海の家とポップのヒトナツの恋~開幕編~
ことの始まりは先月のことだった。私は、湘南と呼ばれる地域で、友人であるポップと先輩と三人で呑んでいた。先輩は、東京からはるばる湘南にやって来るというので、私とポップは、久しぶりに先輩と一緒に呑める喜びで溢れていた。楽しいお酒はとても心地好いものだ。
私は仕事帰りに立ち寄ったため、少しだけ遅れて到着した。夕方から呑んでいた二人はすでに出来上がっていたが、久しぶりの再会は当たり前のように昔話に花が咲き、あと何回、同じはなしを繰り返そうかと、宴の盛り上がりの最高潮をまさに迎えていた。
だが、夏とはそうもいかないシロモノだった。
ポップの様子がおかしい。
さすがに、四半世紀ものお付き合いになると、友人がおかしいのか、おかしくないのかは、瞬時に判断出来るようになる。三杯目のレモンサワーを呑んでいる時からポップは、携帯を私たちに見せるタイミングを見計らうように、右手を差し出しては戻し、差し出しては戻し、を繰り返していて、それはさながら水戸黄門の印籠みたいなステップを繰り返していた。私は、六杯目のレモンサワーの十何度目かの印籠が眩しく差し出されたタイミングで、私の予測に基づき、きちんとポップを促すことに成功した。
「行くことが正しい」
ポップは、私に囁かれたこのたった一言で、今まで見たことのない透き通った目をしていた。もともと、濁りの少ない瞳で女子たちにモテていた学生時代だが、一瞬で時を戻す私の一言にその言葉の重みを知る。それは、はじめて私に厚焼き玉子を食べさせてくれた高校時代の大磯ロングビーチを思い出させるには容易で、青年になりかけたくらいと同じような純情な目をしていた。ポップは、すでに一つの決断をしていたみたいだった。決断と表現するよりも、決意に満ちたと表現した方が良いような、まさに厳粛な雰囲気だった。その空気に促され、私はタバコを吸うのを止めて、煙に巻いた世界から戻り、さぁカモンと心の準備をした。ポップは、充分に店内の空気がキレイに整ってから、やっと印籠を私たちに見せ、この場の主役を担い、ゆっくりと話し始めた。
「この前、ドレスをプレゼントした夜の蝶から、たった今、三ヶ月振りに連絡がきたんだ。そして、なんと今日限定で、そのドレスを着ていると告白した。これは告白だ。そして今、出勤しているよと俺に囁くんだ。俺が忘れようとしていたタイミングで囁かれるからたまらない。なぁ。これは、いったいどういうことだと思う?」
ポップは、囁かれた嬉しさを私たちに隠そうとはしなかった。誰だって一度は囁かれたい。そんなポップを見て、私も自分の携帯にかなりタイプの女性から囁かれているはずだとチェックをしてみたのだが、私の携帯には何も囁かれている形跡はなかった。私は、何もなかったということを認めたくはないので、この店内は圏外だと思うことに切り替えた。
ポップは、お気に入りの夜の蝶にプレゼントしたドレスを、意気揚々と私たちに掲げて見せて、その心はすでにしっかりとお店へと向かっていた。後は、行けと私から言われるのを待っていただけだった。
たしかにそのドレスは素敵であり、私も脳内でかなりタイプの女性に瞬時に着せてみたが、瞬時に着せられる能力より、ゆっくりと着替える姿を見る能力の方が嬉しい気がして、自分の能力を恨んでいたが、想像する限りワクワクが止まらないことを認めた。これは、フフフドレスだ。
私は、三ヶ月放ったらかしにされていた男が、たった一つの囁きと、そのフフフドレスを着ているという、本当か嘘かも分からない情報を鵜呑みにして、それをイキイキと語ることが出来る姿に、心から感動していた。人生で良い友人を持つことが出来て、とても幸せだと心のなかではきちんと拍手をしていた。
「それは、君に会いたいということだと、読書家の私ならば思う。私がもしそういう小説を書くのなら、間違いなく会いたいという女性ならではのサインとして描く。やはりこれは、行くべきだし、それが正しい四十四歳のすべきことだ」
「読書家が言うんじゃ間違いないな。お前が書いても読まないけど、やはり、四十四歳とはそういうことか」
ポップは、都合の良い時だけ読書家である私を持ち上げるが、私が書くものを一生読むことはない。その代わり私は、ポップを著作権フリーで描ける契約をしている。ギャラは、私のかなりタイプの女性を生涯紹介するということで成立している。これはこれで、悪い条件ではなかった。なぜならば、かなりタイプの女性を探すということは、日頃から私の生活には欠かせない日課であり、それを大義を持って探すことが出来る毎日だからだ。
先輩は、横で何も言わずに私たちのはなしを聞き、焼酎を片手にただただ大きく頷いていたのだが、すでに酔っぱらってしまっているので、私たちは焼酎をずいぶん前から水に差し替えている。気遣いブラザーズ。人からそう呼ばれるのも時間の問題だなと思っている。そんな先輩は、おもむろに紙袋からお土産を取り出し、ポップに手渡した。
「これを、家族に渡してくれ」
さすがに、東京にいるような先輩ともなると、お土産を持参してくるのかと、私は一瞬感心していたが、その紙袋を見る限り、どうやら私の分はなさそうだったので、これはいったいどういうことだと思っていた。
ポップは、素直に先輩からのお土産を受け取り、足早にお店を後にした。背中には蝶の羽が生えたみたいで、軽やかにヒラヒラと飛び去っていった。
駄菓子菓子、ヒラヒラよりも私は、どうして私の分のお土産はないのかと、その事が気になり、先輩を終電まで問い詰めることにした。
「少しでも家族を思い出すことが出来るのならば、お気に入りのその彼女にも、焦らずに優しく接することが出来るだろう。アイツは、焦ってしまっていて、彼女に会いたかった衝動にかられて、そのままの勢いで空回りしそうだったじゃないか。それに、あのお土産は本当は私へのお土産なんだ。私が取引先から貰ったんだ。私より、ポップの家族が貰った方が嬉しいさ」
話していることは最低の先輩だったが、先輩の間違えた優しさに、少しだけ感動したことは否めない。それでも私はやはり納得がいかなかった。
「はなしは分かりましたが、とてもズルいです。というわけで、今から私のお土産もお願いします」
こうして、終電間際なのに私は先輩からタバコを買ってもらい、ニコニコと家路へと着いた。家に帰り、ポップからその後の連絡と、一枚の写真が送られてきた。

ポップは、夜の蝶にしっかりとお土産を渡していた。私は、すかさず先輩に連絡を取り、深夜にこう囁いた。
「彼にとっては、家族なんです」
そう。彼女だってポップにしたら三ヶ月ぶりに会う大事な家族だ。いや、家族になる予定かもしれない。これぞポップであり、私が知り得る限り最高の男だ。続くポップのメッセージには、こう記してあった。
「お客さんがいっぱいで全然話せなかった。これじゃオチにもならない」
充分にオチてるぞと言いたかったが我慢した。きっとその日のポップの後ろ姿は、伊勢原イチ哀愁を帯びているはずだと感じていたし、その後ろ姿を見て記録したいとも思っていた。おそらくその後ろ姿からは、かつて誰も描いたことがない名文が生まれそうな気がしていた。
はなしは、これで終わるのかと思っていたが、このはなしには、さらに続きがあった。
「来月、熊本からタケさんが神奈川に来て、海の家でLIVEするから、夜の蝶を誘ってみる。だから、お前も誰か誘って一緒に海に行こう。レッツゴー」
私の夏もはじまった。はじまりは、いつも突然であり、鳴らすのはいつもポップだった。私は、思い浮かぶ限りで一番のかなりタイプの女性を誘う決心をした。こういうことがないと誘えないので、やはり私はポップに感謝しているのだ。
なんのはなしです夏
このはなしは、フィクションではありません。
連作短編になります。
次回~かなりタイプの女性編~
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