他人の「キス」ばかり見て生きてきた。
小学校四年の時だった。私は、クラスで席が隣になり、同じ爬虫類好きとして仲良くなった同性の友人と結婚することになった。どうしてそんなことになったのかというと、私達はクラスであまりにも仲が良く、それを見ていた女子が「二人で結婚しなよ」と言い出したのが始まりだった。
今なら分かるが、あの女子は私のことを好きだったのだ。それは今さら気付いても遅い気持ちで、今ならすぐに「私も好きです」と伝えてから、本当に彼女を好きかどうかを考えるのに、私はまだ「好き」という感情そのものを知らない純粋そのものだった。
「あの時、俺のこと好きだったよね」
と、四十三歳の私がその女性を探し出し、ふいに尋ねてみるのも悪くはないが、それは取り返しのつかない空白の約三十五年になりそうだからやめておくことにした。
この躊躇いこそが老いの始まりなのかも知れない。
私は十歳にして結婚することを母親に伝え、相手の友人は姉や妹がいるので、女性役になることを伝えた。ブーケは、クラスの女子が作ってくれるという手筈で、先生も公認で朝の会で催されることになっていた。
私は、母親にスーツに似たような、よそ行きの洋服を選んでもらい、ドキドキしながら、黒っぽい靴を履き、大人びたスキップをしてみたりして学校に向かっていた。
朝の会の結婚式では、きちんと司会者がいて、なぜか校歌を全員で歌い、私達は壇上に上がっていた。
神父役の友人が宣誓を促し、私は人生で初の宣誓をした。友人を大切にしなければならない。これは、私にとってとても重かった。そして、よく考えたら、私は女性が好きだった。何でこんなことになってしまったのだろうと不安が押し寄せてきていた。このまま結婚しても良いのだろうか。大人になったらきちんと女性と結婚出来るのだろうか。そんなことを頭の中では、もう一人の自分が冷静に考えていた。
「誓いのキスを」
メインイベントであろう盛り上がりを見せる教室の中、私達はキスを促された。私の頭の中では「なぜしなければならないの。イヤだ」とグルグルグルグルしていた。友人は、スッカリ女装による効果で恥じらいを覚えていて、目を瞑って私を待っていた。
そして、私は泣いた。
自分でも信じられないくらいに涙が溢れ、周囲の場を冷たくした責任を感じていた。やがて、男気溢れる友人が、私の前で私を押し退けて友人にキスをした。友人は、彼と結婚することを選んだ。
それは私が、初めて自覚して見た他人のキスだった。私の代わりに奪った友人の姿は、私にはものすごくカッコよく見えてしまった。
この時から、私には奪えなかった唇の代償として、他人のキスを発見する能力を得たのだと思っている。そしてこれは、私がいつか他人の前でキスをすれば失ってしまう能力だと自分で思い込んでいくことになるものだった。
散々なキスの奪われ方をした私は、教室で存在感を薄くして過ごしていくことになる。課外授業のバスでは、自然と窓際で景色を見る位置を指定されていた。
私は、バスから見る少しだけいつもより高い視線が好きだった。人の日常を少し覗ける。そんな気持ちがあったのかも知れない。信号待ちでバスが停車し、私はアパートを見ていた。それは、少し古いアパートで小さく狭そうなアパートだった。玄関が開いて若い男性が出てきた。男性はスーツで仕事に向かうようだった。後を追うように、スーツで仕事に向かう若い女性が出てきた。女性は並ぶように男性に近づくと一言耳元で囁いていた。女性の方を向いた男性は、女性を抱き締めてキスをした。
見てしまった。一瞬何が起きたか分からなかったが、確かにキスをした。何より私がドキドキしたのは、違う部屋の前でキスをして、そのお家の人が出てきたらどうするのかというドキドキだったと鮮明に覚えている。
この日以来、私は他人のキスを見つけるのに目覚めたと自覚している。
それは、私の性の目覚めよりもずっと早かったので、この時はまだ何も分からずに、ただただ目撃していただけだった。
お祭りのカップル。登下校のカップル。信号待ちのカップル。公園のベンチのカップル。
私が望めば皆キスをしていた。これを第六感と説明すべきか分からないが、何となく一緒にいる二人から予感めいたものを感じるのは間違いなかった。私は、この能力を何とも思っていなかったが、何となく失うのはイヤなので、他人の前でキスをしないルールにもう一つ、キスを目撃したらウィンクをするというルールを設けた。
初めて明かすが、これが私がウィンクを得意になった理由である。
誰でも思春期を迎えるように、当然私や、私の友人達にも思春期は訪れてきた。この頃になると実際にキスをしたという友人が増えてきていた。私にはルールが存在するので、誰にも見られてはならないと、キスに対してはすごく慎重であった。
どちらかというとキス以外から進めたかった。
そして、人一倍他人のキスにも興味がある私は、能力を最大限発動させながら、ありとあらゆるところでキスを見る思春期を過ごすことになる。教室、廊下、踊場、プール、グラウンド、図書室、保健室、体育館、体育倉庫。学校ではキスをしていない場所を探すのが難しいのだと知ってしまった。能力を発動したのか、能力だと信じるために、私が探索したのかはもはや分からなくなっていた。
それなのに左目のウィンクだけは、連続で瞬けるくらいに成長していた。
私が一度もキスをしていないのに、世界はキスで溢れていた。
この頃から私は、画面の中の大人の女性に何度も愛を注ぐという、現実逃避な毎日を送るようになる。
やがて私は、この能力が関係しているのかは不明だが、恋のキューピッド役になることが多くなっていく。お互いに好き同士なのに一歩を踏み出せない者同士が、私を連れてデートに行くという具合にだ。
私には、能力があったので、よく居酒屋でトイレに行くフリをして二人にキスをするようにイメージをした。こういうイメージをすると、大抵トイレから出たあとに、ドアの前で違うカップルがキスをしていたりする。
「あっ。混ざっていいですか?」
と、私は声をそのカップルにかけるのだが、大抵の場合その声は届かずキスに夢中だったりする。私は、羨望の眼差しを隠すように席に戻ると、隣同士に座る友人達は当然のことのように肩を寄せ、キスをしていた。私という緩衝材がなくなると、人はその一瞬を大事にして、大胆になるのだった。私はそっとそんな二人の後ろ姿にウィンクをする。
これは私が、友人の幸せを望んだ結果なので当然の結末なのだが、この頃の年齢になると一つのことに気付くようになっていた。それは、女性が持つ内面の隠せない美しさだった。普段は見ることさえ出来ず、他人の前でのキスでこそ溢れてしまうものだった。
他人の前でキスをし終えた女性は、必ず男性に向けて一度伏し目がちになり、恥ずかしさを押し殺し、その後、上目遣いで、この日一番の笑顔をプレゼントしているのだった。
私は、もしかしたらこの表情が一番好きなのかも知れないと感じていた。それくらい、他人の前でキスをする女性は美しかった。
社会人になり、相変わらず私は、他人のキスを見届ける生活をしていた。私の移動は、車になり、バックミラーを見ると決まって後ろの車のカップルはキスをしていたり、信号待ちの横の車の男女も当たり前にキスをしていた。結婚式にも呼ばれることが多くなっていた。花嫁は人生で一番キレイな姿で新郎とキスをする。
たけど、大人になり理解してきたのは、純粋なキスよりも、背負っているものを滲ませるキスの方が女性は美しいということだった。伏し目がちな視線は、キラキラとした上目遣いに変化することもなく、幸せを隠すように噛み締めている女性の方が、私には美しく見えるようになってきていた。
気持ちは隠すのに、他人の前でのキスは隠せないのはなぜなのだろうかと考えていた。
時代の変化なのか、路上でもよく他人のキスを見かけるようになっていた。軽くキスをする男女をよく見るようになり、他人の前での一回のキスの美しさが減ってきたことを知るようになった。
これは、スマホの普及が大いに関係しているのだと思う。男女は手軽に連絡を取りやすくなってしまった。
他人の前でする軽いキスの乱は、私をすごく惑わせた。私のウィンクもどこかキレが悪くなっていた。決して加齢のせいだけではなく、気付けば左目だけ二重になっていた。
私の中の他人のキスは、もっと愛が凝縮されたものだったのだ。私は、初めてこの能力を捨てても良いかも知れないと挫折したくなっていた。
この問題は一人では解決出来ない。
私は、占いに頼ることにした。幸い私が活動している創作プラットフォームでは占いをしてくれる人がいて、聞きやすかった。

こと
エトワール寿司子
「他人のキスを発見する能力は、今後どうすればいいですか?」
私は、私の能力について、自分以外の力に初めて救いを求めたのだった。
リーディングを得意とする彼女は、寿司柄がモチーフで有名なリーディングライターだった。私としては、優しいだけでなく、人よりも圧が強い時があると言われる噂に惹かれ、お願いすることにした。
寿司柄の彼女はまず、私になぜこの他人のキスばかり見る能力が備わっているのかを、彼女なりに優しく教えてくれた。

スターシードオラクルからCALLED
「あなたには、人の幸せな瞬間に立ち会う使命があるみたいよ」
聞いたこともないような使命で、自分の幸せはどうなのだろうかとは聞けなかったが、彼女は続けた。
「それは、人の幸せに心を乱されない強さを得ると決めて、生まれてきたということよ」
幸せに心を乱されるなんて、ただの嫉妬じゃないか。とは言えない雰囲気は伝わってきていた。
次に、寿司柄は私にこの能力をどう活かしていくべきかのアドバイスをくれた。

ウィズダムオラクルから
33番 CHAOS AND CONFLICT
「キスの中に真実を見つけるの。そうすれば、特に役に立つこともないけど、持っていても邪魔にはならないわ。あなた、モテないことをいい加減認めなさい。認めた先にキスの真実があるわ」
ただモテないことの自覚をするために、この能力があるならば、やはり私には必要ないような気持ちになってきた。私はもう四十を超えている。そんな事実は知りたくない。それにしてもこの寿司柄。ズバズバ言ってくる。
次に、寿司柄はこの能力によって導かれている運命について教えてくれた。

エンジェルアンサーオラクルから
HELPFUL PEOPLE
「あなた、人よりキスを目撃しているせいで、キスで昂りを感じなくなってきているわね。それを認めないように暮らしてる。あなた、性欲が落ちてるわね。それを隠してる」
私は、初めて人の言葉で泣きそうになった。数多のキスを見てきて、キスと慣れてしまい、倦怠期になり、別れそうになっているのは、キスに意味を見い出せなくなっているという現実を突き付けられたからだ。
性欲については、スルーした。
「でもね、安心して。枯れたあなたにもう一度トキメキをくれる女性が現れるわ。もしかしたら、ものすごく好みの女性かもしれない」
私は、次に好きになる女性を愛し続けることに決めた。たまには良いことを言う時もある、この寿司柄を信用しようと思えたし、私の性欲も大丈夫な気がしてきていた。
そして寿司柄は、たたみかけるように、この能力が私を幸せにしてくれるのかを教えてくれた。

DON'T STOP!
「英語が分からないあなたにも、このカードからは何か感じるものがあるんじゃないかしら?」
天使が止まるなと言っている。背中を押されている気がしていた。寿司柄は、私の呼吸に合わせるように囁いてきた。
「授けられたモノを味わい尽くすのよ。そこに意味はないの。それは、あなたの学びのためだから」
他人のキスを味わい尽くす。考えたこともなかった。私は、他人のキスから自分の気持ちへの昇華しか考えていない、なんとも情けない独りよがりだったのだ。味わい尽くす他人のキスの先に何があるのか知りたくなっていた。
最後に寿司柄は、この能力を活かして最高に輝く人生にして生き抜くためにはと教えてくれた。

Shine from the inside オラクルカードの
SET YOUR INTENTIONS
WITH HEART AND SOUL
「あなた、まだこの能力の折り返しよ。この能力を信じて進むことが大事ね。焦らずキスを探しに行かなくてもいいわ。これからもキスの方からやってくる。人生を懸けるだけの意義が人のキスには存在するのよ。あなたが伝えるキスは魂の学びになるの。一つ一つのキスを大事にしてみることね」
私は、他人の前でキスを出来ない代わりに得たこの能力で、他人のキスに真実を見出だすことを忘れていた。何かと言えば、時代のせいにして、キスが軽くなったと老害予備軍みたいに思っていたが、決してそうではないのだ。いつの時代だってキスはキスで、そのキスには意義があるのだ。軽くなってしまったのは、他人のキスを蔑ろにしていた私だったのだ。
寿司柄の言う通りだ。この能力で自分の人生を輝かせるのは自分自身なのだ。もっと他人のキスの意味を考える。大切にする。そうすることで、これからも私が目撃し続けて語ることだけで、もしかしたら誰かの幸せが一つ増えるかもしれない。私は、初めてキスが私のそばにいることに気付いた。
まだこの能力の折り返しだ。私はこの能力を使い切っていない。ラストスパートにはまだ早い。
私は、一生付き合う覚悟を決めて、寿司柄にこう尋ねた。
「なぁ。君は他人の前でキスをしたことあるのかい?」
寿司柄は、一瞬の躊躇いもなく答えてくれた。
「あるわ。その瞬間の視界には好きな人しか見えないし、幸福感で満たされるの。世界から祝福されてるってね」
私は、こういう女性が一人でもこの先増えてくれるのなら、そして世界に幸せを振り撒いてくれるのなら、それを全力で私の使命として全うし、今後他人の前で一生キスをすることはないと確信したのだ。
そして、左目のケアを毎日欠かさないと誓い、今までで一番ゆっくりとウィンクを噛み締めた。
願わくば、この記事を読み、他人の前でキスをしている人が増えることを願っている。そして、私が願えばそうなることを知っている。
私の左目は、今日も幸せにウィンクしている。
なんのはなしですか

エトワール寿司子のリーディングの全容を知りたい方は、こちらの記事です。あなたもキスをしたくなる。
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