愛国心はどこで作られるのか——アタッチメント、国家システム、ナショナリズム、公民教育、近代文学

愛国心はどこで作られるのか
——アタッチメント、国家システム、ナショナリズム、公民教育、近代文学
「国家は大きな社会システムなのだから、よし悪しはあっても、好き嫌いの対象ではない」
この見方には、重要な正しさがある。
国家は人間ではない。喜んだり、悲しんだり、国民を愛したりする心理的主体ではない。政府、法、官僚制、司法、軍事、警察、徴税、社会保障、情報管理装置などが組み合わされた制度複合体である。
国家を愛するか嫌うかよりも、国家の制度が何を実現し、誰に利益と負担を配分し、どのような強制力を行使しているかを評価する方が合理的である。
しかし、国家を住民票や運転免許のような単なる行政システムとして扱うだけでは、別の問題が残る。
なぜ近代国家は、国民に「愛」を求めてきたのか。
なぜ国家への帰属は、国旗、国歌、式典、納税、奉仕、軍務など、観測可能な行為として示すことを要求されるのか。
この問いは、「愛国心は善か悪か」という道徳問題ではない。
問題は、
土地、人、言語、文化への愛着が、どのように国民的同一化へ編成され、さらに国家への協力、負担、服従、犠牲へ変換されるのか
である。
1 国家は社会そのものではなく、人格でもない

まず国家を社会全体と同一視してはならない。
人間の生活再生産は、国家だけで行われるのではない。家族、地域、企業、市場、宗教、学校、自治組織、国際交易も、食料、生産、扶養、教育、分配、世代交代を担っている。
国家の特徴は、社会の全活動を自ら生産することではない。
一定の管轄領域において、法、行政、徴税、司法、組織的強制力、記録・分類技術を通じ、社会諸部分の関係に最終的な拘束力を主張する点にある。国家は、複数主体の活動を法的・制度的に束ねる高位の政治的ホロンである。
したがって、本稿で「国家が愛国心を作る」と書く場合も、国家が一つの意思を持ち、国民の心を設計するという意味ではない。
実際に国民形成へ関与するのは、
中央政府、地方政府、官僚制、軍、学校、教師、出版社、新聞社、作家、宗教団体、政党、社会運動、地域共同体、企業、家族、読者、視聴者
である。
これらの目的は一致しない。
政府は動員能力を求め、出版社は販売を求め、教師は教育的価値を求め、地域社会は独自の記憶を維持し、作家は国家の物語を批判し、読者は別の意味を読み取る。
したがって、より正確には、
国家機構を中心とする制度・市場・文化・運動の複合体が、既存の愛着を競合的に選別し、国民的な対象へ再配置する
と考えるべきである。
2 「国」と「愛国心」を分解する
日本語の「国」は、異なる対象を一語で覆っている。
郷土は、生活してきた土地、風景、地域、人間関係である。
国民は、自分たちを共通の政治共同体に属すると考える人々である。
国家は、法、行政、軍事、警察、徴税などを担う制度機構である。
政府は、その時点で国家機構を運用する政権である。
文化は、言語、習慣、文学、芸術、宗教、歴史的記憶などである。
これらは重なるが、同一ではない。
郷土 ≠ 国民 ≠ 国家 ≠ 政府 ≠ 政権
「国を愛せ」という言葉の政治的な力は、この違いを曖昧にするところから生じる。
土地への愛着が、国民への忠誠へ移される。
国民への忠誠が、国家機構への服従へ移される。
国家への服従が、現政府への支持へ移される。
最後には、特定政策への反対が「国を愛していない証拠」とされる。
同じ分解を「愛国心」の側にも適用しなければならない。
日本語の愛国心は、少なくとも次の五つを一語で覆っている。
第一は、土地・文化・生活様式への情動的愛着である。
第二は、自分を国民共同体の一員とみなす国民的同一化である。
第三は、国家制度を正当な統治主体として認める制度信頼・正統性認識である。
第四は、納税、遵法、公共奉仕、再分配などの公共的協力である。
第五は、国旗、国歌、軍務、忠誠宣誓などの象徴的・身体的な忠誠行動である。
これらは相関することがあるが、同じではない。
日本文化には強い愛着があるが、日本政府を信頼しない人はいる。
国家制度を正当と認めて税を払うが、国への愛情を感じない人もいる。
国民的同一化は強いが、福祉や再分配には反対する人もいる。
国歌を歌うが内面では無関心な人もいる。
したがって、愛国心を単一の量として扱うことはできない。
3 パトリオティズムとナショナリズム
日本語の「愛国心」は、主としてパトリオティズムとナショナリズムを混在させている。
パトリオティズムは、土地、人々、文化、制度、生活様式などを含む「自分たちの国」への愛着や特別な配慮を指す。
ナショナリズムは、ある集団をネイションとみなし、その自治、統一、アイデンティティ、政治的自己決定を獲得・維持しようとする思想・運動である。アントニー・D・スミスは、ナショナリズムを、現実または潜在的なネイションとみなされた集団の自治・統一・アイデンティティを追求するイデオロギー運動として定義している。
国家主義は、国家機構の維持・強化・目的を、個人や他の共同体より優先させる思想である。
したがって、三者は分析上区別できる。
しかし、三つの完全に独立した箱ではない。
穏やかなパトリオティズムが政治的自己決定要求へ移れば、ナショナリズムに接近する。
国民の自己決定が国家目的の絶対化へ進めば、国家主義へ接近する。
逆に、憲法秩序や公共制度への愛着が、政府への批判を支える場合もある。
この区別を、「善いパトリオティズム」と「悪いナショナリズム」という道徳的二分法へ変えてはならない。
マイケル・ビリッグは『凡庸なナショナリズム』で、安定した国民国家では、ナショナリズムが極端な政治運動としてだけでなく、日常の言葉、ニュース、天気予報、スポーツ、地図、目立たない国旗などによって反復されていると論じた。国民的帰属は、特別な式典のときだけ現れるのではなく、普段は意識されない背景として絶えず「旗印を付けられている」。
つまり愛国心を考えるには、熱いナショナリズムだけでなく、日常的で目立たない国民化も見なければならない。
4 愛着とは何か――アタッチメント理論からの限定
ここで「既存の愛着」という語を、さらに分解する必要がある。
心理学でいう attachment、アタッチメントは、単なる好意や親しみの総称ではない。
アタッチメント理論が主として扱ってきたのは、乳幼児と養育者、成人の親密な相手など、特定の他者との持続的な結合である。
そこには、
危険や不安の際に接近を求めること、
相手を安全な避難所として利用すること、
相手の存在を探索の安全基地とすること、
分離によって苦痛を感じること
が含まれる。
社会的ベースライン理論では、人間の脳は、信頼できる他者へのアクセスを通常状態として見込み、その存在によって危険への対処コストや必要な努力を低減すると考えられている。親しい相手との接触や手をつなぐことが、脅威下の主観的苦痛や一部の神経反応を弱めることも報告されている。
しかし、この知見から、
養育者へのアタッチメント
↓
国家への愛国心
という直線を引くことはできない。
国土は養育者ではない。
国旗は母親ではない。
国家機構は安全基地ではない。
愛国心は、乳幼児アタッチメントを国の大きさまで拡張したものではない。
ただし、人間が対人関係の中で発達させた、
既知の対象から安心を得ること、
喪失を苦痛として経験すること、
保護対象への接近や防衛を行うこと、
記憶と自己を特定対象へ結びつけること
が、場所、文化、象徴、集団との関係へ部分的に転用される可能性はある。
したがって国民的愛着は、
対人アタッチメントと一部の機能を共有しながら、場所記憶、文化的象徴、集団同一化、制度的反復によって構成される二次的な結合
と考えるのが妥当である。
5 場所愛着――故郷は単なる地点ではない
環境心理学では、人と場所との情動的・認知的・行動的な結合を place attachment、場所愛着と呼ぶ。
スキャネルとギフォードは、場所愛着を、次の三次元で整理している。
誰が愛着を持つのか。
どのような心理過程が関与するのか。
どのような場所の物理的・社会的側面へ結びつくのか。
場所愛着には、個人だけでなく家族や集団も関与し、感情だけでなく、記憶、認知、自己同一性、行動が含まれる。対象も家、町、風景、地域共同体、聖地などに分かれる。
故郷とは、地理的座標ではない。
幼少期の記憶、家族の物語、学校で習った地域史、方言、食事、祭礼、音、匂い、災害経験、人間関係が重なった場所である。
場所は、自伝的記憶の索引となり、過去の自分と現在の自分を結ぶ。
そのため、場所の破壊や喪失は、財産の損失にとどまらず、自己の連続性への脅威として経験されることがある。
ただし、場所を認識する神経機構と、その場所を愛する心理過程は同じではない。
海馬や海馬傍回が空間記憶や場面認識へ関与するからといって、そこに「故郷愛の中枢」があるわけではない。
場所愛着には、空間表象に加えて、自伝的記憶、情動的価値、社会的関係、反復経験、自己概念が必要になる。
6 文化的愛着――象徴は安全感を与えるか
文化心理学には、文化や文化的象徴が、脅威下で心理的な安全感を与える可能性を扱う cultural attachment、文化的愛着という研究がある。
文化的愛着研究では、母国文化や受入国文化への結合が、移住や異文化適応に伴う不安・ストレスの緩和と関連する可能性が検討されている。また文化的に親しい象徴を提示することで、脅威刺激に対する生理的覚醒が弱まった実験も報告されている。
ここから導けるのは、限定された命題である。
長期に反復され、自己の記憶や帰属と結びついた文化的象徴は、未知の脅威に対して、既知性、安定性、連続性の手がかりとして利用される場合がある。
国旗、国歌、言語、祭礼、歴史上の人物、故郷の風景が力を持つのは、それらに生得的な力があるからではない。
それらが、
家族との経験、
学校教育、
幼少期の記憶、
地域行事、
勝利や敗北、
戦争、災害、移住、
メディアによる反復
と結びつき、情動的な意味を蓄積するからである。
国家機構や国民運動は、愛着能力そのものを無から作るのではない。
すでに存在する場所、人物、音楽、言語、記憶を選択し、それらを「国民全体に共通するもの」として再配置する。
7 集団同一化とアイデンティティ融合
場所や文化への愛着だけでは、数千万人からなる国民共同体は成立しない。
そこには、
自分はこの集団の一員である
という社会的同一化が必要になる。
集団同一化では、集団への所属が自己概念の一部になる。
しかし、通常の集団同一化では、個人としての自己と、集団成員としての自己は区別されている。
これに対して identity fusion、アイデンティティ融合とは、個人的自己と集団的自己の境界が薄くなり、集団との一体性を強く感じる状態を指す。
強く融合した人は、集団の勝利や敗北を自分自身の経験として受け取り、集団のための極端な献身や自己犠牲を支持しやすいことが、多国間研究やメタ分析で報告されている。
戦争記憶、戦没者顕彰、国民的災害、スポーツ、学校儀礼、文学は、
「同じ国家に所属している」
と教えるだけではない。
「同じ苦痛を経験した」
「同じ死者を悼む」
「同じ勝利を喜ぶ」
「この集団は家族のようなものだ」
という関係的な物語を供給する。
ただし、通常のパトリオティズムをすべてアイデンティティ融合と呼んではならない。
文化への親しみ、制度への信頼、公共サービスへの協力は、個人と集団の境界を消さなくても成立する。
融合は愛国心一般ではなく、愛国心が無条件的忠誠や自己犠牲へ接近する極限形態の一つである。
8 愛国心に単一の神経基盤はない
愛国心には身体的・神経的基盤がある。
しかしそれは、「愛国心を生む脳部位」や「愛国心遺伝子」があるという意味ではない。
対人アタッチメント研究では、情動、報酬、記憶、ストレス調整、社会認知に関わる分散的な神経系が研究されている。扁桃体、視床下部、報酬系、前頭前野などの活動も、アタッチメントの型や状況によって変化する。
場所愛着には、空間認識、自伝的記憶、情動評価、自己関連処理が関与する。
集団同一化には、自己概念、社会的分類、他者評価、報酬、規範学習が関与する。
外部脅威には、恐怖、注意、危険予測、防衛行動が関与する。
道徳的義務には、規範判断、他者推論、感情調整が関与する。
これらが状況に応じて結合するのであり、愛国心専用の回路があるわけではない。
また、オキシトシンを「愛と善意を生むホルモン」と考えるのも単純すぎる。
社会的結合を強める作用は、普遍的な博愛だけでなく、「われわれ」の境界を強化する場合もある。
神経・身体のレベルから直接、特定の政治思想は導けない。
神経・身体的結合能力
× 記憶と経験
× 社会的分類
× 制度と物語
× 脅威と利害
= 具体的な愛国的行動
愛国心は神経現象だけでも、言説だけでもない。
身体、記憶、意味、制度を横断する多層的な構成である。
9 想像された共同体と、既存の記憶
ベネディクト・アンダーソンは、ネイションを「想像された政治共同体」と定義した。
これは、国民が偽物だという意味ではない。
数千万人の国民は、互いの大多数に会ったことがない。それでも、自分たちが同じ時間、同じ歴史、同じ運命を共有していると表象できる。
新聞、小説、出版言語は、互いに知らない読者が、同じ出来事を同じ言語で経験しているという感覚を形成した。出版資本主義は、俗語の標準化と大規模な読者共同体の形成を通じて、国民という「私たち」の成立を支えた。
しかし、国民共同体は近代国家が白紙の上に描いたものでもない。
スミスのエスノ象徴主義が指摘するように、近代以前から、
祖先神話、
歴史的な故郷、
宗教的象徴、
英雄と死者、
黄金時代、
共有された記憶
が存在する場合がある。
近代的国民形成は、それらをそのまま保存したのではない。
どの神話を採用し、どの死者を顕彰し、どの言語を標準語とし、どの歴史を教科書へ載せるかを選択した。
したがって近代的愛国心は、
既存の愛着や記憶
+
制度・市場・運動による選択と編集
+
学校・出版・儀礼による反復
によって形成される。
ただし、このモデルを欧州型国民国家から世界全体へ直線的に拡張してはならない。
植民地・ポストコロニアル社会では、植民地行政による国境線、民族分類、言語秩序と、それに対抗する反植民地運動が、文化的素材そのものを再編した。チャタジーは、アジア・アフリカのナショナリズムが西欧モデルの単なるコピーではなく、植民地支配との差異を保持する独自の想像力を形成したと論じている。
10 戦争が国家を作り、国家が戦争を作った――ただし愛国心は必要条件ではない
軍事的脅威は、近代的国民形成の重要な促進要因だった。
チャールズ・ティリーは、数百年にわたるヨーロッパの経験について、戦争遂行と国家形成が相互に強化されたと論じた。
戦争には、兵員、税、武器、食料、道路、信用、人口記録、官僚制が必要になる。
それらを調達する過程で、徴税能力、行政能力、領域管理能力が発達した。ティリー自身、この議論をヨーロッパ経験から導かれた暫定的な分析として提示しており、普遍法則としてはいない。
しかし、ティリーから、
戦争を行うためには愛国心が必要だった
とは直接には導けない。
近世国家は、
傭兵、
身分的義務、
宗教的忠誠、
王朝への忠誠、
給与、
略奪利益、
強制徴募
によっても戦争を行った。
考えられる因果関係は三つある。
第一は、国家が愛国心を作り、それによって戦争動員を可能にしたという仮説である。
第二は、戦争、徴兵、徴税、学校、行政への接触が、後から国民的同一化を作ったという仮説である。
第三は、戦争と国民形成が相互に強化したという仮説である。
最も妥当なのは第三である。
外部脅威
→ 国家能力の拡大
→ 徴兵・学校・国民化
→ 動員能力の増大
→ さらなる戦争遂行
ただし、この回路は必ず成功するわけではない。
戦争が国家能力を強化する場合もあれば、国家を破壊し、地域対立や軍閥化を招く場合もある。
愛国心は戦争の必要条件でも十分条件でもない。
国家が強制や取引だけに依存せず協力を得るために利用する、複数の動機資源の一つである。
11 内集団への愛と、外集団への敵意は同じではない
人は、自分が所属すると認識した集団を優遇しやすい。
しかし、
内集団への好意
≠ 外集団への敵意
である。
自分の家族を大切にすることから、他人の家族を憎むことは導けない。
故郷を愛することから、他地域を攻撃することも導けない。
国民への愛着から、外国人への敵意が自動的に生じるわけでもない。
内集団愛が外集団敵意へ転化するには、
脅威認知、
資源競争、
歴史的敵対、
指導者の言説、
差別的制度、
集団規範
などの追加条件が必要である。
逆に、安心できるアタッチメント対象を心理的に想起させる操作が、外集団への否定的評価を弱めた実験もある。
愛着が安全感として作動すれば、防衛的な敵意を弱める可能性がある。
愛着が喪失不安、屈辱、包囲感として作動すれば、排外性を強める可能性がある。
したがって、政治的に重要なのは愛着の強さだけではない。
その愛着が、安全基地として働いているのか、脅威にさらされた所有物として働いているのか
である。
12 公民教育は、監視する主体と維持する主体を作る
近代国家には、制度を理解し、権利を行使し、税を払い、選挙に参加し、行政手続を利用する主体が必要である。
これが公民教育の一つの機能である。
しかし、歴史上の公民教育は制度理解だけを教えてきたのではない。
そこには二つの方向がある。
一つは、国家を監視し変更する主権者形成である。
憲法を理解する。
権利を行使する。
政府を批判する。
政策を比較する。
法的救済を利用する。
もう一つは、国家を維持する国民形成である。
歴史を共有する。
伝統や文化を尊重する。
公共的義務を受け入れる。
共同体への貢献を価値づける。
国家象徴へ帰属を感じる。
日本語の「市民」と「公民」には、生活社会の活動主体、権利主体、国家の成員、主権者という異なる概念が重なっている。公民教育も、市民社会の一員と国家の構成員という二つの主体像を同時に扱ってきた。
現行の教育基本法第二条第五号は、我が国と郷土への愛着だけでなく、他国の尊重と国際社会の平和・発展への寄与を一つの目標として掲げている。したがって、法文を排他的国家主義だけに切り詰めて読むことはできない。
それでも、国家が望ましい愛情や態度を教育目標として法定することには、構造的な問題が残る。
国家は内面を直接観測できない。
そこで、学習への関心、儀礼参加、発言、行動など、観測可能な態度を代理指標にする。
公民教育は、国家を批判する主体と、国家を維持する主体を同時に作ろうとする。
これは論理的不能ではない。
両者は両立しうる。
しかし、政権が批判をどこまで許容するかによって、均衡は変わる。
公民教育には定理的な矛盾があるのではなく、二つの目的関数の間に政治的緊張がある。
13 近代文学は、国民感情を試演する環境だった
制度を説明するだけでは、国民は作れない。
憲法や行政制度を知っているだけでは、顔を知らない数千万人を「われわれ」と感じることはできない。
国語、新聞、小説、児童文学、歴史物語は、その感情的回路の形成に関与した。
近代国家と共通語としての国語の形成は密接に結びついている。多数の人が同じ言語で新聞や小説を読むことで、地縁・血縁を越えた読者共同体が成立した。
しかし、文学を「感情注入装置」とだけ呼ぶのは強すぎる。
文学が直接、読者の心へ特定感情を書き込むわけではない。
作品は、
出版・流通、
選書、
教科書化、
授業と注釈、
読者の経験、
翻訳と翻案
を経て受容される。
文学は、誰を同胞と感じ、何を故郷と感じ、どの死を犠牲と評価するかを、物語の中で試演する環境を提供する。
『クオーレ』は、イタリア統一後の地域・階級・方言の差異を越え、イタリア人としての感情的紐帯を形成する児童文学として配置された。しかし、作品の社会的機能と、個々の読者が実際に受け取る意味は同じではない。
国家や教育者の意図
≠ 作品の構造
≠ 読者の受容
文学は国民化に利用されることもあれば、国家の犠牲要求を批判することもある。
それゆえ、問うべきなのは文学一般が愛国的かどうかではない。
どの作品が正典として選ばれ、どの順序で配列され、どの解釈を付与され、誰に読まされたかである。
14 儀礼は愛国心を表示するだけでなく、生産する
国家は、人が本当に国を愛しているかを直接観測できない。
そこで、国旗、国歌、宣誓、式典、追悼、奉仕などを、愛国心の代理指標として用いる。
しかし、これらの行為は、すでに存在する内面を表示するだけではない。
反復することで、愛国的な主体を形成する。
内面の愛国心
→ 愛国的行為
という一方向だけではなく、
規定された愛国的行為
→ 愛国者としての自己構成
という逆方向がある。
これは、観測が対象を変える第三型である。
国歌を歌わせる制度は、愛国心を測るだけではない。
「歌う国民」と「歌わない国民」を分類し、望ましい帰属の形式を定義する。
ただし、儀礼の効果は一方向ではない。
儀礼は、
帰属の強化、
形式的順応、
無関心、
反発、
偽装忠誠
のいずれも生みうる。
国家は行為を観測できる。
しかし、その行為が内面的愛着、恐怖、習慣、利益計算のどれから生じたかを一意には識別できない。
これは定理的不能ではなく、観測上の非同定性である。
15 再分配を支えるのは国民的連帯か、制度信頼か
愛国心が警察官や消防士の職務を直接可能にするわけではない。
彼らの行動は、訓練、専門職倫理、給与、法的義務、組織規範によって説明できる。
愛国心が関与しうるのは、より上位の共同負担である。
なぜ自分の地域とは無関係な災害へ税を使うのか。
なぜ自分が利用しない公共施設を支えるのか。
なぜ見知らぬ他者へ所得を再分配するのか。
ここでは二つの回路を区別しなければならない。
一つは水平的連帯である。
国民的同一化
→ 見知らぬ同胞への連帯
→ 再分配の受容
もう一つは垂直的正統性である。
行政サービスの実績
→ 制度への信頼
→ 納税・遵法・協力
後者は必ずしも愛国心ではない。
公共サービスが良いから行政を信頼することと、祖国を愛することは別である。
また、国民的アイデンティティが社会正義や福祉国家支持に必要かどうかは、経験的に決着していない。国民的愛着の測定方法や内容によって結果が異なり、強い同一化が必ず再分配支持へ結びつくとは限らない。
愛国心は広域的連帯を支える場合がある。
しかし、再分配の必要条件ではない。
制度的信頼、社会正義の規範、階級政治、互酬性、合理的利益計算でも、公共的協力は形成されうる。
16 盲目的愛国心と建設的愛国心
政治心理学では、国家への愛着を一種類とはみなさない。
シャッツ、スタウブ、ラヴィーンは、盲目的愛国心と建設的愛国心を区別した。
盲目的愛国心は、自国への無条件の肯定、強固な忠誠、批判への不寛容を特徴とする。
建設的愛国心は、国や共同体を改善するため、現在の制度や慣行を批判することを認める。
この区別は有用だが、批判者だけを「真の愛国者」と認定するために使うべきではない。
政府支持者が愛国者で、批判者が非愛国者だとするのも問題である。
批判者こそ真の愛国者で、無関心な者は資格がないとするのも同じ構造を残す。
より強い原則は、
国家や政府を批判する権利は、その人が愛国者だから認められるのではない
ということである。
国家を愛していない人にも、統治を受ける者、居住者、人権主体として、国家を批判する権利がある。
愛国心は法的資格ではない。
17 近代文学からアルゴリズムへ
近代の国民形成では、新聞、小説、学校、放送が、共通の物語と同時経験を作った。
現代では、SNS、動画プラットフォーム、推薦アルゴリズムが加わっている。
ただし、近代文学からアルゴリズムへ完全に置き換わったわけではない。
学校、新聞、テレビ、文学は残っている。
現在起きているのは、媒介環境の重層化である。
出版による共通物語
+
放送による同時経験
+
SNSによる断片化と増幅
SNSは、国民を一つの物語へ統合する場合もある。
災害、戦争、スポーツ、選挙などで、同じ象徴と感情を急速に共有させる。
同時に、エコーチェンバー、感情的分極化、敵味方の短絡的分類を促進する場合もある。
現代の愛国心は、長い国民文学だけでなく、短い動画、画像、ハッシュタグ、ミーム、推薦システムによっても反復される。
したがって文学は、感情的国民化の過去の装置ではない。
現在のデジタル情動政治を理解するための古典的プロトタイプである。
18 愛国心の時間発展モデル
愛国心を一つの量として測定することはできない。
少なくとも次の状態を分ける必要がある。
場所・故郷への愛着。
文化・象徴への愛着。
国民的同一化。
個人的自己と集団の融合。
国家制度への信頼。
公共的協力。
外集団への敵意。
現政府・特定政策への支持。
これらは別々に変化する。
外部脅威によって国民的同一化が上がっても、政府支持が下がる場合がある。
福祉の充実によって制度信頼が上がっても、文化的愛着は変わらない場合がある。
愛国教育によって儀礼参加が増えても、内面的愛着は低下する場合がある。
国民的同一化が強くても、外集団への敵意が低い場合がある。
変化を生む入力には、
教育、儀礼、文学、メディア、福祉、弾圧、戦争、災害、経済危機、外交対立
がある。
また、憲法、国境、選挙制度、言語制度、メディア構造などは、より遅く変化する条件として作用する。
この系には、複数のフィードバックがある。
制度が安定して公正に機能すれば、制度信頼と協力が強まる。
外部脅威が高まれば、国民境界が顕在化する。
忠誠要求が過剰になれば、形式的順応、空洞化、反発が生じる。
不公正や腐敗が蓄積すれば、国民的愛着が地方主義、離脱、無関心へ移ることもある。
愛国心は、注入量に比例して増える液体ではない。
19 三類型で見る

愛国心論には、三つの異なる問題がある。
A型――分類規約の問題
パトリオティズムとナショナリズムをどこで分けるか。
郷土愛と国民的愛着をどう区別するか。
立憲的愛国心を愛国心に含めるか。
国旗・国歌を愛国表現とみなすか。
これらは分析目的と理論流派によって変わるA型である。
B型――現段階では該当なし
国家が監視する市民と従う国民を同時に育てようとすることは、緊張ではあるが、定理的不能ではない。
儀礼行動から内面を一意に識別できない問題も、厳密な不可能性定理ではなく、観測上の推定限界である。
したがって、本稿に明確なB型はない。
B型を無理に置かないことが必要である。
第三型――遂行的構成
戸籍が国民を法的に分類する。
地図が国土を境界ある対象として示す。
国勢調査が人口を国民集団として集計する。
学校が国民史を反復する。
儀礼が愛国的身体を作る。
「非愛国的」という判定が、批判者を共同体の外へ置く。
ここでは観測、教育、分類、儀礼が、すでに存在する国民を測るだけでなく、国民そのものを作る。
愛国心論の中心は第三型にある。
20 弁証法的統合
テーゼ
近代国家は、戦争、徴税、再分配に必要な協力を得るため、愛国心を作った。
アンチテーゼ
土地、家族、言語、宗教、場所、祖先、文化への愛着は国家以前から存在した。
国民形成も国家だけではなく、出版市場、宗教、地域社会、国民運動、植民地支配への抵抗、読者の受容によって生じた。
また、国家への協力は、愛だけでなく、法、利益、信頼、習慣、制裁、専門職倫理によっても成立する。
暫定ジンテーゼ
近代的愛国心は、国家の単独発明でも、自然発生的な本能でもない。
対人結合、場所記憶、文化的安全感、集団同一化という異なる心理過程が、国家機構、国民運動、学校、出版市場、文学、儀礼、戦争、福祉、地域社会によって「国」という共通対象へ束ねられた歴史的構成物である。
その結合は、公共的協力、相互扶助、制度改善へ向かう場合もある。
同じ結合が、喪失不安や脅威認知と結びつけば、忠誠審査、排外性、軍事動員、自己犠牲へ向かう場合もある。
21 何を検証すべきか
このモデルを検証するには、次の比較が必要になる。
同程度の外部脅威を受けながら、学校・徴兵・出版制度が異なる国。
同じ愛国教育を行いながら、国家サービスや腐敗水準が異なる国。
国家を持たないナショナリズム。
多民族帝国と国民国家。
儀礼参加が高いが制度信頼が低い社会。
国家批判と国民的同一化が同時に高い集団。
同じ文学作品の異なる地域・時代における受容。
国民的同一化が弱くても、制度信頼と合理的利益だけで大規模再分配が維持される事例が多ければ、愛国心の連帯機能は必要条件ではない。
強制的儀礼が行動順応を増やしても、内面的愛着や制度信頼を高めなければ、儀礼は愛国心を生産するというより、形式的服従を生産していることになる。
国家機構が未成立でも、反植民地運動や文化運動が強い国民意識を形成すれば、国家中心の国民製造説は修正される。
反証条件を置かなければ、「何が起きても愛国心の効果だった」と説明できるため、理論は空洞化する。
結論――愛着を政治的義務へ変換する権限
愛国心は、郷土への自然な愛情そのものではない。
国家が無から発明した純粋な人工物でもない。
土地、言語、文化、宗教、歴史的記憶への既存の愛着が、国家機構、国民運動、学校、出版市場、文学、儀礼、戦争、福祉、地域社会などの相互作用を通じて、国民という大規模な政治共同体への同一化へ編成された歴史的構成物である。
国家は、愛着という液体を国民の心へ注入するのではない。
異なる対象へ向けられていた情動、記憶、所属、安心、喪失不安を、「国」という共通対象へ束ねる。
公民教育は、国家を理解し、監視し、維持する主体を作る。
文学は、誰を同胞と感じ、何を故郷と感じ、どの死を犠牲と評価するかを試演する。
儀礼は、帰属を表示すると同時に、帰属する主体を形成する。
福祉と公共サービスは、国民的連帯とは別に、制度信頼と協力を形成する。
戦争と脅威は、これらの回路を急激に活性化する。
したがって、愛国心が善か悪かという問いだけでは足りない。
問うべきなのは、
何が愛の対象として設定されるのか。
誰が「われわれ」に含まれるのか。
愛着が安心として働くのか、喪失不安として働くのか。
どの歴史が共有記憶として選ばれるのか。
どの行為が愛国的と認定されるのか。
批判と複数帰属が許されるのか。
愛着が公共的協力へ向かうのか、排除と犠牲へ向かうのか。
そして、
誰が、愛着を政治的義務へ変換する権限を握っているのか
である。
国家は、単なる免許制度ではない。
しかし、愛される人格でもない。
愛国心とは、愛着本能の国家版ではない。
複数の愛着、記憶、同一化、制度信頼を、政治共同体の維持と動員へ接続する歴史的な編成形式である。
出典
1.パトリオティズム/ナショナリズム
Igor Primoratz, “Patriotism,” Stanford Encyclopedia of Philosophy
パトリオティズムの定義、ナショナリズムとの重なりと相違。
https://plato.stanford.edu/entries/patriotism/Nenad Miscevic, “Nationalism,” Stanford Encyclopedia of Philosophy
ナショナリズム、政治的自己決定、パトリオティズムとの境界。
https://plato.stanford.edu/entries/nationalism/Benedict Anderson, Imagined Communities
「想像された政治共同体」、出版資本主義、国民的同時性。
https://www.versobooks.com/products/1126-imagined-communitiesMichael Billig, Banal Nationalism
国旗・国歌のような顕著な儀礼だけでなく、「われわれ」「国内」などの日常言語による国民性の反復。
https://uk.sagepub.com/en-gb/eur/banal-nationalism/book205032Anthony D. Smith, Nationalism: Theory, Ideology, History
ナショナリズムを、ネイションの自治・統一・アイデンティティを追求するイデオロギー運動として整理。
書誌・抜粋PDF:
https://nationalism.ceu.edu/sites/nationalism.ceu.hu/files/basic_page/field_attachment/09-smith.pdf大澤真幸「ナショナリズムとは何か」書評
スミスのエスノ象徴主義を、日本語で把握するための参照。
https://allreviews.jp/review/2944Partha Chatterjee, The Nation and Its Fragments
欧州型近代主義をポストコロニアル社会へそのまま適用することへの補正。
https://www.jstor.org/stable/j.ctvzgb88s
2.戦争・国家形成・公共的協力
Charles Tilly, “War Making and State Making as Organized Crime”
戦争遂行、徴税、官僚制、国家能力の相互形成。愛国心そのものを直接証明する論文ではありません。
PDF:
https://www.bmartin.cc/pubs/19sd/refs/Tilly1985.pdfMiguel Angel Centeno, Blood and Debt: War and the Nation-State in Latin America
ヨーロッパ型の「戦争が強い国家を作る」モデルに対するラテンアメリカからの反例・修正。
https://www.psupress.org/books/titles/978-0-271-02165-2.htmlDavid Miller & Sundas Ali, “Testing the National Identity Argument”
国民的アイデンティティが社会正義・再分配・福祉国家を支えるという仮説の経験的検討。
https://www.cambridge.org/core/journals/european-political-science-review/article/testing-the-national-identity-argument/7CC40186D6CA11F9197FABD75845804F
DOI: https://doi.org/10.1017/S1755773913000088Kristina Gangl et al., “Patriotism’s Impact on Cooperation with the State”
国旗・国民的風景によるプライミングと納税協力の関係。ただし愛国心だけで国家協力を説明するものではありません。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5125400/
3.対人アタッチメントと社会的安全基地
James A. Coan & David A. Sbarra, “Social Baseline Theory”
人間の脳が信頼できる他者へのアクセスを通常状態として見込み、リスクと努力を分担するというモデル。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4375548/James A. Coan, Hillary S. Schaefer & Richard J. Davidson, “Lending a Hand”
配偶者との手つなぎが、脅威予告に対する一部の神経反応を弱めるというfMRI研究。初期研究で標本は小さいため、一般化には留保が必要です。
PDF:
https://apsychoserver.psychofizz.psych.arizona.edu/JJBAReprints/PSYC501A/Readings/Coan%20Schaefer%20Davidson%20Psych%20Science%202006.pdfPascal Vrtička & Patrik Vuilleumier, “Neuroscience of Human Social Interactions and Adult Attachment Style”
成人アタッチメントを、単一脳領域ではなく、情動・報酬・社会認知の分散的ネットワークとして整理。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3398354/Lane Beckes et al., “Toward a Radically Embodied Neuroscience of Attachment and Relationships”
アタッチメント、身体、他者へのアクセス、脅威調整の関係に関するレビュー。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4439542/Melissa L. Gustison et al., “Individual Differences in Social Attachment”
社会的結合の神経生物学を比較・統合するレビュー。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8916993/
これらは対人アタッチメントの研究です。国家・国旗・国土を養育者と同一視する根拠にはなりません。
4.場所愛着・文化的愛着
Leila Scannell & Robert Gifford, “Defining Place Attachment: A Tripartite Organizing Framework”
場所愛着を、Person・Process・Placeの三次元で整理した標準的論文。
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0272494409000620
DOI: https://doi.org/10.1016/j.jenvp.2009.09.006Leila Scannell & Robert Gifford, “Place Attachment Enhances Psychological Need Satisfaction”
愛着を持つ場所の想起と、意味・所属感・自尊感情との関係。
https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/0013916516637648Wan Jun Yap, George I. Christopoulos & Ying-yi Hong, “Physiological Responses Associated with Cultural Attachment”
文化的象徴の提示が、脅威刺激に対する皮膚電気反応を弱める可能性を示した実験。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/28110004/
DOI: https://doi.org/10.1016/j.bbr.2017.01.017Wan Jun Yap, “Cultural Attachment: From Behavior to Computational Neuroscience”
文化的象徴が脅威下で心理的安全感を提供するという仮説のレビュー。ただし、まだ発展途上の研究領域です。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6596443/
文化的象徴が脅威を緩和するという研究から、国旗が愛国心を自動生成するとは言えません。「既知性・連続性・安心の手掛かりとして働く場合がある」という限定された根拠です。
5.集団同一化・内集団バイアス
Daniel Balliet, Junhui Wu & Carsten K. W. De Dreu, “Ingroup Favoritism in Cooperation: A Meta-analysis”
内集団成員への協力優遇と、その条件に関するメタ分析。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/25222635/Daan Scheepers et al., “The Neural Correlates of In-group and Self-face Perception”
強い集団同一化における、自己関連処理と内集団成員処理の部分的近接を調べた研究。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3759853/Michael A. Hogg, Dominic Abrams & Marilynn B. Brewer, “Social Identity: The Role of Self in Group Processes and Intergroup Relations”
社会的アイデンティティ理論の展開と、集団過程・対集団関係のレビュー。
PDF:
https://blog.richmond.edu/ldst399sprg2018/files/2018/03/Hogg-et-al.-2017-Social-identity-The-role-of-self-in-group-process.pdfMarilynn B. Brewer, “The Psychology of Prejudice: Ingroup Love or Outgroup Hate?”
内集団への好意と外集団への敵意を区別するための重要文献。
PDF:
https://bcsh.bard.edu/files/2019/06/Brewer-ingroup-love-or-outgroup-hate.pdf
6.アイデンティティ融合と自己犠牲
William B. Swann Jr. et al., “Identity Fusion: The Interplay of Personal and Social Identities in Extreme Group Behavior”
個人的自己と集団的自己の融合、および極端な集団奉仕との関係を定式化した基本論文。
DOI: https://doi.org/10.1037/a0013668
書誌情報:
https://cir.nii.ac.jp/crid/1360869863556736512William B. Swann Jr. & Michael D. Buhrmester, “Identity Fusion”
国との融合と「戦い死ぬ意思」を含む極端な集団奉仕との関係を整理した概説。
PDF:
https://labs.la.utexas.edu/swann/files/2016/03/52-57.pdfMartha Newson et al., “Explaining Lifelong Loyalty: The Role of Identity Fusion and Self-shaping Group Events”
共有経験と長期的集団忠誠との関係。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4980014/Javier Chinchilla et al., “Strongly Fused Individuals Feel Viscerally Responsible to Self-sacrifice for Their Group”
集団との一体感と自己犠牲責任の関係。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9790423/
アイデンティティ融合は愛国心一般ではなく、個人自己と集団の境界が強く接続された特殊な状態として使うべきです。
7.盲目的愛国心/建設的愛国心
Robert T. Schatz, Ervin Staub & Howard Lavine, “On the Varieties of National Attachment: Blind Versus Constructive Patriotism”
無条件肯定・批判不寛容としての盲目的愛国心と、改善を目的とする批判を認める建設的愛国心の区別。
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/0162-895X.00140
DOI: https://doi.org/10.1111/0162-895X.00140
8.公民教育と愛国的態度
文部科学省「教育基本法」
第二条第五号の全文は、「我が国と郷土を愛する」と同時に「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度」を掲げています。
https://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/mext_00003.html日本法令外国語訳データベース「教育基本法」日英対照
https://www.japaneselawtranslation.go.jp/en/laws/view/2442文部科学省「教育基本法の施行について」
改正法の目的、公民・国民形成との関係を確認する公式通知。
https://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/06122123.htm
9.近代文学・国語・デジタル・ナショナリズム
Julia M. Wright, “Literature and Nationalism”
文学、文学史、国民的文化形成の関係を概観する文献。
https://www.cambridge.org/core/books/cambridge-history-of-literary-criticism/literature-and-nationalism/E8084680FA4FA4E128A1DEC882C7C199
DOI: https://doi.org/10.1017/CHO9781139018456.007Sabina Mihelj & César Jiménez-Martínez, “Digital Nationalism”
インターネットの国別構造、アルゴリズムの偏り、国別デジタル生態系によるナショナリズム再生産。
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/nana.12685
オープンアクセスPDF:
https://orca.cardiff.ac.uk/id/eprint/133543/7/nana.12685.pdfHenrik Metzler et al., “Social Drivers and Algorithmic Mechanisms on Digital Media”
利用者行動と推薦アルゴリズムのフィードバックを扱うレビュー。ナショナリズム専論ではありませんが、増幅回路の理論的補強になります。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11373151/
10.本文で接続した既存記事
「国民国家と近代文学の概要」
https://note.com/mototchen/n/n2cedd2d53196「日本語訳語『市民』と『公民』の概念的混乱構造」
https://note.com/mototchen/n/n47cc3bc69903「19世紀『少年少女世界の名作』は何を訓練していたか」
https://note.com/mototchen/n/n3b3101588842
本文で特に重要な最小文献セット
Anderson『想像の共同体』
Billig『凡庸なナショナリズム』
Smith『ナショナリズムとは何か』
Chatterjee『The Nation and Its Fragments』
Tilly “War Making and State Making”
Miller & Ali “Testing the National Identity Argument”
Coan & Sbarra “Social Baseline Theory”
Scannell & Gifford “Defining Place Attachment”
Yap et al. “Physiological Responses Associated with Cultural Attachment”
Balliet et al. “Ingroup Favoritism in Cooperation”
Swann et al. “Identity Fusion”
Schatz et al. “Blind Versus Constructive Patriotism”
石部統久・ChatGPT5.6
査読:ChatGPT5.6・Claude Fable5・Grok・Gemini(Parcae Protocol)
