戦後日本のビジネス史はなぜST/SJで勝ち、NTを生かせなくなったのか(第二部)
第2部
なぜ日本企業は変化に遅れたのか
――NTが生きにくい組織の構造
日本企業の問題を「能力が低い」で片づけると、やはり外す。
むしろ厄介なのは、能力がないことではなく、過去に強かった運営様式が、環境変化の中で組織そのものを硬くしてしまうことだ。
この文脈で見ると、90年代以降の日本企業は、「NT型人材がいない」より「NT型人材が生きにくい」構造を抱えていた、と考える方がしっくりくる。
ここでいうNTとは、未来を抽象化し、仕組みを再設計し、前提そのものを疑い、今ある組織の正しさをいったん壊してでも次の勝ち筋を探す人材のことだ。
ゲームが変わったとき、ST/SJの勝ち方はそのままでは通用しなくなる
戦後から80年代までの日本が得意だったのは、既に見えている市場で品質を上げ、運営を磨き、規模を取ることだった。
しかし90年代以降、勝負の中心は徐々に変わっていく。製造の改善だけではなく、産業の再定義、ソフトウェア、プラットフォーム、無形資産、ブランド設計、データ活用、ビジネスモデルの更新が重要になる。
ここで必要になるのは、「今あるものをより正しく回す力」だけではない。「そもそも何をやるべきか」を組み替える力である。
つまり、SよりN、JよりP寄りの思考が、以前よりも価値を持つ局面が増えた。
NTが生きにくい組織では、彼らはだいたいこう見える
NT的な人材は、安定した運営を重んじる組織から見ると、しばしば扱いにくい。話が飛ぶ。今の議題から逸れる。現場を知らないように見える。結論を急ぎすぎる。あるいは逆に、具体が弱いように見える。
しかし多くの場合、本人はふわっとしているのではなく、論点の階層が一段上にあるだけだ。「今の施策をどう改善するか」ではなく、「なぜこの施策を前提にしているのか」を見ている。
ところがST/SJが強い組織では、この視点はしばしば歓迎されない。なぜなら、前提を疑うことは、現場の蓄積や組織の秩序を揺らすからだ。
結果としてNTは、変革の核になる前に、「頭でっかち」「協調性がない」「現場感がない」「変なことを言う人」として処理されやすい。
日本企業でNTが生きにくいのは、個人の問題ではなく制度の問題である
ここで重要なのは、「日本人にはNTが少ない」と短絡しないことだ。問題は人数より、通り道である。
どれだけ抽象度の高い発想を持つ人がいても、評価が前例踏襲、根回し、社内調整、ローテーション、空気適応、失敗回避に寄っていれば、その人は組織の中心まで上がりにくい。
しかも日本の大企業では、長く「大きく外さない人」が評価されやすかった。これは高度成長期には合理的だが、非連続の変化が来ると、正解を壊せる人より、正解を維持できる人が上に残りやすい。
つまりNTが弱いのではない。NTが権力化しにくいのである。
さらに厄介なのは、NTの発想が途中で「運営の論理」に吸収されることだ
日本企業では、ときどき鋭い構想が出る。だが、その後の会議と調整の中で、角が削られ、既存部門に配慮され、前例に寄せられ、最終的に「少し新しいだけの無難な施策」になることがある。
これは発想力の欠如ではない。組織が新しさを無害化する力が強いのだ。
一見すると合理的なプロセスだが、本質的には、変化に必要な鋭さが消えている。結果、会社の中では「ちゃんと検討したのに成果が出ない」が繰り返される。
NT的な構想は、組織に入った瞬間から、運営可能な形に翻訳される。その翻訳が強すぎると、もはや別物になる。
だから日本の問題は、「ST/SJが強すぎたこと」そのものではない
ここは誤解しやすいが、結論は「ST/SJを捨てろ」ではない。そんなことをすれば、日本企業は今度は足腰を失う。
現場を回す力、品質を揃える力、改善を続ける力、長期で育てる力。これらは今でも貴重な資産だ。
問題は、その資産が強すぎるあまり、方向転換のハンドルを切る人間に権限が渡りにくいことにある。
必要なのは、ST/SJを否定することではない。NTに、構想だけでなく決定権を持たせることだ。
では、これからの日本企業はどう設計すべきか
一番筋がいいのは、単純な性格論ではなく、機能分業で考えることだ。
方向を決める上流では、NとTが要る。つまり、変化を読み、全体構造を捉え、どこを捨て、どこに賭けるかを決める力が必要になる。
一方で、実装と運営の下流では、SとJが要る。つまり、曖昧な戦略を具体化し、運用フローに落とし、品質を安定させ、組織に浸透させる力が必要になる。
本当に弱い組織は、上流までS/Jでやってしまい、未来を過去の延長でしか考えられない。あるいは逆に、下流までN/Tでやってしまい、構想だけが増えて現場が壊れる。
強い組織は、未来を描く人と、現実に落とす人をきちんと分ける。そしてその間を翻訳する役割を意識的に置く。
最後に:日本再生に必要なのは、「NTっぽさ」ではなく「NTが勝てる構造」だ
日本企業を見ていると、ときどき「もっと起業家精神を」「もっと自由な発想を」といった掛け声が出る。だが、精神論だけではほとんど変わらない。
本当に必要なのは、異質な発想を言えることではなく、その発想が途中で潰れず、権限と資源を持ち、実装まで行ける構造である。
要するに、NT的人材を称賛することより、NT的人材が組織の中心まで行ける制度を作ることの方が大事だ。
戦後日本は、ST/SJで勝った。そのこと自体は誇っていい。ただし、次の時代に必要なのは、その強みの上に、NTが本当に機能する場所を作ることだ。
過去の勝ち筋を否定する必要はない。だが、過去の勝ち筋を神格化したままでは、次の勝ち筋は見えない。
第2部のまとめ
戦後日本の停滞を「NT不足」で片づけるのは、半分しか当たっていない。
より本質的なのは、NTが組織で浮きやすく、決定権を持ちにくく、途中で無害化されやすいことだ。
だから必要なのは、優秀な変わり者を探すことではない。変わった発想が、変わったままで実装まで届く通路を作ることだ。
日本企業の未来は、ST/SJを捨てることではなく、ST/SJの運営力の上に、NTの方向づけを本当に乗せられるかどうかにかかっている。
