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道をたずねられたソノサキに

 私はコンビニの駐車場で、私の愛車「伊勢原原子」に颯爽と乗り込もうとしていた。どの指先から「伊勢原原子」のドアに指を引っ掻けるのが颯爽と見えるのか、私の中での課題である。それは、きっと今日もどこかで私を見守ってくれているはずの女性にとって、いったいどこからが颯爽に見えるのかが分からないから、私を常に悩ませている問題だった。颯爽だって絶対に演じられる筈だからだ。

 それが起きたのは、私の右中指からか、それとも人差し指からかの決断を颯爽と迷っている時だった。

 私が「伊勢原原子」に乗り込もうとした、まさにその時に、一人の老人が私に駆け足で近寄って来ていた。それは老人と呼ぶにはふさわしい雰囲気だったので、私は老人だと判断したのだが、今となっては、本当に老人だったのかどうかも怪しい。

 私は、他の人よりも気配を察するのが得意だ。それは、剣道で培われた人を見るともなく、全体を把握する観察眼から来ていると思われる。一秒にも満たない世界で、想像出来る未来を経験から予測し、自分の正解だと思う打突をする。そんな刹那的な世界で生きてきた武士だと自負しているからだ。現代にも武士の系譜はきちんと息づいている。

 その代償として、人の気持ちを読むことはしない。人の気持ちを読む前に打突をするからだ。そのせいで普段から「人の気持ちを何も分からないわね」と言われているのだが、それは、人の気持ちを読む前に打突しているからに過ぎない。人の気持ちが分からない人間は、武士の可能性があることを知っておいて欲しい。武士の情けである。そして武士の中の大多数の人が、この打突グセが原因で、後の人生で人間関係の足を引っ張ることになっていることは自覚している。駄菓子菓子、そんな風に疎まれる気配を感じることには無関心でいる。まさに不動心である。

 この老人は、そもそも老人なのか。

 私は、駆け足で近寄ってくる老人のどこの姿を見て、瞬時に老人と考えてしまったのだろうか考えていた。きちんと駆け足が出来ている。足許がおぼついている感じはしない。だとしたら、その外見からだろうか。ワケの分からない薬のロゴが入ったキャップからだろうか。よく見ると足元がサンダルだったからだろうか。

 そうだ。サンダルだ。

 それはビーサンでもなく、スリッパタイプのサンダルであり、走る度にパンパンと足裏とのセッションをしていたからだ。その音にサンダルと老人の熟練のコンビプレーを感じたのだ。近寄る度に響くパンパン音。あの音は、長年連れ添っていないと出せない音だ。足に馴染んだのか、サンダルの方から老人に寄り添ったのかを聞きたいくらいのパンパン音だった。

 だからこそ、老人と感じてしまった。

 このパンパン音をどうしても、もう少し聞きたくなってしまっていた私は、愛車「伊勢原原子」に手をかけるのを少しだけ待ち、「伊勢原原子」に「少しだけ待っててね」と謝罪をし、老人の到着を待つことにした。相変わらずキレイにパンパンと鳴り響いている。右足のパンの方が大きいのは、右利きだからだろうか。

 「おじさん。ちょっと聞いても良いかな」

 はて、おじさんとは誰のことだろうか。一瞬後ろを振り返ったのだが、私の後ろには、おばあさんしかいない。「おばあさん」を、「おじさん」と間違えることが、近年多発しているとどこかで聞いたことがある。だけれども、私は紳士だ。この場面は、おばあさんに恥をかかせるところではない。私のことと理解して、対応するしかない。私は、おじさんとして生きている自覚には乏しい。だが、この老人は私のことをおじさんと一瞬で判断し、おじさんとして話しかけていることだと想定した。

 ところで、私のどこがおじさんなのだろうか。

 確かに、私はパンパンサンダル音で老人と判断して対応しようとしていたが、私は、老人におじさんとしてのパンパンは披露していない。何より、おじさんがどんな音を奏でるのか知らなかった。だからまったくおじさんとしての心の対応の準備が出来ていなかった。この判断の遅さは、もしこれが、剣道の試合だったならば、私はすでに一本取られている。パンパンフェイントに引っ掛かり一本取られている。

 この老人は、私に仕掛けてきている。

 これは、試合だと思った。幸い剣道とは、三本勝負だ。きちんともう一度チャンスが与えられる。私は先手「おじさん」を取られただけにすぎない。だとしたら、やり返さなければならない。決して、背中は見せない。

 それが、武士だから。

「そんなに、走らなくても大丈夫ですよ。しっかり聞こえてますよ。その音。走って足がもつれて、無理して転倒したら大変ですよ」

 絶妙な返しだ。私は小声で「その音」と明らかに老人には聞こえない声量で、答えている。これならば、私が老人を老人と思った理由にパンパンサンダルが加えられる。そして、老人としてカラダを心配しながら、接してきていると感じてくれるはずだ。先に仕掛けられたのなら、やり返すのが道義だ。私は「無理して転倒心配のフリ」で、技能的な一本を取った。

 老人は、私が仕掛けていることを察したようだった。なぜならば、私の言葉を聞いた瞬間に駆け足をやめ、パンパン音を止め、私の前で正対で構えている。これは、次に私がどのような動きをしても、しっかりと対応出来るようにしている正しい構えだ。これは、迂闊に飛び込めないと判断した。老人トラップに誘われている。

 一瞬の駆け引きで勝負は決まる。それが試合だ。間合い、呼吸、視線。そのすべてが誘うか誘われるかだ。私は、女性以外の誘いには乗らない。それを実践してここまで生きているから、簡単に老人には間合いを詰めさせない自信がある。私は、はなしを促すように右足をそっと前に出した。

「この近くの商業施設ってどうやって行くんだ?道分かるか?」

 誘いに乗ってきた。人は右足を前に出されると攻撃されると判断し、自分の手札を見せてしまう。老人は、技を繰り出すしかなかったのだ。これが意識の内側に入り込む誘い込みだ。私は、老人に思わぬ先制攻撃にあったのだが、そもそも私の基本は受けのはずだ。受けの木の子だ。私から仕掛けるのは、おかしい。ようやく私は冷静になっていた。

「商業施設だらけで、説明しようがないですが、察するに、そこの信号を左に行き、突き当たりに見えてくるのが、ららぽーとです。商業施設なんて聞かれたの、昭和以来初めてで、戸惑ってしまいました」

「名前なんて、どうでも良いんだよ。そこ左に行けば良いんだな。駐車場はあるのか?」

「駐車場。それは、お車を停車するところで間違いないですか?駆け足で近寄ってきたので、サンダルランニングされてるのかと思っていました。駐車場は、あると思えばあります。ただ、入口を通り過ぎたら厄介ですよ。道を間違えないように」

 ペースは、完全に私だった。ところどころに巧みにイラつかせるワードを散りばめている。道を迷っている老人に対して、さらに道を間違えるなと、二段攻撃をして逃がさない。私は怒っていたのだ、それを自覚していた。「伊勢原原子」とのドライブ前におじさんと呼ばれたことに。「伊勢原原子」は、決して私をおじさんとは思っていないのに、おじさんとして接している姿を見せてしまったことに怒っている。この世に自覚したおじさんほど、怖いものはないのだ。そして、さらに大人げないイタズラな少年心を覗かせて、若さを「伊勢原原子」にアピールしているのだ。

「入口が分からなかったら、出口から入るさ」

 この瞬間、とんでもない隠し技を魅せられた気になった。思わず笑みにさせられた。人が怒っている瞬間に、笑みをこぼすことはそうそうない。ましてや初対面のこの攻防で笑わせるなんて、考えられない。この老人は、いまだに冒険心を忘れていない。確かにそうだ。入口や出口など誰かが決めたルールに過ぎない。ルールは守るのが当然だが、私はいつの間にか、凝り固まったルールに乗っかってしまい、大人ぶって小技を繰り出している。私こそ大技大使だったはずだ。武士の心を完全に置き忘れたニセ侍だ。

 歳をとったのは私の方だ。私こそ、本物おじさんだ。

 この老人は、すでに道に迷っていて、私に正しい道を教えてくれと聞いてきた筈だ。それなのに、私を頼ったことすらも忘れていて、人間は道に迷ったり、入口すら間違えても良いみたいなことを宣言している。だったら、最初から聞いてこなければ良いのに。カッコいい。理不尽をひっくり返してきた。こんな荒技は、子供にしか出来ない。

 私は、自分の器の小ささを知り、パンパンサンダルのその音の大きさを知った。

 最初から私がおじさんと理解していれば、もっとこの老人に面白おかしく、あることないことを説明出来たのに、小さなことが引っ掛かって大事な遊び心を忘れてしまっていた。

 私の負けだ。

 私は、右足を引いて臨戦態勢を解いた。

「『おじさん。』まだ若いんだから、逆走はやめてくれよ。ニュースになっちゃう。きちんとルールを守るのが大人ですよ」

「『あんちゃん』に言われたら、気を付けなきゃな。あんがとな」

 老人は私のはなしを最後まで聞かずに、パンパンと戻っていく。走らずとも、より洗練されてパンパンと響いている。年上は敬うべきだ。私が、老人を、きちんと「おじさん」として迎えたら、老人は私を、きちんと「あんちゃん」として認めてくれた。

 私たちは、正々堂々と勝負をした。

 私は車に乗り込む老人に、小声で「もう一度聞かせてよ」とつぶやいたのだが、老人からその音が響くことはなかった。パンパンステージは、終わったのだ。老人は車に乗り込み、颯爽とコンビニから出ていく。私は老人の颯爽も悪くないねと、出し惜しみすることなく全ての指を使い「伊勢原原子」のドアを鷲掴み、颯爽とドアを開き「伊勢原原子」に乗り込み、老人の後ろに続いた。

 何かを出し惜しみするには、まだ早い。

 老人は、私が教えた方向とはきちんと逆に、ハンドルを切り、右に進路を取りながら、コンビニを後にした。

 ウインカーの明滅は、まるでパンパンと鳴り響いているように感じた。

 最初から、何も聞いてなんていないんだ。

 私は、老人を追いかけ奏でねばならない。

 出来れば、駆け足で。

 なんのはなしですか

 


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