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隠れるように生きてきた10年。柴犬と不器用なわたしのこれまでとこれから。


◇あの日から10年

あの日から、
わが家の環境、生活は一変した。

10年前の今日は、
新しい家族として、柴犬の男の子を迎えた日。


きっかけは、夫が実家で飼っていたわんちゃんが天国に行き、ペットロスになったことからだった。


ある日、
夫がペットショップで柴犬に一目惚れした。


一度はその場を去ったけれど、
また別の日に見に行くと、まだそこにいる柴犬。


抱っこさせてもらうことにする。


かわいい。
小さい。
おとなしい。


「こんな可愛い子が毎日家にいたら、幸せだろうな」
そんなことを想像して、少し胸がときめく。


一旦、その場を離れて、夫と話し合う。


夫は飼う方に気持ちが寄っているようだ。


わたしは…


わたしも、心が弾んでいた。


その瞬間は、
自分なりにもよく考えたはずだったと思う。


命あるものと、一緒に暮らすこと。
犬を飼った経験のないわたしに、ちゃんと世話することができるのか。
この場の盛りあがりで決めてはいけないことだ。

そう冷静に考えて、決断した。

…はずだった。



話し合いの結果、

なんと、この日から、わが家には柴犬が加わって
新しい生活がスタートすることになったのだった。




当時、わたしたち夫婦は、どちらもフルタイムで働いていて日中はほとんど家にいなかった。

その間、小さい子犬をひとりきりにさせるとはどういうことなのか、考えればわかったはずだった。

わが家に来た次の日から、
朝から夜まで10時間以上の留守番をさせた。


帰ってくると、ケージから抜け出されていて
家の中は排泄物でめちゃくちゃな状態だった。


急に連れてこられた知らない場所で
ずっとひとりきりで放置されたら、
寂しいに決まってる。

不安で不安で仕方なかったと思う。


わたしはここでやっと初めて、
犬と一緒に暮らすことの重さをちゃんと理解することになった。


あまりにも遅すぎた。


毎日こんな思いはさせられない。

ずっと鳴いていて、近所迷惑にもなってしまう。


わたしはすぐに、仕事を辞めることにした。



◇周りとのズレ

きっと、一般的には理解されないことだと思った。

「犬を飼ったから、仕事を辞めます」
とは言えなくて、
適当な理由をつけて辞めた。


親には「よく考えないからこういうことになるんだ」と言われた。


獣医さんには、付きっきりの生活もあまりよろしくないと、賛成はされなかった。



でも、わたしは仕事を辞めて、
ずっと一緒にいることを選んだ。


夫が仕事の日中はわたしが柴さんと一緒にいて、
わたしは、夫が家にいる夜の間に働こうと、
夜勤の仕事をすることにした。



ここまでの一連の流れ、決断に対してや、
この10年の間で、
色んな考え方を色んな人に言われた。


そのたびに「何も知らないくせに」と思った。


でもそれに対しては、
なんの言い訳も反論もすることはできない。

自分の無責任さが招いた結果だから、
言い訳をする権利がわたしにはないから。


何を言われても、
いま目の前にいるこの子のために、
自分の責任を今からでも果たすために、

わたしにできることは、
一緒にいることしかないと思った。


ただそれだけだった。







◇失ったもの

柴さんに付きっきりで、家にいるために、
行けなかった場所、
断った誘い、
失ったものも、ある。


そして、
そんなことがあるたびに発生する、
周りの理解とのズレ。


「もっとやりようあるでしょ」とか
「じゃあ最初から飼わなきゃよかったじゃん」とか。


そんな言葉を受け取るのも、思われるのも
ずっと怖かった。


この、周りのズレとのすき間の埋め方が
どうしてもわからなくて、
わたしは、
誰にも見つからないように
隠れるように生きるようになった。









◇それでも一緒にいた10年

それでも、この10年を振り返ってみると
そこにはわたしにしか得られなかった時間がある。

毎日一緒にいて、柴さんがくれる癒し。

夜勤から帰宅したわたしに、
眠いけど絶対に起きて「おかえり」をしてくれる優しさに何度も元気をもらったこと。

散歩で見せてくれる笑顔と、その景色と日常に
小さくて、大きな幸せを感じること。

一緒に重ねた年月だけ、次第に深まる絆を感じて
心があたたかくなっていくこと。


それは、
あの日、仕事を辞めたから。
家で過ごす時間ができたから。
穏やかな時間をくれたから。


だから、
感じられた思い、
気づけたこと、
変われたことがあった。

大切でかけがえのない、10年になった。


この10年のおかげで、
今のわたしがあることは、絶対に間違いない。







◇今思うこと

不器用すぎる選択と生き方をした10年だったと思う。


でも、わたしにとっては大切な10年で、


今なら、この選択が、生き方が、
自分らしかったし、
何度やり直しても、同じ道を選ぶと思う。



だから、今なら言える。


これでよかったんだよ。


何度も自分を責めたし、後悔した瞬間もあった。


でも今は、

「これでよかったよ、最高だったよ」と、

そう当時の自分に伝えたい。





◇柴さんへ

ありがとう。
一緒にいてくれて。
この10年をくれて。


君のおかげで、わたしはちょっぴり強くなれたし、
一生味わえないはずだった、お母さん気分も体験できたよ。



今までも、これからも、
わたしの願いは、使命は、ただひとつだけ。


君が、うちに来てよかったと思ってもらえること。


これからも、ずっと役目を果たさせてね。



おしまい







最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


「10年」という月日が、
自分の中ですごく節目に感じて、

「隠れるように生きてきた日々」を
言葉にしたくなったので書きました。


誇れるような生き方じゃないし、
いつまでたっても胸は張れないかもしれないけれど。


せめて、ここまでやってきた10年に、
あの時の自分に、
「これでよかったよ」と思ってることは伝えたいと思いました。


わたしは「普通の生き方」から外れて生きてきたと思ってます。

こういうこと言うと
「普通」って何?
誰が決めたの?
と言われてしまって、
また周りの理解とのズレが生じてしまうけれど。


でも、それでも生きてきた。
不器用なりに、理解されないなりに、生きてきて、
今、自分に「これでよかったよ」と言える。


それだけで、十分意味があることだなと思ってます。


もし同じように、何か理由があって
葛藤しながら生きてきた人がいたら。

この記事が、「ひとりじゃないんだな」と
少しでも思ってもらえる瞬間になったら、
うれしいなと思います。





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紬羽(つむは) お読みいただきありがとうございます🕯 そのあたたかさが、また次のことばを灯す力、わたしの書く力になります。 これからも一緒に素敵なあかりを灯せたらうれしいです。