モリ森問答ー改憲は制度の問題か、それとも欲望の問題か——
改憲をめぐる議論は、制度の話として語られることが多い。
しかし、その前にひとつの素朴な疑問がある。
私たちは、なぜ今それを「望む」のだろうか。
同じスタジオで仕事をする二人——
現実を重視する経営者の森さんと、少しひねった視点を持つ芸術家のモリさん。
日々交わされる対話の中で、制度と欲望、現実と認識が交差していく。
今日はそんな会話が聞こえてきた。
「改憲は何を変えるのか、それとも何を映しているのか」
森さん
最近よく話題になる改憲だけど、まずは現実的なところから整理しておきたいと思ってるんだ。
日本国憲法は戦後に作られたものだから、今の安全保障環境や災害リスク、社会構造の変化を十分に想定していないという指摘があるね。
モリさん
つまり、現実と制度のズレを埋めたいという話ですね。
森さん
そう。例えば自衛隊の存在は典型で、実態としては存在しているのに、憲法上の位置づけが曖昧だという問題がある。
それに加えて、緊急時に迅速に対応できる仕組みや、教育や新しい権利の問題も含めて、より実効的な国家運営を目指したいという意図もある。
モリさん
なるほど。国家の「主体性」を回復したいという側面もあるわけですね。
森さん
まさにそこだね。ただし、改憲は簡単にはできない。
日本国憲法第96条によって、衆参両院で3分の2以上の賛成が必要で、どちらかが否決すれば廃案になる。その上で国民投票の過半数も必要なんだ。
モリさん
かなり強いブレーキが最初から組み込まれていると。
森さん
そう。だから議論は現実的には絞られていて、自由民主党を中心に、
・自衛隊の明記
・緊急事態条項
・参議院の合区解消
・教育環境の充実
の4点が主な論点になっている。
モリさん
人権の問題はどうなんです?SNSではかなり強く言われているようですが。
森さん
確かに2012年の草案では「公益及び公の秩序」が強調されていた。ただ、現在の議論では人権条文そのものの大幅な変更は前面には出ていない。
ただし完全に消えたわけではなくて、主に緊急事態条項の中で問題になる。
モリさん
アクセルとブレーキの関係ですね。
森さん
そう。緊急事態条項は、内閣の権限を強化して迅速に対応できるというメリット(アクセル)がある一方で、私権制限や権力集中というリスクもある。
だから重要なのは、
「いつ発動できるのか」
「いつ終わるのか」
「誰がチェックするのか」
というブレーキがきちんと機能するかどうかなんだ。
モリさん
制度設計の問題として見るべきだというわけですね。
森さん
その通り。賛成か反対かだけでなく、「何ができて、どう制限されるのか」を見る必要がある。
憲法は理念というより、運用によって意味が決まるものだからね。
■「なぜ私たちはそれを望むのか」
モリさん
社長の話を聞いていると、制度としての改憲の姿はよくわかります。
ただ、少し気になる点があるんです。
そもそも、なぜ今それを「望む」ようになっているのかという点です。
森さん
…というと?
モリさん
ルネ・ジラールやジャック・ラカンの議論を使うと、欲望は自分の内側から出てくるものではなく、他者を参照して生まれると考えられます。
さらにユヴァル・ノア・ハラリのいう共同主観的現実やNexusを重ねると、その欲望はネットワークで増幅される。
僕なりに整理すると、こんなモデルになります。
① 人間は他者のイメージによって自己を形成する(ラカン)
② 欲望は他者を参照して生まれる(ラカン/ジラール)
③ その欲望は模倣として社会に広がる(ジラール)
④ 情報ネットワーク(Nexus)がそれを加速・可視化する(ハラリ)
⑤ 模倣が安定すると「現実」として共有される(共同主観的現実 ハラリ)
つまり僕たちは、情報ではなく、他者の欲望のあり方を共有しているんじゃないかと。
森さん
つまり、改憲したいという欲望自体も構造的に生まれていると。
モリさん
そうです。戦後を考えるとわかりやすい。
第二次世界大戦の敗戦によって国家像が崩壊し、新しい自己像として平和国家が立ち上がった。
その核が日本国憲法第9条です。
森さん
確かに、あれは単なる条文以上の意味を持っている。
モリさん
そして戦後の対立は、「正しいかどうか」ではなく、
理念的な他者か、現実的な他者か——どちらを参照するかの違いとして見える。
森さん
護憲と親米保守の違いが、そういう形で見えてくるわけか。
モリさん
その中で9条は特異な役割を持つ。
平和の象徴でもあり、制約の象徴でもあるから、あらゆる不安や対立がそこに集まる。
つまり、9条は単なる争点ではなく、
対立を引き受ける装置として機能してきたんです。
森さん
なるほど…だから議論が終わらない。
モリさん
そして今、その構造が変わりつつある。
台湾有事などのリスクや情報環境の変化によって、「平和であること」より「備えること」が欲望され始めている。
重要なのはここです。
憲法が変わる前に、すでに欲望の構造が変わっている。
森さん
…それは確かに本質的な話だな。
モリさん
そして仮に9条がその役割を終えたとしても、問題が消えるわけではない。
スケープゴートが別の対象に移るだけです。
自衛隊の運用、同盟、政治の意思決定、あるいは情報空間そのもの。
より具体的で、責任を負わせやすい対象へと。
森さん
つまり、議論の対象が変わるだけで、構造は続く。
モリさん
そうです。
結局のところ私たちは、現実を見ているのではなく、どの他者を見ているかによって現実を構成している。
そして政治とは、その「参照先」をめぐる争いでもある。
だから改憲の議論は制度の問題であると同時に、
**「私たちは何を欲望しているのか」**という問いでもあると思うんです。
森さん
……なるほど。興味深い視点ではある。
だが一つだけ確認しておきたい。
どの他者を参照するにせよ、戦争への欲望を煽るようなものであれば、それは明らかにミスリードだ。
戦争を避けること。
それは分析の問題ではなく——意思決定の問題なんだよ。
制度は変えられる。
だが、その前に問われているのは——
私たちは、誰の欲望を自分のものとして引き受けているのか。
そしてもう一つ。
その欲望は、本当に「戦争を避ける」という意思と両立しているのか。
もしそこを見誤れば、
どれだけ制度を整えても、同じ構造は別の形で繰り返されるだろう。
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