「エンジニアが足りない」のではなく、「AIが足りない」と気づいた一年
2025年、生成AIと共に過ごした一年
この1年は、これまで以上に生成AIを使って、文章を書き、プログラムを組み、仕組みを考えた年でした。
確かに、便利になった。速くなった。
それは間違いありません。
でも年末に振り返ったとき、心に残ったのはちょっと違う感覚でした。
「まだまだ、やることがあるな」
でもそれは、焦りではなく、
むしろ静かなワクワクに近いものでした。
「エンジニアが足りない」という言葉に違和感が生まれた
開発の現場でも、学びの場でも、
よく耳にする言葉があります。
エンジニアが足りない
時間が足りない
スキルが追いつかない
以前の私は、それを
「もっと頑張らなきゃいけない理由」だと思っていました。
でも、生成AIと仕事をする時間が増えるにつれて、
ある違和感が生まれてきました。
本当に“人”が足りないのだろうか?
「AIが足りない」と考えてみた
あるとき、視点を少し変えてみました。
「これは“自分が足りない”んじゃなくて、
ここにAIがいないだけでは?」
そう思った瞬間、見えていた世界がガラッと変わりました。
たとえば、こんなふうに見え方が変わった
調べるのが大変 → 調査するAIがいない
まとめるのがしんどい → 整理するAIがいない
過去を思い出せない → 記憶を補助するAIがいない
問題は「能力不足」ではなく、
必要な知的な役割に、誰も座っていない
だけだったのかもしれません。
AIは「使うもの」ではなく、「配置するもの」
たくさんAIを使ってきて、ようやく気づいたことがあります。
AIは、単なる便利ツールではありません。
書くAI
調べるAI
整理するAI
思い出させるAI
それぞれに役割があり、
どこに「配置」するかで、価値がまったく変わってくる。
それはまるで、人のチーム編成と同じです。
「どう使うか」よりも、「どこに座ってもらうか」。
そう発想を切り替えた瞬間、
やるべきことは、むしろ増えました。
でもそれは、苦しい増え方ではありませんでした。
「まだやることがある」は、希望のサイン
「AIが足りない」と考えるようになってから、
できていないこと=失敗ではなく、
できていないこと=拡張できる場所
という見え方に変わりました。
まだ、育てられるAIがある
司書のように知識を覚えてくれるAIは、まだ育てられる
思考を整理してくれるAIは、もっと任せられる
AI同士をつなぐ設計は、これからが本番
もう限界じゃなくて、
「まだ広がる」という感覚。
それが、今の私の足元を支えています。
2026年に向けて
来年、私がやりたいのは、
もっと速く作ることでも、
もっと賢くなることでもありません。
AIに“役割”を与えること
AIを、組織や思考の中に配置していくこと
人は「判断」と「意味づけ」に集中すること
そんな関係を、少しずつ築いていきたいと思っています。
もし、いま迷っている人がいたら
忙しさに疲れてしまった人
自分の成長に不安を感じている人
生成AIを使っているのに、どこか消耗している人
そんな方がいたら、こう問いかけてみてください。
「それは本当に、あなたが足りないんでしょうか?」
「そこに、AIがいないだけでは?」
おわりに
2025年、私はたくさんのものを作ってきました。
でも振り返ってみて、いちばんの収穫は、きっとこれです。
「AIが足りない」と考えられるようになったこと。
2026年も、やることはまだまだありそうです。
でもそれは、きっといい兆しです。
