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 桜を見るより、桜を見ている女性がキレイに思えてしまう季節が今年もやってきた。十八歳の僕に「桜の花びらは女性にしか乗らないの知ってる?」と教えてくれた女性のことを桜が咲くと考えてしまうのは、きっと何年経過していても自分の中の感傷的な部分をあえて失わないようにしているだけなのかも知れない。

「夜桜を見たことがないの」

 彼女は、アドリブみたいにそう告げた。そしてそれは「見たことがないから何?」とは僕には聞けない類いのものだった。彼女は僕の気持ちにとっくに気付いていて、そしてそれが僕の一方通行だということを僕だけでなく、彼女こそ知っているのに、そういうことを自然と言えてしまうのだった。

 そして、何よりも厄介だったのが、そういう表現をしてくる彼女に、僕が好きな理由を重ねてしまっているのだから、どうしようもないものだったのだ。

 「連れてっても良いけど、満開かは知らないよ」

 僕は、僕に出来る精一杯の素知らぬ言葉で彼女を誘っている。誘うように誘導されているのを知っているのに堂々と誘っている。そして、その動揺を隠すように、煙草を吸って、煙で彼女を見つめる視線を隠すように数秒を稼いでいる。その間が僕を少しだけ安心させる。

 「君の煙草吸ってる姿、好きよ」

 僕の逃げ場を失くすように、彼女は僕を裸にする。条件付きの好きは、僕の気を引く常套手段に過ぎない。分かっているのに、僕は容易く引っ掛かる。

 あなたの前で煙草を吸っている時間なんて、せいぜい五分だ。残りの二十三時間五十五分を捧げている相手に嫉妬していることすら知らないのだろう。

 待ち合わせは宵闇で、彼女の表情をしっかりと把握出来るぎりぎりの時間帯は、僕にとってはとても有り難かった。

 彼女の表情を知る時間を一瞬でも欲しかったからだ。僕は、彼女が僕を認める前に彼女を見つけなければならない。僕を認識していない時間に彼女は何を思って待ち合わせ場所へ来ているのか知らなければならなかったからだ。

 幸い、僕が認めた彼女は、待ち合わせ場所には来ていたが、本を手に持ち没入していて周りの空気を完全に遮断していた。

 別世界を覗いている伏し目がちなその表情は、とても美しかった。何かを遮断していて何も届かないようにしているのに、届けようとしない美しさだけは溢れていて、ズルいと思わせるには充分だった。

 僕は散々、彼女がどういう気持ちで来ているのかを知りたかったはずなのに、それを瞬時に忘れていた。伏し目がちで視線を落とす彼女の佇まいと、僕が声をかけたら長い髪をかきあげて、上目遣いに視線を送ることを想像してしまっていたから、もう僕には手遅れだった。

 美しいと思ってしまう衝動は、簡単に準備してきた思考を塗り替えてしまうということを知ってしまった。

 僕は、何も言えずにただしばらく見惚れていて、彼女が僕に気付くのを待っていた。時間にしたら数秒だけど、この数秒は、自分の認めたくはなかった独占欲を満たすのに充分だった。

 僕は、車に彼女を乗せて夜桜を見に行った。車内では、続かない会話を煙草で繕って時間を稼いでいた。

 吸わない時間は煙草の火種で焦がして穴が開いたシートを指でずっと撫でていた。穴は埋まらないことを知っていた。

 夜桜を見たことがない彼女に、僕は歩いて桜が見られる場所を案内した。何度も下見に来た桜はきちんと予定通りに満開で、僕に示し合わせてくれるように迎えてくれていた。

 「ちょうど満開じゃん」

 僕は、偶然を装うように会話の糸口を探す。彼女は、街灯で自然とライトアップされている桜にゆっくりと近付いて、桜を見上げていた。

 桜がキレイなのか、見上げる彼女がキレイなのか分からなくなっていた。

 どちらが、先にキレイになったのだろう。
そういう風に僕は考えていた。あまりにも、似合っていて、桜が咲く意味を知ったような気がしていてた。

 「桜の花びらは女性にしか乗らないの知ってる?」

 彼女は、少しだけ泣いているような声で僕に問い掛けてきた。もちろん、僕にそんな答えなど分かるはずもなく、そこに答が在るとも思えなかった。彼女は、僕が煙草を吸っているのをずっと見ていた。この瞬間は僕のことを好きなのだろう。

 そう思っていた。

 「君みたいに分かりやすかったら、誰も不安になったりはしないのかもね」

 泣いているような声は、僕のことを好きな時間だったはずの時間にも違う人間が存在していたことを、再認識させてくれていた。頭の中では、僕には何もチャンスがないことは分かっているし、どうすることも出来ないことを知っている。だけど、年上の彼女を僕は女性として見ていて、それは初めて抗えない性としての衝動が先に来るような女性だった。

 「俺の方が、ソイツより何回だって抱ける。寝てくれよ」

 若さから来る無知は愛を知ることもなく、直情で訴えることでしか抗えなかった。それは精一杯の純粋な誠意で、それをカッコ悪いこととも思わないで全身で伝えることが出来たことが、まだ当時の僕の救いだったのかも知れない。

 彼女は笑いながら答えてくれた。

 「例えば煙草をやめて、君はずっと私を見てられる?」

 この時に、何て答えれば本当の正解だったかのか僕が知ることもないが、

 僕は現在、煙草は吸わないし、桜の花びらは女性にしか乗らない理由を知っている。

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