ひらがなについて―あるいは、虚構と実在のVRChat―
ひらがなのはじめ
――Xをだいたいひらがなでつぶやくようにしたのは、VRChatをはじめてすこしたったころ、だったとおもいます。
それはとあるフレンドさんの魅力的なふるまいに影響を受けてのことでした。
もちろん、その人の真似をしたところでその人にはなれません。
ひらがなを使うことによって生まれる、ある種の現実との乖離がVRChatと相性がよいと思ったのです。
つまりは、現実の、お世辞にも綺麗とはいえない人格とVRChatの人格との、意図的な切り離し、ということです。

自己否定と無言勢
そもそも、VRChatを始め、そして続けているのは、現実の自己否定のゆえにほかなりません。
目を背けたいこと、直視してもどうにもならないこと、そんなことばかりのありふれた一つの人生から抜け出して、仮初めの救いを得ようと思ったのです。ちょっと大げさな表現かもですが。
無言勢でいることもそうした理由によります。
地声はもちろん、ボイチェンであっても、現実の話し方の癖や特徴を切り離すことは難しいかなと思い(さらに言えば、生々しい人格の露出を恐れて)、ペンとチャットだけという選択に行きつきました。あと誤爆もこわかった…。
初心者案内をしてくれたフレンドさんが無言勢だったというのも大きいです。

なのに旅
それにも関わらず、わたしは現実の話も比較的するし、写真をXに載せるし、旅行記のような何かもnoteに載せます。
思想と行動がちぐはぐです。
それは、やはり矛盾ではあるのでしょうけれど、実在を滲ませることによって、フレンドさんとの電子の海でのちょっと無機的な関係を強めたかった、ということなのだと思います。
同じ空の下にいて、同じ風が吹いているよ。
みたいな。

現在地とこれから
最近では、会話などでだいぶアレな中身がまろびでるようになりました。
Xでのつぶやきも、ひらがなに比較的こだわらくなりました。
……それらの意味するところ、それは、せっかく乖離させようとした人格の合流ということかもしれません。
理想とする人格が現実のそれに少しづつ浸食されて、もしくは逆に、理想としていた人格が現実に影響をおよぼして、無理のないかたちに落ち着いたということかな、と思います。
それが自己否定の転換を意味するわけではないのですが、でも、VRChatを始めた2年と少し前より、あきらかに肩の力は抜けたのです。
それもひとえに、あそんでくれるみんなのおかげです。
これからもわたしは、中途半端にひらがなを使って、中途半端に実在を滲ませて生きていくのでしょう。
現実世界で相まみえることがないとしても、どうか末永く、一緒にいてもらえたらうれしいです。
寄り添う温かさは、仮想を超えて、確かにそこにあるのですから。

