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凪へのアンサーレター/人生は一貫して凪

凪は無風。自分で答えを見つける時。
しいたけ。さん、これを答えとさせて頂きたく。長文をつらつらと勝手に書いていきます。

たぶん「凪」って、単に何も起きない時期ではないんだと思う。

むしろ、今まで自分を動かしていたものが、急に効かなくなる状態なんじゃないか。

それまでは「こうすればこうなる」「頑張れば前に進む」「この人に相談すれば何とかなる」「次はこれを目指そう」「こうしておけば嫌われない」みたいに、人生にはそれなりに風向きがある。

けどある時、それが全部効かなくなる。本当に。

頑張っても進まない。人に頼っても答えがない。今までのやり方を続けても、なんとなく違う。かといって、じゃあ何をしたいのかもわからない。だから「凪」。

外から風が吹いてこないだけじゃなく、自分の中からも「こっちへ行きたい」という風が吹かなくなる。これがたぶん、本のいう「凪」に近いんじゃないかなと。

そして「深海」は、私的には少しだけ違う感じがする。。。?

凪が「動けない」だとしたら、深海は「いったん世界から離れざるを得ない」に近いような。

明るいところで答えを探そうとしても見つからない。人の声も届かない。外からの評価も、正解も、励ましも届かない。だから一旦、沈む。で、「息を止めて待つ」という表現になる。

待つが怖い思っている時に「でも、これは人生を変えるチャンスなんです」と書いてあったら、は?となりそう。

凪の真ん中にいる人に「実はチャンスなんですよ」と言われても、「いや、帆が張れないんですが」としか思えない。

でも今なら、少しだけその意味がわかる気がする。

「凪に入った瞬間」って、実はその瞬間には凪だと気づかないことも多いものね、本当にそう。

最初は「なんか最近うまくいかないな」くらい。そのうち「何をしても手応えがない」になる。

さらに「じゃあ何をしたらいいんだろう」となって、最後には「……私、どこに行きたいんだっけ?」となるし、ここまで来て初めて、「あ、私、今までの風がなくなってる」と気づく。待ってたら吹くかしら、、、吹かない!!!

だから、凪って「何か特別な事件が起きて突然突入する」というより、自分をこれまで動かしてきた価値観や目的が、少しずつ効かなくなっていく過程なのかもしれないね。

風が吹いている時は、風向きに合わせて進むことができる。でも凪になったら、「風が吹いたら、そっちへ行こう」ができない。だから初めて、「私は本当はどっちへ行きたいんだ?」という問いが残る。

だからつまり「待つ」っていうのは、何もしないで耐えろという意味ではなくて「今まで自分を動かしていた風がなくなった状態で、次の風が生まれるまで、無理やり古い方向へ進もうとしない」ということなのかもしれないな。

そう考えると、昔の私がしいたけさんの言葉を借りると「凪」や「深海」という言葉に感じていた恐怖も、少し違って見えてくる。

私が恐れていた「凪」って、人生が止まることではなく、古い自分を動かしていた風が止まることだった。何もないことというか、プラスにならない事が苦痛と感じていた時が長すぎた。

風が止まると、「損得」「費用対効果」「交換条件」「周囲の期待」「こうすればこう返ってくる」みたいな、今まで自分を動かしていたものが効かなくなってくる。

ものすごく不安定に見える事。でも、その空白の中で初めて、「じゃあ私は、何がしたい?」が残る。だから、その本の著者が言っていた「チャンス」というのは、たぶんそういう意味なんじゃないかな。違うのかな。

凪は、人生が何もしてくれない時間じゃなくて、人生が「あなた自身の風を見つけなさい」と、外側の風を一旦止める時間になるよな。

そう考えると、ゾワゾワして仕方なかった「凪」と「深海」が、今では少し違って見えるね。

そして何より、凪を怖がっていのが、今こうして「結局、凪って何なんだろうね?」と眺められていること自体が、かなり大きなことなのかもしれない。

風が吹いていたら何処にでも勝手にいけて、いい意味でも悪い意味でもエスカレーター式だったんだ。どこかに連れて行ってくれてた

思い返してみれば、全部自分から行動して風を生み出せてたじゃないかと気づく。勝手に決められて!と思ったこともあったけど、こうなってやる!と自分で火をつけて行動していたんだ。

凪の期間があまりにも長すぎたと思ったけど、今も凪といえば凪。

進みたくなったら、進みたいのなら自分で風を起こす以外何もないジャマイカ🇯🇲

人生はいつでも凪だったんだよ。人と関わる事で、湖畔が時に海みたいになったり、疲れすぎて干からびたり。

凪、わるくなかったよ。今は無風で、無風がきつい様に感じたけど、無風だと周りを見渡せる時期にもなる。

ただし霞があると見えない。霞がある中で暴れてもすぐには晴れないから、霞が晴れるまで待つことも人生の一つ。

て必死に動き回っても、霞そのものは晴れない。むしろ、動き回ることで自分だけが疲れてしまう。だから、見えない時は見えないまま、霞が晴れるのを待つ。

「何もしない」とは全然違う。見えない時に、見えないことを受け入れる。動かない時に、動かないことを受け入れる。無風の時に、無風だからこそ見えるものを探す。そもそも目を瞑る。

霞が晴れたら、その時に「ああ、こっちだったのか」と進めばいい。

自分の人生だ。凪とはとても大事な大事なひとときだ。どう扱うかは、私の中では自分をまず中心に考えてだ。

周りの出来事はいつも後からついてくる。カヌーも自然を見たい時には手を止めて、もっと近くで見たい時には漕いで進むものね。人生は一貫して凪。

しいたけさん。わたしの中の答えはこれです。有料版は読まないですけど、これを答えとしようとおもいます。(本当に勝手なんだから😇)

とてもいい時間でした。ありがとうございます🪽

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