スクランブル交差点
中学校の頃だった。
何年だったのかは、定かではない。
その日、朝から俺はソワソワしていた。
それは、新聞の折り込みに入ってくるような、地域コミュニティの話題を扱う、フリーペーパーだった。
親父に見せてもらった記事だった。
教室のドアを開けた時、情報通のホリが寄ってきた。
「木ノ子読んだか?」
「あれな、お前も見たの?」
「見たよ!行こうぜ」
「部活終わったら行こうぜ」
その日、記事に出た事。
「伊勢原市に初のスクランブル交差点誕生」
神奈川県伊勢原市。箱根と新宿を結ぶ小田急線伊勢原駅を中心に発展する、ベッドタウンである。都心新宿駅から急行列車で約一時間。
一時期、平成の大合併に伴い「湘南市」なるものが誕生するかも知れないという事で、町中パニックになるくらいの町である。意地でも湘南市の一員になりたかったのである。
無論、湘南市なるものは誕生する事はなく、その
名残として全く海に面していないのに、車はれっきとした「湘南」ナンバーである。
自虐も込めて俺達は、合コンでは「山の湘南出身です」
と一応利用させてもらっている。
「なにそれ~しらない~♥️ウケる~」
「来てみて来てみて😍一緒に山のぼろ♥️」
までがセットである。
口の上手いポップなどは、
「伊勢原で海で溺れる事はないけど、君に溺れるかも♥️」
「やだ~この人面白い~♥️」
までがセットである。
そんな男子になるとは、微塵も思っていなかった中学生。
スクランブル交差点が、伊勢原に出来るのは、天地がひっくり返るくらいの出来事であった。
今でこそ、駅前もスクランブル交差点なのだが、なぜか駅前ではなく、住宅街の一角だった。
それにも関わらず、ついに、都会の仲間入りかと、クラス中その話題で持ちきりだった。
情報通のホリは、渋谷のスクランブル交差点を渡った事があるはなしをクラス中に話していた。
思春期に入り始めた俺達は、東京で服を買うというのが一種のステータスになり始めた頃なのだ。
オシャレな女子は、雑誌とかを学校に持ってき始め、急に遠い存在になり始めた頃なのである。
俺などは、全然目覚めてなく、おそらく親戚のおさがりか、中学校イチューの青ジャージで過ごしていたかだ。
渋谷のスクランブル交差点は、映像でしか見たことがない。
あんなすごいのが、伊勢原に出来るのか。
これはすごい事が起こった。
行かなきゃ。行かなきゃ、乗り遅れる。
疎い俺でもスクランブル交差点というナウい言葉に、神秘的な何かが生まれるだろう予感がして、トキメキを隠せなかった。
その日、なぜか部活が速く終わった。
ホリは、違う部だったのだが、彼も速く終わったらしい。
とりあえず、現地に向かう。
学校から現地までは、2キロくらいある。
俺達は早足で向かった。
途中、あることに気付く。
普段、見ない先輩や、帰る方向が違う人達が一目散に同じ方向に歩いている。
青ジャージの大行進。
「木ノ子、まさかこれ、皆向かってるのか?」
「そんなワケないだろ」
チャリの先輩が通りすがる。
「木ノ子先に行ってるぞ」
マジか。皆向かってるのか。
歩きは、いつの間にか早足に、早足は、いつの間にかジョギングに。
着いた現場は、人がいっぱいだった。
なにするでもない。ただ渡るでもない。
青で《斜め》に渡るのだ。
「俺達も渡ろうぜ木ノ子」
その時だった。
俺の初恋の先輩が、彼氏と渡ってる。
俺は、彼氏がいたことに対するショックがあまりにも大きすぎて、一瞬で立ち去りたくなった。
「こんなに人がいっぱいいるのに、渡るのカッコわりぃよ。渡るなら渡れよ。俺帰る。」
なんのはなしですか
「カップルで渡ったら別れる」と噂を流そうと思い立った日のはなし。
家に帰ると親父が近付いて来た。
「今日、交差点渡ったぞ」
恥ずかしさに打ちのめされた日のはなし。
伊勢原に来たときは願掛けしながら、斜めに横断してね🎵
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