをご存知だろうか。しかも定義は「既婚女性が夫以外の男と関係を持つ」と定義されており、男が妾や遊女と関係を持つことは何らお咎めはなかった。
不義を働いた女性は重い罪と判断されれば斬首だった。
つまり女性は家内にいて家系の安泰を図ることこそ最大の務めだった時代なのだ。
また、家族で一番権力があるのは舅であるが、四谷怪談では物語の初めの頃に早々に伊右衛門に殺害される。
これで伊右衛門は田宮家の実権を握り、また生計も握ると言う絶対的存在までのし上がっているのだ。
舅は婿養子の監督役であり、離縁状を出せる立場でもある。
その舅がいなくなれば、於岩からは離縁できないので、追い出されることもなくなる。
この状況で顔が崩れて唯一の武器である美貌も失ったとすれば……。


これこそが江戸時代の女性の観客を恐怖のどん底に叩き落とした。
それは極々身近な、あり得る話だったからだ。
社会的地位がどん底だった女性にとって”あの世”で復讐する自由を得ると言うのは逆に快感だったようだ。
伊右衛門のような野郎に、”ザマァ”感を当てつけるなど当時の社会では御法度。だからこそ、四谷怪談はそういう意味で女性に人気があったようだ。
逆に男性にとっては女の怨念がモロに怖かったに違いない。
この歌舞伎『東海道四谷怪談』が人気を博した時代は、人権の概念もなければ、司法も穴だらけ。
その代わり、噂、世間体、祟りで倫理観を補っていたようだ。
ただし、幽体という概念で好き放題復讐する怪談話の歌舞伎が流行ることに当時幕府は良い顔をしなかったようだ。
なぜなら、想像上とはいえ、恐怖という権力を持たせることで当時の支配階層を危うくすると考えられていたからである。
そういう意味でもこの四谷怪談はよくある世間体と社会風刺的な要素も備わっていたようだ。

ところでこの四谷怪談、全て作り話というわけではなさそうだ。
東京都の文化財データベースによると、於岩は初代・田宮又左衛門の娘で、寛永13年(1636)没とある。養子(婿養子)の伊右衛門(伊左衛門)とともに家勢を再興。
屋敷内の稲荷を篤く信仰し、そこから「於岩稲荷」として信仰が集まったとある。
また、文政10年=1827年の幕府の地誌編纂のために町々から出された資料群 『文政町方書上』に興味深い記述がある。

「四谷左門町の田宮家で、婿養子の伊右衛門が不義・重婚など「道を外した振る舞い」をする。妻(岩=お岩)がそれを知って狂乱・失踪(あるいは狂死)する。その後、関係者が次々に非業の死を遂げるなど “祟り”が連鎖し、田宮家で18人の死亡者あり。屋敷跡に移った住人の代でも怪異が続く。稲荷を勧請し、供養・追善をして怪異が鎮まる」

これは歌舞伎:四谷怪談が人気を博した時代以降に成立した資料のため、怪談話が史実として記載された可能性はあるだろう。
ただ、於岩稲荷として信仰が集まっていたというからには、そこで怪奇現象が実際に起こっていたかもしれない。

「……次は、四ツ谷、四ツ谷です。お降りの方は……」

遠くの方から電車のアナウンスが聞こえてくる。いつの間にか漆黒の長い髪の女性は消えていた。ゾッとして悪寒が走る。その直後に「いやいや彼女は実在していた」と自分ツッコミに笑みが溢れる。
私は、今度四谷怪談の発祥の地をLeicaQ2monochromeと歩いてみようと思いながら電車を降りた。

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