広い家=豊かな暮らしではなかった |住まいと空間のミニマリズム
家は、モノを置く場所ではなく、時間を過ごす場所なのかもしれない
子どもたちへ。
父はこれまで、いくつかの家で暮らしてきました。子どもの頃は団地に住み、そこから一軒家へ引っ越しました。
大人になってからはアパートを借りて、今のお母さんと二人暮らしを始め、その後、一軒家を買いました。
こうして振り返ると、団地、アパート、一軒家と、それなりに違う住まいを経験してきたことになります。
その中で最近よく考えることがあります。
暮らしやすい家って、どんな家なんだろう。広い家なのか。収納がたくさんある家なのか。駅から近い家なのか。それとも、モノがほとんどないスッキリした家なのか。
今の父には、どれか一つが正解だとは思えません。
ただ一つ分かってきたのは、家を考えるときも「そこでどんな時間を過ごしたいのか」が大切なんじゃないか、ということです。
今になって思う、団地の暮らしやすさ
私が子どもの頃に住んでいたのは団地でした。
昭和の終わりから平成の始まりくらいの話です。
当時はもちろん、「この街は住みやすいな」なんて考えていません。
ただ、今振り返ってみると、あの頃の暮らしはとてもコンパクトでした。
団地の近くには広場のような場所があって、その周りにスーパーや薬局、惣菜屋、パン屋、床屋、お弁当屋、小さな病院などが集まっていました。
生活に必要なものの多くが、その周辺で済んでしまう。
子どもだったからそう感じていただけなのかもしれません。
それでも大人になり、いろいろな場所で暮らしてみた今になって、
「あれって、かなり暮らしやすかったんじゃないか」
と思うことがあります。
家そのものは、今住んでいる一軒家よりずっと小さかったはずです。
でも、狭くて不便だったという記憶はあまりありません。
必要なものが近くにあって、生活がその小さな範囲で完結していた。
住まいの豊かさは、家の中の広さだけでは決まらない。
そんなことを、昔の団地を思い出すと感じます。
一軒家で手に入れた自由と、増えた管理
今、一軒家に住んでいます。
一軒家には一軒家の良さがあります。
何より自由です。
家具をどう置くかも自由だし、自分たちの好きなようにレイアウトできる。壁に何か取り付けてもいい。
子どもが壁に落書きをしたとしても、賃貸のように退去するときのことを心配する必要はありません。
極端な話、壁に穴を開けたって自分たちの責任で決められます。
これは一軒家の大きな魅力だと思っています。
その一方で、実際に住んでみて分かったこともあります。
自由になると、自分で管理するものも増える。
庭の草が伸びれば、自分で草むしりをする。
給湯器が壊れれば、自分で業者を探して手配する。
そして当然、お金も自分で払う。
固定資産税もあるし、外壁や屋根もいつかメンテナンスが必要になります。
アパートに住んでいた頃より、考えなければならないことは確実に増えました。
だからといって、一軒家を買ったことを後悔しているわけではありません。
自由があることは、父にとって大きな魅力です。
ただ、家を持つということは、空間を手に入れるだけではなく、その空間を管理することでもある。これは実際に暮らしてみて分かったことでした。
余った一部屋が教えてくれたこと
今の家には、家族それぞれの部屋があります。
そして、一部屋余っています。その部屋がどうなっているかというと……
物置です。
しかも、結構カオスです。「これを書いてupしたら怒られそう」
最初から物置にしようと思っていたわけではありません。
「とりあえず、ここに置いておこう」
そんなモノが一つ置かれる。また一つ置かれる。まだ場所があるから、
さらに置く。
そうしているうちに、いつの間にかモノでいっぱいになっていました。
そろそろ整理しないとな、とは思います。
でも、これだけモノが集まると重い腰がなかなか上がりません。
この部屋を見るたびに思います。
広ければいい、多ければいい、というものでもないんだな。
空間が余っているから、モノを置けてしまう。
置けるから、とりあえず取っておく。
そしてモノが増えれば、今度はそれを片付けたり管理したりする時間が必要になる。
収納も同じなのかもしれません。
収納棚やケースを増やせば、見た目はきれいになると思います。
でも、物量そのものが減ったわけではありません。
収納したことで新しい余白が生まれれば、そこにまた別のモノを置く。
それを繰り返していたら、いつまでたっても終わらない。
だから父は、収納を増やすことより、まず持っている量そのものを考える方が自分には合っています。
ただし、この物置部屋にあるのは家族のモノです。
だから父が勝手に捨てることはしません。
父には父の基準があるように、家族には家族の基準があります。
ミニマリズムは、家族に押し付けるものではないと思っています。
まずは自分のモノから。 それで十分です。
何もない和室が好きな理由
和の空間が好きです。和室だったり、盆栽が一つだけ置いてあるような部屋だったり。不思議なのですが、洋室に何も置いていないと、少し殺風景に感じることがあります。
「何か置いた方がいいかな」 と思ってしまう。
でも和室は違います。
畳があって、障子や襖があって、そこに何もなくても落ち着く。
盆栽が一つ置いてあるだけでも、それで十分に感じます。
日本人だからなのかな。
理由はよく分かりません。でも父は、そういう空間にいると落ち着きます。
だからミニマリズムを続けていても、何もない部屋をつくりたいとは思いません。
好きなものまで全部なくす必要はない。
むしろ、余計なものが少ないからこそ、本当に好きなものがよく見える。
盆栽が一つ置いてある空間がきれいに見えるのも、その周りに余白があるからなのかもしれません。
空間を整えたら、豊かな時間が増えた
父自身の持ち物を減らして、部屋を整えるようになってから、いろいろなことが楽になりました。掃除が楽になった。探し物も減った。片付ける時間も減った。そして何より、気持ちが少し楽になりました。
部屋がスッキリしているだけで、頭の中まで少し静かになるような感覚があります。
そうすると、時間にも気持ちにも余裕ができます。
その余裕で家族と過ごせる。自分のやりたいことにも集中できる。
本を読んでもいいし、運動してもいい。何もしないでゆっくり過ごしてもいい。ミニマリズムを始めた頃は、モノを減らすことばかり考えていました。でも今は少し違います。父が増やしたかったのは、空いている床でも、収納スペースでもなかった。
豊かな時間の割合だったんだと思います。
どんな家で、どんな時間を過ごしたいか
いつか君たちも、自分の住まいについて考える日が来ると思います。
アパートを借りるかもしれない。一軒家を買うかもしれない。
都会の小さな部屋が心地いいかもしれないし、広い家で暮らしたいと思うかもしれない。
好きなものに囲まれた部屋が落ち着く人もいるでしょう。何もない和室のような空間が好きな人もいる。父と同じである必要はありません。
むしろ、自分で考えてほしいと思っています。
広さや部屋数、収納の多さだけではなく、
「この家で、自分はどんな時間を過ごしたいんだろう」
家は、モノをたくさん置くための箱ではありません。
そこでご飯を食べたり、笑ったり、眠ったり、一人で考え事をしたり、大切な人と過ごしたりする場所です。
だから父は、住まいにもミニマリズムの考え方が使えると思っています。
ただ小さくするのでも、何も置かなくするのでもない。自分に必要なものを考えて、管理できるくらいにして、好きなものはちゃんと残す。
そして、余った時間と心の余白を、自分が大切だと思うことに使う。
子どもの頃に暮らした小さな団地。今暮らしている自由な一軒家。
カオスになってしまった一部屋。何もなくても落ち着く和室。
いろいろな空間で暮らしてきた今、父が思うのは、
いい家とは、豊かな時間を過ごせる家なのかもしれない。
どんな家なら、自分にとってそんな時間が増えるのか。
その答えは、父が決めるものではありません。
君たち自身で考えて、選んで、つくっていってほしいと思います。

自己紹介 モリさん 1986 五人家族
3児の父。会社員をしながら、時間に自由な身軽な生き方を目指し中。所持品100個以下の暮らしと、そこで得た気づきを子供たちへの手紙として綴っています。他の記事もぜひ読んでみてください。
