実話小説 : 森岡さんちのねこ 第2話「グレイの正体」
**いざ行かん、トリミングサロン!**
マンション前の桜並木通りはお店が並び、小道に入ると商店街へと続く。
引っ越す数日前に、どこに何のお店があるのかを確認しながら歩いてみた。そのまま15分も歩けば区役所にも辿り着く。
購入したマンションの立地はかなり良い。
そして、マンションから少し離れている所に
「トリミングサロン」があることも確認できた。
「グレイ、今日はトリミングサロンに行って、このベトベトの固まりを何とかしてもらおう」
私はグレイの背中のベトベトを触った。
毛が絡みつき、塊になっている。
グレイを鞄に入れて肩にかけると、急いでトリミングサロンへと向かった。
トリミングサロンは店内がよく見えるガラスドア。スペースはさほど広くはない。
最初に覗いた時は子犬のトリミングをしていたが、今日は運が良いことに、お客様は誰もおらずトリマーと思われる女性が、1人椅子に座って本を読んでいた。
私はガラスドアをそっと開けて、トリマーさんに声を掛けた。
「すみません。引っ越してきたばかりで猫を拾ったのですが、毛がベトベトで……。ここで綺麗にしてもらえますか?」
トリマーさんは立ち上り、トリミング台まで歩いてくると、私をじっと見て、少し早口にこう言った。
「猫を保護したの?よく捕まえられたね。暴れない?この台に乗せられる?」
「逃げ出すとまずいから、ドアは閉めるわね」
そう言うと、ガラスドアを閉め鍵までかけた。
私は「すごく人懐っこくて。捨てられた子みたいです」と言いながら、鞄ごとグレイを台に乗せ、鞄からグレイを取り出した。
トリマーさんはグレイを見るなり
「あっ!私、この猫知ってるわ!」と驚きの声を上げた。
**まさか、まさかのグレイの正体**
「この子、何年もここに通っていたのよ」と、トリマーさんは言う。
だから昨日、シャワーをかけても嫌がらなかったのか……私の疑問が一つ解けた。
「この子はね、お金持ちの家の子で、ここにシャンプーしに来てたのよ。
犬2匹と猫3匹と一緒に飼われてたの。
詳しいことは分からないけれど……なんか事業に失敗したかで借金取りが家まで来るようになったみたい。それで突然夜逃げして……。
これ、近所じゃ有名な話よ。
その時、犬2匹は一緒に連れて行ったみたいだけれど、猫3匹はそのまま置き去りにして出て行ったのよ。私もそれを聞いて、猫が餓死したら大変だと、すぐに保護しに行ったの。
2匹はすぐに見つかったんだけれど、この子だけ探し続けたけれど、どうしても見つけられなかったのよ。この子は怖がりだから」。
トリマーさんは嬉しそうにグレイを撫でながら
「この子どこにいたの?」と訊いてきた。
「桜並木通りで出会いました。人懐っこくて、自分からすり寄ってきたんです」
「ええっ!この子の家から結構離れているわ。この子怖がりで人見知りする子なのに……。
きっとあなたを選んだのね。
この子『サンタ』っていう名前なのよ。たぶんクリスマス生まれなんじゃないかしら」
「サンタ……。私、鼠色の子だから『グレイ』って呼んで。そしたら飛んで来たんです」
「あーっ。それは、一緒に暮らしていた猫の中に『グレイ』って名の猫がいたから。聞き覚えがあって飛んで来たのよ。
この子はアメリカンショートヘアのミックスだけど、他の2匹は長毛の洋猫で、すぐに欲しいっていう人が見つかったの。
私が里親を探したんだけれど、もう、かれこれ2年前の話よ。この猫、すでにおじいちゃんよ。あの時、たしか12、3歳くらいじゃなかったかな」
「えーっ!!!おじいちゃんなんですか?見えないですが……」
私は物凄く驚いて、グレイを見つめた。
「里親が見つかった2匹の猫は、あちこち病気してて、今、通院中って聞いているわよ。猫って腎臓が弱いの。水をがぶがぶ飲んだりしてない?」
「昨日、水を一気飲みしました。可哀想に。すごく喉が渇いていたみたいです」
「それは、腎臓が悪いから多量の水を飲んだのよ。普通はそんなに飲まないの。病院で診てもらった方が良いわよ」
そう言いながら、トリマーさんはグレイの固まった毛を持ち上げた。
「このベトベトしている毛を切り落とすから、ちょっとこの子を抑えてくれる?全部は取れないかもしれないけれど……」
私は、指示通りにグレイの脇腹を押さえた。
トリマーさんはグレイの固まっている毛をクシですくい上げ、ハサミで少しずつ切っていく。
「短毛種だから、上の方しか切り落とせなかったけど」
手で触るとグレイの背中の毛の塊が上半分なくなっていた。
あとはブラシで塊を一気に取った。
「ミャー!!!!」グレイは痛かったのであろう。大声を出した。
「よしよし。グレイ。仕方ないんだよ。でもね。綺麗になったよ」
私は背中を撫でながらグレイに話しかけた。
「サンタ、あんた、良い飼い主さんを見つけたね。本当に頭の良い猫だよ。
よく、2年間も生き延びたね。よく頑張った」
トリマーさんもグレイを撫でる。
「本当にありがとうございました。お代はおいくらですか?」
「サンタが生きていてくれたご褒美で、今日のはサービスでいいわよ。そうそう、必ず動物病院で診てもらってね」
「はい」
2年……。
お金持ちの家で育ってきたグレイが、2年間も一体どうやって生き延びたのだろうか……きっと、この猫は頭が良いし、強運の持ち主なんだろう。
私は運命のマンション購入からグレイとの出会い、そしてグレイの身元をよく知っているトリマーさんとの巡り合いまでを思い浮かべた。
この猫は、きっと神様からのプレゼントなんだ。大切にしよう。
そう私は改めて決意した。
私は深々と頭を下げ、トリミングサロンを後にした。
**いざ行かん、動物病院!**
最寄り駅の近くに、小さいけれど可愛い看板の動物病院がある。
『まだお昼前なので、開いているはず』
そう思いながら、動物病院へ向かった。
動物病院のドアは閉まっていたが、鍵はかかっていなかった。
恐る恐るドアを開けて中を覗くと、これまた運が良いことに、待合室には誰もいなかった。
「すみません。初めてかかるのですが……」
そう大声で言うと、中から白衣を着た優しそうな女医さんが顔を出した。
「こんにちは。初めてですね。私は獣医の鈴木です。今日はどうされましたか?」
「昨日、捨て猫を拾いました。たった今、トリミングサロンで身元が分かったのですが、水をがぶ飲みしているから腎臓が悪いのではと受診するように勧められました。診てもらいたくて。よろしくお願いします」
「カルテを作るので、お名前とご住所と緊急連絡先をここに書いて下さい」
女医さんは優しい声でそう言うと、私に申込用紙を手渡した。
「グレイちゃんね。アメリカンショートヘアのミックス。珍しいわね」
そう言うと、女医さんはグレイを診察台に乗せて体重を測った。それから全身をくまなくチェックした。
「この子、年取っているわね。すでに10歳は過ぎているわよ。歯槽膿漏だし。血液検査で腎臓がどのくらい悪いか調べられるけれど……費用がかかるのよ。どうします?」
「はい。必要なら治療をお願いしたいです」
「今日は予約が午後から入ってなかったから、助手を帰しちゃったのよ。
悪いんだけれど、採血する時、グレイちゃんの顎の下を撫で続けて、気をそらせてくれる?」
「はい。分かりました」
『人間のお医者さんだったら、血液検査するのに費用なんて全く気にせずに採血するけれど、動物だと健康保険もないし、高額だから確認するんだろうな……。人によっては動物の治療なんて出来ないのかもしれない』
そう考えながら、グレイの頭やら顎の下やらを撫で回した。
グレイは全く動じずに、採血は終了した。
「この子、昨日拾ったばかりなの?すごく森岡さんに懐いているわね。大人しくて、採血しやすかったわ。
血液検査の結果だけれど、腎臓がかなり悪いわね。点滴治療をしばらく続けたいのだけれど、費用がかかるのよ。あと、歯がボロボロだから、取れかかっている歯は取っちゃいましょう」
口調が柔らかく、優しさが滲み出ている親しみやすい女医さん。
私は心から安心し「はい。治療をよろしくお願いします」と、全てお任せすることにした。
「高齢猫だから、家の中だけで飼ってあげてね。『完全室内飼い』っていうのだけれど、猫は家の中でトイレを済ませられるから、散歩はいらないわ。猫は上下運動の動物だから、狭い空間でも生活に問題はないの。家具の並べ方を工夫すると、家具が運動道具にもなるのよ」
点滴をしている最中、女医さんが色々と指導してくれた。
「そうそう、猫も高齢になるとボケることがあるの。グレイちゃんは外で冒険してきたでしょう?完全室内飼いにすると刺激がなさすぎてボケる可能性があるわ。
丁度、うちの親戚が、生後2か月の子猫の里親を探している最中なの。森岡さん、もう一匹飼わない?」
「えっ!!」
まだ引っ越してきて1週間も経っていない。
急すぎる展開に、私の思考は停止してしまった。

