大好きな私のきょうだい
実家に帰って、家族に会った。
コロナワクチンの暴挙から四年経ち、その間にうちの家族のなかでもさまざまな摩擦があった。
このまま家族は離散してしまうんじゃないかと思うことは多々あった。
だけどそうならなかった。
ワクチン接種した両親と私は穏やかに接しているが、同じく接種した兄とは、いまだに口論になることがある。
トランプ大統領の話題一つとっても、必ず平行線になる。
私も一度は兄を見捨てたので(というよりは見限ったので)、あれこれ言ってもしょうがない、時間の無駄だとは思う。
だけどこれは神様に試されてるんじゃないかとも思い直す。こういう運命になることを自分は最初から知ってたんじゃないかとすら思う。だから口論になったときは「もし私がお兄ちゃんを嫌な気持ちにさせたなら悪かった、ごめん」「私の言い方が高圧的でごめん」と一言、謝るようにした。「ただ、私もお兄ちゃんもお互い様だよ。そこを受け入れていかないと私たちは簡単にバラバラになってしまう、不仲になってしまう、私はそうはなりたくないよ」とも言ってみた。兄が目を逸らしても、私は目を逸らさないことにした。
これを言うのはプライドばかり無駄に高くて頑固な私にはなかなか骨が折れることで、苦しいことだった。
だって自分は自分で納得のいくように生きているし、これまでの在り方を卑下するつもりもないし、誤りを認めることはあっても、同時に積み上げてきたものを否定するつもりもない。
だからこそ明らかにそれはおかしいだろと思う意見に正論をぶつけられないのは苦しかった。辛かった。
それでも、辛くても乗り越えなければいけないと思った。私は三人きょうだいの末っ子に生まれ、とても幸せだったのだ。それぞれが命尽きるまでそうありたいと願ってきた。
私たちは本当に仲の良いきょうだいだった。子どもの時にタオルで目隠しごっこをやって、鎖が切れた近所の犬に飛びかかられて大パニックになったことがある。農作業用の一輪車を姉が転がしてその上に私と兄が乗ってキャーキャー遊び、近所を周遊したこともある。三人で密かに野良猫を連れてきて親に内緒で飼おうとしたが母に見つかって泣く泣く元いた場所へ返してきたこともある。姉が三人きょうだいの漫画を描いてくれてそれを爆笑しながら読み合ったこともある。思い出は何百、何千とあり、尽きることはない。
それは私の血となり肉となり、かけがえのない宝物になっている。それを失うくらいなら私がもっと「このきょうだいを死ぬまで肯定したい」「二人とも愛してる」「ぶつかることはあってもきょうだいであることを諦めるつもりはない」ことを伝えるべきなんだなと、強く確信した。そしてそれを一番強く訴えられるのも、きょうだいのなかで一番勇敢で口が達者な私にしかできないことなんだなとも理解している。
親や子どもと違い、なかなかきょうだいに対して「愛してる」を伝えるのは難しいし、かなり気恥ずかしいものだと思う。私もそれは直接的には言わないし、今後も言うつもりはない。でも、態度では表せると思う。
例えば、お盆や正月に会ったり、グループLINEで写真を載せ合ったり、「あなたと関わりたいですよ」「共有したいですよ」と細かく意思表示をするのは大事だと思う。相手の意見を無碍にせず(トランプ大統領やばいだの、医者の言うことは概ね正しいだの、世の中に出回ってる食品に含まれる添加物を気にしてたらキリがないだの、選挙にいく気がないだのetc.)、上手く衝突をかわし、イライラしてしまう自分の声にも耳を傾けつつ、その時間を楽しむことも大切だと思う。それを継続するにはこちらにも知恵と忍耐が必要だ。そして知恵をつけ、忍耐強くある価値は、間違いなく、ある。私たちきょうだいは祖父母と両親から雨霰のように愛情をたっぷり浴びて育ったのだ。全員、ユーモアセンスは磨かれたし、他者を思いやる慈悲、その心根はまっすぐに、力強く育てられたと思う。
だからだろう、その後の兄の態度は違った。兄は兄で、妹である私にどう接すればいいか悩んでいるようだった。私へ話しかけるとき、前より少し思い悩み、言葉を選んでいる節が見られるようになった。現在のおかしな社会情勢についても、「それ以上言ったらまた口論になる」手前でブレーキをかける様子が見られるようになった。以前のような、傍若無人ぶりが減った。きっと私の態度が変わったから、兄の態度も軟化したのだと想像する。
兄はただただ、私や姉と楽しい時間を過ごしたいだけのだ。おかしな陰謀論者に成り果てた私を無碍にする気はないようで、先に述べたような昔話をたくさん振ってきた。それを笑い合い、掘り下げ、楽しんだ。そこへ、姉も混ざってきて、より会話は盛り上がりをみせた。姉は当初から私の「ワクチン打つな」の意見を汲み取り、世の中の疑問に直感を頼りに生きてきた人なので、兄よりは話しやすい。そして誰よりも、家族の和を大切にする人でもある。
話は尽きなかった。楽しかった。そして嬉しかった。まるで三人がそれぞれ綱を持ち、これでもか、これでもかと引っ張り合い、私たちはこれからも大丈夫だよねと、気持ちを確かめ合っているかのようだった。私たちの繋がりはこの先危うくなることはきっとある。それは世の中の動きとは関係なく、ライフステージの変化に伴って起こりうることだ。それでもきっと乗り越えられると信じている。この四年間はその練習の第一歩だったのだ。
帰省一日目、時間は矢のように過ぎた。結局のところ、私たちきょうだいは分断されずに済んだ。腹の底で、以前のような仲のいいきょうだいをキープしたい願いは、互いに受け止め合えたのだと確信している。
