自分の常識を疑え。「当たり前」に埋もれて心が枯れる前に、境界線を超えて世界を広げるヒント
誰かの行動を見て、思わず心の中で(あるいは声に出して)驚いてしまった経験はありませんか???
私にとってのそれは、知人が「クリームシチュー」をご飯にかけて食べている光景を見たときでした。
「え???クリームシチューってご飯にかけるの???」
「え???かけないの???」
ってな感じで、その子は子供の頃からクリームシチューはご飯にかけるものだったらしく、その斬新な発想に私の中の常識がガラガラと崩れ去ったわけです。
でも、ふと立ち止まって考えてみました。
「ん???あれ? 私も似たようなこと、やってる?」
実は私、チキンマックナゲットに「醤油」をつけて食べるのが大好きなんです。
きっかけは、昔、勤務していたマクドナルドの近所にあった小僧寿しさんでした。
お寿司についてくる小袋の醤油が、なぜか事務所にどんどん溜まっていく時期があって。「これ、ナゲットにつけてみたらどうかな?」と試してみたら、これがもう、びっくりするほど美味しかったんです。
特に、揚げたてのナゲットならソースより醤油が断然おいしいのですよ。
けれど、それを知らない人から見れば、きっとシチューをご飯にかける光景と同じように「ギョッ」とされるものかもしれません。
私たちは、自分が育ってきた環境や経験の中で、無意識に「これが普通」「これが正解」という自分だけの常識を築き上げています。
けれど、その「当たり前」の境界線は、一歩外へ出れば驚くほど曖昧なものなのです。
その「当たり前」、実はあなただけの特別かも?
クリームシチューとナゲットの醤油が教えてくれたこと
自分の常識が覆される瞬間というのは、少しの戸惑いとともに、大切な気づきを運んできてくれます。
「シチューをご飯にかけるなんて」と否定するのは簡単です。でも、実際に食べている人にとっては、それが一番美味しい食べ方であり、立派な「正解」なんですよね。
ナゲットに醤油をつける私を、当時の店舗の仲間が面白がって受け入れてくれたように、視点を変えれば「変なこと」は「新しい発見」に変わります。
「ギョッとする」側と「美味しい」側の間にあるのは、ただの「経験の差」でしかないのかもしれません。
誰もが持っている「マイルール」という名の眼鏡
ポテトチップスを箸で食べる。
目玉焼きにはソースではなくマヨネーズ。
お風呂から上がったら、どろどろの野菜スムージーを飲む。
そんな、他人から見れば「えっ?」と思うような小さな習慣やマイルールを、私たちは誰もが持っています。
それは、自分という人間を形作る大切な個性でもありますが、同時に、世界を見るための「度付きの眼鏡」のようなものでもあります。
その眼鏡を通してみる世界は、自分にとってはピントが合っていて心地よいもの。
けれど、その眼鏡が「唯一の正解」だと思い込んでしまうと、少しずつ心に窮屈さが生まれてしまうのです。
なぜ「自分の常識」に縛られると、心が枯れてしまうのか
正しさに固執すると、新しい風が入らなくなる
「こうあるべき」「これが普通」という思いが強すぎると、そこから外れたものに対して、私たちは攻撃的になったり、ストレスを感じたりしやすくなります。
「どうしてあの人は、あんなことをするんだろう」
「普通はこうするはずなのに」
そうやって他人の言動を自分の物差しで測り続けていると、心はどんどんトゲトゲしてしまいます。
クリームシチューをご飯にかけるなんて・・・!
って、本当はとても美味しいかもしれないのに、雰囲気だけで全否定しちゃうようになるわけですよ。
自分の正しさを守ることに必死になり、外から入ってくる新しい価値観や、面白い変化を拒絶してしまうようになるのです。
ジリ貧の正体は「視点の固定化」にある
自分の知っている小さな常識の中だけで生きることは、安全で楽かもしれません。けれど、それは同時に、新しい可能性の芽を自分で摘み取っていることでもあります。
同じ考え方、同じやり方、同じ人間関係。
変化を恐れて自分の殻に閉じこもってしまうと、心も生活も、どこか「ジリ貧」な感覚に陥ってしまいます。
新しい情報や刺激が入ってこない場所では、エネルギーは循環せず、少しずつ枯渇していってしまうからです。
世の中には、自分の知らない「面白い常識」が、まだまだたくさん眠っています。
世界を面白くする「柔らかい視点」の育て方
「へぇ、そうなんだ!」を口癖にしてみる
自分の常識と違うものに出会ったとき、まずは否定するのではなく「へぇ、そうなんだ!」と面白がってみる。これだけで、心の扉はふわりと開きます。
「ナゲットに醤油? 意外だけど、どんな味なの?」
「シチューをご飯に……! それ、どこの家庭の味?」
相手の背景にある物語に興味を持ってみる。すると、違和感は「好奇心」へと姿を変えていきます。
あえて「自分の外側」を体験してみる
食わず嫌いをしていたものを一口食べてみる。
いつもとは違う道を通って帰ってみる。
自分とは全く違う価値観を持つ人の本を読んでみる。
背景を調べてみるのも面白いですよね。
詳しく知れば、その「非常識」に理由があったことがわかって、納得できるかも知れません。
そんな小さな「実験」を繰り返すことで、自分の中の常識の壁は少しずつ低くなっていきます。
自分の外側にある世界に触れることは、自分を否定することではなく、自分の世界を「増築」していくような楽しい作業なのです。
小さな常識を脱ぎ捨てて、新しい世界へ
自分の常識を疑うことは、少し勇気がいることかもしれません。
でも、それは決して自分を否定することではありません。
むしろ、自分を縛っていた「こうでなきゃいけない」という鎖を解いて、もっと自由に生きるためのステップです。
自分の常識なんて、実は思っているよりもずっと小さくて、頼りないもの。
だからこそ、その小さな枠を飛び出して、もっと柔らかい視点で世の中を眺めてみてください。
そこには、今まで見逃していた面白さや、新しい出会い、そしてワクワクするような冒険が、きっとあなたを待っています。
