東京生活に嫌気がさした私は、二十代後半から三十を迎えるまで三年ほど山籠りをしていた。人との仕事に疲弊し、自然を相手にする仕事に没頭した。この三年ほどで、私は「人」は「自然」には勝てないことを知る。
この経験は、現在の日常生活においても大いに役立っている。SNSなどによる大概の人間関係を何とも思わない。「人」は自然に生かされていると知っているからだ。
当時、山を下り、地元に帰るのは月に一度か二度だった。体脂肪が計測されないくらいのカラダだったので、肉体労働としては過酷だったのだと思う。
職種は地質調査という。地質調査といえば聞こえは良いのだが、私が従事していた仕事は、肉体労働の最たるものなのではないかと感じる。
仕事内容は、ダムやトンネル計画の地盤調査や、地滑り、土砂崩れなどの災害後の地盤調査である。
天災による人的被害のない災害後の山などでは、ビックリするくらいの生温かい土の匂いを肌で感じていた。香る、匂うとかでなく、肌に取り込まれるような、空気そのものの存在に覆われる感覚だ。地滑りなどで掘り返される土は新しく生きていることを感じた。災害と人は呼ぶが、生きていて新しく誕生する運動なのではと感じてしまっていた。
人は、人にとって都合の良い解釈をして事象を名付けているのだと思ったことを思い出す。
そういう、生きている山肌を何十メートル、何百メートルと、人工ダイヤを付けたドリルで、山の斜面に対して垂直に機械の力を借り、掘削していき、そのコアと呼ばれる岩盤のサンプルを採取し、地層を明らかにするのが仕事である。
地盤調査に用いられる機械は、簡単には壊れないように作られているため、ものすごく重い。
その心臓部であるエンジンになると、100kg近いものにもなる。機械の総重量は、200kg近くとなる。それに、ロッドと呼ばれる3メートルの鉄の棒を繋ぎ合わせて、1メートルずつ掘削していく。1本8kgほどある鉄の棒を機械で吊り上げながら、掘っていく。1メートルのコアを採取するのに、その都度ロッドを引き揚げる。引き揚げるのは機械だが、繋ぎ目を外すのは人の手だ。外して並べて、外して並べて、ようやくコアを採取する。
一本、一本ロッドを外すのに、手で回していく。この捻り作業を永遠に繰り返す。コアを採取すると、またそのロッド達を手で回しながら、繋ぎ合わせる。つまり、100メートル近くのコアを得るのに1メートルごとに、三十本以上を毎回上げ下げすることになる。
はじめた頃は、握力が無くなり箸も握れなかった。すぐに辞めようと思ったのだが、人と関わるよりも、機械や自然と対峙した方が、その時の私は面白かった。自分の肉体の限界まで働く毎日が性に合っていた。
この機材一式を何もない山の斜面のポイントに持っていくということは、斜面に対して物が置けるような、足場を組み立てなければならない。機材を置くステージが必要になる。
足場を組み立てるには、長い単管や、クランプといった単管同士を繋ぐ足場材を運ばなければならない。
そして、まず何よりも重要になるのは、そのポイントまで資材を運べるように道をつくることになる。
私が向かう現場は、整地された登山道でも何でもなく、とにかくそのポイントへ向かう。
そこは、山だ。
そこに山があるから。という名言ではなく、
そこは、山だ。
道。人が歩けるくらいの道を、鎌やノコギリを手に持ち、斜面に沿って先ずは獣道風に道を作っていく。作った道に、足場材や、組み立てた段階では、重すぎて持てないバラした機械や物を運べるように、モノレールを走らせるレールを敷いていく。
みかん畑にあるようなアレだ。
すなわち、掘るに至るまでの過程で、まずこれだけの事をすることになる。
これを、私は二人でやっていた。
これは、私と先輩ヒサシの物語。
ヒサシとは、私が今まで出会った中でも群を抜いての野生児だ。とりわけ話が通じたことがない。
サービスエリアの食事で「海鮮三昧」をウミセンサンミ。ウミセンサンミと指差しながら連呼し、私が店員に通訳しないとならないくらいの人物だった。
「木の子くん。これは、エビ、イカ、マグロだからサンミじゃん」
「まったく何言ってるか分からないです。サンミとはそもそも読みません」
「まったく何言ってるか分からないのは、オマエだよ。木の子くん」
という漢字がほぼほぼ読めない日常が、至るところで繰り広げられるのだが、私はヒサシが持つ、そのパワーと体力だけは、人外のソレだったので、先輩ヒサシを一目置いていた。
少なくとも三人分は一人で働くので、ヒサシといると、とても仕事が進む。それなのにヒサシは、他の社員からその無尽蔵なスタミナのせいで、一緒に仕事をするのを避けられていた。
そんなこともあり、私は長くパートナーになっていた。人を相手にするよりも、ヒサシを相手にすることを選択していた。人疲れしていた私は、人ではないヒサシとの対応が楽だったからだ。
この日は、二日かけてモノレールを張り終わり、足場を組み立てる日だった。足場を組み立てるには、実際はかなりの計算が必要になる。ポイントとなる場所に、正確にドリルが当たるように機械を据えなければならないからだが、ヒサシはこれが得意だった。
漢字は読めないが、自然との会話は誰よりも出来る男だった。ヒサシの言う通りに単管を斜面に対して垂直にハンマーで打ち込む。この土台となる足場は、しっかりと打ち込まないと崩れる危険があるため、大変なことになるのだが、途中で岩盤に当たったりして刺さらないことがある。
「これ、当たってます。刺さらないです」
「木の子くん。刺さらないものなど、世の中にないよ」
ヒサシが、ハンマーを振り下ろすと、岩盤に見事に突き刺さる。私は、この力だけを信用していたので、ことある毎に「刺さらない」とヒサシに打ち込んでもらっていた。そうすると、私自身の体力を温存出来るからだ。
斜面にてハンマーを振り下ろすのは、実は相当難しい。踏ん張る場所を間違えると力がまったく伝わらない。そして、半端な力だと時間ばかりかかって一向に進まない。出せる限りの力を振りかざす必要がある。
「刺さってからが足場だから」
「そうなんですね」
ヒサシは、誇らしげにワケ分からないことを言う。ワケは分からないのだが、機械を据えると不思議とピッタリと収まる。そして、バッチリと水平が取れている。こればかりは、毎回信じられなかった。
「どうして、こんなにピッタリなんですか?」
「ピッタリ持ってきてるからじゃん」
これ以上聞くことをやめた。
岩盤を掘るには、水が必要になる。先端を冷やしながら進まないと熱で人工ダイヤの刃がダメになってしまうからだ。この足場から水場になる川を探すのだが、太めの高圧ホースを両肩にかつぎ足場から一直線に道なき道を下っていく。
途中からホースなのか蛇なのか分からないのが、面白かったりする。道なき道には、どんな蟲や生き物がいるか分からない。乾燥している山なら良いが、湿っている山だと、足はとられるし、人間がいてはイケナイ場所に思えてくるから不思議だった。
人は、ほぼ無力だ。
そして、高圧ホースはなるべく足場から一直線にしないとならなかった。冬場は高圧ホースの中にある水が凍結してしまうからだ。この日は、私が山を下りる番だったので、足場に高圧ホースをくくりつけ、伸ばし切ったら合図をするので、もう一巻き、高圧ホースを持ってきて欲しいと頼んでいた。
私は、高圧ホースを伸ばし終わり、呼子と言われる音が鳴る機械で合図をした。山に響く呼子の音は、獣の遠吠えのように、けたたましかった。この音がヒサシに聞こえていれば、作業をやめ、合図が返ってきて、高圧ホースを持ってきてくれる筈だった。
全然鳴らない。返事が返ってこない。
私は、何度か試みたが、やはり合図は鳴らなかった。そのうち、高圧ホースが揺れてきたので、コチラに近付いて来ていることは理解出来た。山の隆起や草などで、斜面を下ると周りは全然見えない。
そのうち、ヒサシの声が聞こえたので、私も声を出し、ヒサシと合流した。
ヒサシは、ホースを持っていなかった。
「ホースどうしたんですか?」
「クワいた」
ヒサシは颯爽とクワガタを捕まえていた。
「ホースどうしたんですか?」
私は、念のためもう一度聞いた。
「15時だから。飲も」
ヒサシは、15時だからクワガタを捕まえていて「休憩だよ」と珈琲を手渡してくれた。
私は、クワガタと珈琲を受け取り、なぜだか一緒に山を登り、ヒサシと足場の上で仲良く座りながら珈琲を飲み、クワガタをソッと逃がした。
この時の珈琲は、自然と人の間を繋げる存在として、確かにそこにいた。
休憩には、珈琲だと唯一二人とも最初から知っていた。おそらくこの山には私たち二人しかいない。自然の中で、圧倒的に小さい私たちは、無力や弱者というものを肌で知っていた。人が住む街は、世界のほんの一部でしかない。珈琲で、人としての寂しさを紛らわしていたのかもしれない。
私は、高圧ホースを抱え、再び山を一直線に駆け下りた。
動噴と呼ばれる非常に重いポンプで高圧ホースを繋げる機械本体を、川までヒサシに持ってこさせるために駆け下りた。
ヒサシは、何とも感じずに下りてくるだろう。
今年の夏。久しぶりにヒサシから連絡があった。

なんのはなしです珈
私は安心をした。そして私は、彼に自分たちの珈琲でも贈ろうかなと密かに思っている。
朗読されました。嬉しい。素敵。
コニシ木の子の「なんのはなしですか」は、コチラになります。読んでも何も残りません。
ヒサシ三部作。今は書けない昔の文体である。
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