【読書記録】AIから見たこの世界のかたち
『クララとお日さま』カズオ・イシグロ
読了。(ネタバレすれすれくらいまで書いていますので、未読の方はご注意下さい。)
内容をざっくり
舞台は今からそう遠くはない近未来の、イギリスではない英語圏の国。AIを搭載した人型アンドロイド、AF(人工親友)であるクララは、病弱な少女ジョジーの家に買い取られる。実はその家族には秘密があって。。。
“揺らぐ”感じがとても良い仕事をしてる
同著者の『日の名残り』をこの前に読んで、展開がスローすぎる感じがして途中で断念してしまったんだけれど、主人公の人物描写がすごく好きだったので、今回は思いっきり違う舞台(近未来的、ディストピア的)の作品を読んでみることにした。
本作も、主人公クララの一人称での語り形式で展開していく。クララ本人の人柄もさることながら、AFの目に映る生身の人間たちの人物描写が秀逸。特に、人間たちには人工物であるクララにはない感情・情緒の予測不可能な“揺らぎ”があって、それをクララが繊細に読み取る場面が随所に散りばめられていて、引き込まれる。
クララは人工物で、型落ち寸前のモデルだけれど、同機種と比べて学習能力が高く珍しいAF、という設定になっている。AFたちはショーウィンドウのある店舗で販売されていて、最新モデルを欲しがる顧客(子供たち)が当然多い。しかし、ジョジーとその母親がそれでも一度店で出会って会話したクララが良いと思って、店舗の奥に引っ込められていたクララを後日探し求めて買いに来る場面など、「機種によって性能は紋切り型で同じ」ではなく「最新モデルに旧モデルは敵わない」わけでもないところが印象的。ここにも、一種の“揺らぎ”がある感じがしてよかった。
クララの“揺らぎ”と達観の背景にあるもの
クララは、AFという設定だからあくまでニュートラルな、達観した性格のように描かれている。一方で、ジョジーの回復を祈ってある(宗教的とも言える)行動をとったり、目の前で起こった現象に対してどう反応すべきか迷ったりなど、人間のような心の動きを見せたりする。いずれもニュートラルから外れる、クララの“揺らぎ”の要素だと思う。感情の揺らぎというより、判断の揺らぎみたいな感じがして、生身の人間たちの揺らぎとは少し違っている気がする。
クララのその“揺らぎ”の背景には、ジョジーへの献身的な愛があると感じる。基本的に自分を買い取ってくれた家族に従順で人間に対して差し出がましい言動はしないAFだけれど、ジョジーのために他の人間にかなり強めの頼み事をして助けてもらったり、他の人間からの要求に応えず自分の身に危険が迫ってもギリギリまでジョジーの様子を観て動かなかったりと、ジョジーのためなら自分のスタンダードを捨てて一線を超えていくスタンスがある。
ジョジーのため、が強固にベースにあるからこそ、普通の人間なら自我が邪魔して躊躇うことにも踏み切れる。だからこそ、この物語のエンディングの場面でもクララはあくまでニュートラルで、晴々しく感じてすらいるような気がする(ネタバレになってしまうので詳細は割愛)。
まとめ
読み終えて、物悲しいエンディングなのに不思議とあたたかい気持ちが残る作品だった。作者の人物描写の巧みさ、特にクララというAFの目から捉えた人間の心の動きの描き方が秀逸だからだと感じた。また、本作品では単純に「AIと人間」という対比だけではなく、他にも対比されているものがありそれもかなり重要なテーマではあるけれど、それについての考察はまた機会があれば記してみたいと思う。
