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【自己紹介】浅田一樹 ランナー/登山/音楽/グルメ/旅行

こんにちは。

浅田一樹(あさだ かずき)と申します。

趣味はランニングや登山など体を動かすことや、
グルメ巡り、そして野球観戦です。

自然の中でリフレッシュしたり、
球場で熱気を感じたり、
気になるお店を探して新しい味に出会ったり…

そんな時間が私のエネルギーになっています。


このnoteでは、趣味を通じて感じたことや
日々のちょっとした気づきを、
気軽に書いていけたらと思っています。

読んでくださった方の生活に、
少しでも楽しさや発見をお届けできれば嬉しいです。


まずは私の自己紹介をさせていただきます。


プロフィール

出身:愛知県名古屋市近郊 (現在は都内在住)
高校:大成高等学校 卒業
大学:名古屋学院大学 経済学部 経済学科 卒業
就職:2017年4月より新卒で物流会社に就職
   労務総務、配車、営業を経験

現在:2025年5月より広告代理店へ転職し
   営業を担当

幼少期

私の幼少期はありがたいことに、
おじいちゃん・おばあちゃんや親戚、
近所の人など多くの方から可愛がられて育ちました。

いつも下の名前で”かずくん”と呼ばれ、
その呼びかけに対して笑顔で応えていました。


幼少期に振りまいていた笑顔が下の写真になります。

小学校低学年時代の私です

私には3つ上の姉がおり、とてもパワフルでした。

その影響か、私は表に出ることが苦手で、
常に母親の後ろに隠れていました。

幼稚園〜小学校時代はありがたいことに
習い事を複数経験しました。


●習っていた習い事 ※習った順
ピアノ・エレクトーン、水泳、英会話
サッカー、そろばん、習字


一番初めに習い始めたピアノは母親がピアノの先生をしていた影響で、
姉に続き私も習っていました。

家にピアノがあり母親や姉が常に何かしら弾いてい他ので、
私の家では音楽漬けの生活でした。

余談ですが、父親は学生時代
バンドを組みギターをやっていたそうです。
ある意味、音楽一家です。

エレクトーンの発表会では6人で前に出て演奏し、
心臓バクバクでとても緊張していました。


しかし、ピアノの発表会では1人での演奏でした。


舞台の上にピアノがポツンと置かれ、
順番が回ってきたら
舞台がライトアップされたところへ行き、
お辞儀をして椅子の高さを調節して座る。


その間に心臓があり得ない程の
ビートを刻んでいたのを今でも覚えています。


その時、両親は今か今かとビデオカメラを構えており、
静まり返った会場で演奏したのを今でも覚えています。


因みにエレクトーンの発表会では
パイレーツ・オブ・カリビアンの曲を演奏し、
その後みんなでもやしラーメンを食べたのが1番の思い出です。


最終的にピアノ・エレクトーンは手先が不器用だったこともあり、
小学2年までの3年間で現役を退きました。


その反面、体を動かすことがとても好きで、
水泳は始めた当初、顔に水がかかるだけで嫌でしたが
選手コースに行くまで上達し、とても楽しくやっていました。

サッカーについてはピアノと同じく足元が器用ではなかったので、
小学3年までの3年間で現役を引退しました。

水泳やサッカーの習い事の無い日は、
帰宅後すぐに小学校のグラウンドに戻り野球に夢中になっていました。

バッティングは上手くありませんでしたが、
水泳をやっていたからか肩が強く、
野球教室に行っている友達よりも強肩でした。
※他の習い事に関してはまたどこかで書き連ねられたらと思います。


中高時代

中高時代は姉の影響を受けて、
姉と同じ陸上部の走り高跳びに熱中しました。

身長は当時170cm代と体格にも恵まれ、
自己ベストは高校2年で185cmでした。
※大学では193cmに記録更新


部活の仲間や顧問の先生にも恵まれ、
辛い時もありましたが楽しく部活動をしていました。

勉強面では先生にうまく立ち回り、成績は平均的でした。

勉強そっちのけで部活動に熱中していた私は、
中学時代にモテ期がやってきました。


そう、ハーレムです。


私が走り高跳びの練習をしていた場所は校舎のすぐ手前にあり、
吹奏楽部や文化部が窓から練習を見ていました。

跳躍に成功すると拍手が起こる。
まさにチヤホヤされていました。

その結果、美術室に呼び出されたり、
家にいきなり電話がかかってきたり、
家のポストに手紙が入っていたりなどなど…

いろいろありましたが、
複数人の女子から大人気でした。

しかし、私は別の吹奏楽部の女性のことが
好きだったため全て断りました。


その女性へは中学3年の2学期終業式後に告白しフラれ、

高校1年の夏に再度アタックしフラれ、

高校3年の春に再々アタックをして、OKをもらい付き合いました。


彼女とは大学進学と同時にお別れしましたが、
今でもとてもいい思い出として私の中に残っています。


大学時代

今更ですが実家が自営業で、
日用品の販売・卸・配送をしています。
そして私は将来、父の後を継ぐと決めています。

なので高校3年の春頃までは理系専攻で
天文学部に興味がありましたが、
冷静に将来を考え文転をして経済学部に入学しました。

これまでまともに勉学に励んでこなかったので、
高い授業料を払ってもらっている親のためにも
大学ではしっかり学ぶと決めていました。


そこで頑張ったことは卒業論文です。


お題は「 日本における女性の活躍と働き方 」
について書きました。

データや資料を集めるために、
総務省統計局や帝国データバンクなどに問い合わせ、
ゼミの先生に何度も確認してもらいながら
PowerPointとWordにまとめ上げ完成させました。

私の苦手な発表もありましたので友達に手伝ってもらい、
何度も納得のいくまで発表の練習をして、
本番まで自信をつけていました。

私の大学での発表方法は予選・決勝の2段階であり、
学長賞が一番トップの称号でしたので
私はそこしか見ていませんでした。

無難に予選を通過し、
後日行われたホールでの全体発表当日は
母親も見にきていました。

自分の発表の出番が近づく度に、
幼少期のピアノ発表会の様に心臓がバクバクしていました。


しかしこれまで積み重ねてきた練習があったので、


「 自信を持て!」


そう自分を鼓舞し、発表に臨みました。

練習通り無難に発表を進め、
自分でも驚くくらいに落ち着いていたのを
今でも鮮明に覚えています。

発表時間は10分間だったのですが、
終わりの挨拶と同時に終了のアラームが鳴る
ブザービーターで発表を終えました。

手応えも十分にありこれは学長賞は貰ったと、そのとき確信しました。


しかし、僕と同じく卒論に命を燃やす人がもう1人いました。


その人はルックスもよくスポーツもできて
学長からチヤホヤされ、注目を集めていました。

ライバルの発表は順調に進み無難に終わるかと思った矢先、
制限時間のアラームが鳴った時点で
まだ発表が終わっていなかったのです。

1分近く時間をオーバーして発表を終え、
本人も悔しい顔をしていました。


そんな中、私は心の中で勝ちを確信しました。


結果発表が始まり、3位までが発表された時点で
私とライバルだけが残りました。

2位の発表の時が来て、
私は学長賞だと確信していたので椅子に深く腰をかけていました。


しかし名前を呼ばれたのは


「 浅田 一樹君 」!!


ん!?


耳を疑わざるを得ませんでした。


結果は学長賞ではなく学部長賞。

名前を呼ばれて登壇しなければいけませんでしたが、
何が起こったのか理解できなかったので、
私はしばらく椅子に座っていました。

※後から分かったのですが、
その人は国立大学へ再入学する為に
卒業論文での成果が必要で、
両親と学長とが仲が良かったのです。


しかし、負けは負けです。
ライバルとも最後はともに讃え合い、卒業後も頑張ろうと誓いました。

発表を見にきていた母親は
私の頑張った姿に感動して、涙していました。

最後は母親と一緒にゼミの先生にこれまでの感謝を伝えました。
結果は2位でしたが、それ以上に自分の成長と親孝行ができた。

そんな1日になりました。


最後に

大学時代には、今も趣味の一つになっている登山との出会いや、
幼少期に習っていた水泳を活かしてスイミングスクールのコーチの
アルバイトを4年間やっていました。

音楽を耳コピし口笛を吹いているうちに上達し
口笛国際コンクールに出場した話などなど…

まだまだ書き連ねたいことが沢山あります。


それらは次回以降に投稿をしますので、またご覧いただけたら幸いです。

ここまでご拝読いただき、ありがとうございました。
これからよろしくお願いいたします。

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