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アテネ編①|神話の首都は、思ったより暗かった。

期待値だけが、先に着いていた
サントリーニの白と青から、アテネへ。

ギリシャの首都で、ギリシャ神話の土地で、西洋文明の出発点ということになっている街だ。着く前の期待値は、正直かなり高いところに置いてあった。

だが、降りて街を歩き始めて最初に思ったのは「小さいな」だった。首都という言葉から想像する規模ではない。そして、他のヨーロッパの都市と比べて、街全体が明らかに暗い。

パリでもローマでもバルセロナでもいい。あの手の街には、中心部に「整えられた見せ場」が連続している区画がある。アテネにはそれが薄い。中心から少し外れると、すぐに生活のままの街になる。

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廃墟とグラフィティが、普通に並んでいる

歩いていて何より目についたのが、放置された建物の多さだ。

シングルー通りに面した一等地に、窓が抜けて壁が剥がれ落ちたビルがそのまま建っている。看板だけが残っていて、その上からグラフィティが何層にも重ねられている。

グラフィティ自体はヨーロッパのどこにでもある。ただアテネのそれは、アートというより「誰も管理していない」という事実の可視化に見えた。建物が生きていれば、普通は消される。消されないということは、消す主体がいないということだ。

この光景が、後で書くデフォルトの話に直結する。

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プラカだけは、別の街だった

アクロポリスの北側に広がるプラカ地区に入ると、空気が変わる。

石畳、ネオクラシックの黄色い外壁、ブーゲンビリア、階段に並べられたテーブル。ここは完全に観光地として整備されていて、明るい。

猫が寝ている塀の横に、貼り紙とステッカーで原型がわからなくなった公衆電話が立っている。こういう細部は好きだ。

ただ、逆に言えば「明るいのはここだけ」でもある。プラカを一歩出ると、また元の街に戻る。首都の観光地としての面積が、想像よりずっと狭い。

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島が、首都に移植されている

プラカのさらに上、アクロポリスの岩肌に貼り付くように、白い小さな家が密集した一角がある。アナフィオティカと呼ばれる地区だ。

ここだけ、街並みがキクラデス諸島になっている。前日までいたサントリーニと同じ文法の家が、アテネの真ん中に建っている。

理由は単純で、19世紀、独立後のギリシャで国王オソン1世の宮殿を建てるために、キクラデス諸島のアナフィ島から石工が呼ばれた。彼らがアクロポリスの麓に住み着き、故郷と同じ作り方で家を建てた。それがそのまま地区として残った。

【ロマンのある説】 当時、一晩で屋根まで葺いてしまえば取り壊されないという慣習法があり、石工たちは夜のうちに家を建てたのだという話がある。真偽は確かめようがないが、この街の斜面を見ていると、なんとなく信じたくなる。

技術者を呼ぶと、技術だけでなく街並みが来る。料理が混ざるのと同じ速度で、建築も混ざる。これは私がずっと書いている「編集と融合」の、かなりわかりやすい標本だと思う。

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ΑΝΕΦΑΝΗで、タコとステーキ

昼食はプラカの階段沿いにあるΑΝΕΦΑΝΗ(アネファニ)へ。

店名はアナフィ島に由来している。テーブルマットに、アルゴナウタイが嵐に遭ったときアポロンが放った矢で島が現れ(=アネファニ)、それがアナフィ島になった、という神話が印刷されていた。そのアナフィから来た石工が、この坂の上にアナフィオティカを作った。店名と地区名が同じ島を指している。

タコのサラダとMythosのビール。ステーキとポテト、それに鶏のグリル。特別に凝ったものではないが、素材の焼き方が素直で美味い。ギリシャ料理は基本的にハズレが少ない。

店内は白いレンガのアーチとタイル床で、思ったよりきちんと作り込まれている。

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太鼓を叩く子どもと、フェズの既視感

食事の途中、子どもが二人、太鼓を持ってテーブルの真ん前に来た。

叩き始める。こちらは食べている。やめない。チップを出すまでやめない。

これはモロッコのフェズでも同じパターンに遭った。あのときも、頼んでもいない案内や演奏が始まって、断っても止まらず、金を渡すまで続いた。とてもウザい。。。

観光地の風物詩と言ってしまえばそれまでだが、こちらの食事の時間を人質にして対価を取りに来る構造は、どこの国でも変わらない。そしてこれが起きる街と起きない街の差は、治安の良し悪しというより、その街に他の稼ぎ方がどれだけあるかの差だと思っている。

夕方の街を少し歩いて、甘いものを見て、それで切り上げた。

夜は外に出なかった。街灯が少なく、通りが暗く、正直に歩き回る気にならなかったからだ。翌日はパリに移動する。体力を残しておく方を選んだ。

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そもそも、ギリシャはなぜ破綻したのか

ここからが、この記事で一番書きたかったところだ。

アテネの暗さは、単なる街の趣味の問題ではない。この国は2010年代に、先進国としては異例の規模の債務危機を経験している。

①ユーロが、身の丈に合わない金利を与えた

2001年、ギリシャはユーロに加盟した。

これによって何が起きたか。それまで高い金利でしか借りられなかった国が、ドイツとほぼ同じ金利で借りられるようになった。通貨が同じなら為替リスクがない、だから金利も揃うだろう、と市場が判断したからだ。

国の稼ぐ力は変わっていないのに、借りるコストだけが急に下がった。ここで借りすぎた。

②税が、そもそも取れていなかった

一方で、歳入の側が弱かった。徴税の実効性が低く、現金経済・自営業比率の高さもあって、税が取り漏れる。危機前には、取り漏れの規模がGDP比で二桁に届くという推計まで出ていた。

入りが細い。それでも出は増える。差額は借金で埋める。金利は安い。この組み合わせが十年続けば、結末は算数で決まる。

③年金が、最初から赤字になる設計だった

そして、財政の中心にあったのは年金だ。

ギリシャの話は「公務員が多い」「働かない」といった雑な語られ方をしがちだが、数字を見ると主役は年金制度である。

・年金支出はGDP比で17%前後(2016年、ギリシャ労働省ベース)。ユーロ圏の平均を大きく上回る水準
・年金は年12回ではなく年14回支払われていた(13ヶ月目・14ヶ月目のボーナスがあった)
・年金基金が職業ごとに乱立し、多くの基金で保険料収入が給付の半分も賄えていなかった
・足りない分は国が税金で補填していた。国から年金制度への繰入はGDP比7.3%(2010年)から10%超(2016年)へ増加
・改革前の長期見通しでは、年金支出は2060年にGDP比24%に達するとされていた
・支給開始年齢は実質的に低く、原則67歳・早期62歳への引き上げが決まったのは2015年になってからだ

整理すると、こうなる。

保険料収入が給付の半分しかカバーしていないなら、それは制度ではない。毎年、差額を誰かが持ち出す前提の仕組みだ。持ち出しているのは国で、国の原資は税か借金で、税は取れていなかった。つまり借金である。

年金の不足を国債で埋め、その国債の金利がユーロのおかげで安い。ここが繋がった瞬間に、この構造は「回っているように見える」状態に入る。実際には回っていない。回っているように見えるだけだ。

恐ろしいのは、これが誰にも異常に見えなかったこと

この話で一番引っかかるのはそこだ。

保険料が給付の半分しかない制度は、算数として持続しない。誰か一人でも紙の上で計算すれば分かる。にもかかわらず、それが何十年も続いた。

理由は単純で、破綻は「今日」には来ないからだ。年金は今日も振り込まれる。給料も出る。店も開いている。制度の欠陥は将来の数字にしか現れないから、当事者の日常にはどこにも異常が映らない。

構造がおかしいことと、暮らしがおかしく見えることの間には、十年単位の時差がある。そしてこの時差の中では、警告する側が「悲観的すぎる」と言われ、続けている側が「現実的」に見える。

これはギリシャ固有の話ではない。高齢化が進み、現役世代の拠出だけでは給付が賄えず、差額を国が埋め、その原資を借金に頼る。この構造の説明は、国名を伏せればいくつもの国に当てはまる。違いは、残された時差がどれだけあるかと、調整弁を自分の手に持っているかどうかだけだ。

④経済が観光と海運に寄りすぎていた

ギリシャの主力は観光と海運だ。どちらも世界景気の波をそのまま受ける産業で、しかも製造業のような裾野の広い雇用を生みにくい。

不況が来たときに国内で踏ん張る足腰がなかった。

⑤為替という調整弁を、自分で捨てていた

そして決定的なのが、これだ。

自国通貨があれば、危機のときは通貨が下がる。輸出と観光が安くなり、勝手に競争力が戻る。痛みを為替が一部肩代わりしてくれる。

ユーロに入るということは、その調整弁を手放すということだ。通貨を下げられない国が競争力を取り戻す方法は一つしかない。賃金と年金と公共サービスを直接切ることだ。これが「緊縮」と呼ばれたものの正体で、要するに為替の代わりに人間の生活を下げた。

ギリシャが破綻に至った構造
自国通貨がある国と、ない国の違い

実際に起きたこと

2009年、政権交代で財政赤字の実態が公表される。それまでの報告値とはまるで違う数字だった。国債は売られ、金利は跳ね上がり、10年債の利回りは2012年初めに一時36%まで飛んだ。誰も貸してくれない状態だ。

2010年、EU・ECB・IMFのいわゆるトロイカによる第1次支援(1100億ユーロ)。緊縮とセットだった。

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払えなくなった国は、実際どうなるのか

ここが一番聞かれるところなので、順番に書く。

①借金は消えない。誰かに押し付けられる

2012年3月、第2次支援と同時にPSIと呼ばれる債務再編が実施された。民間が持つギリシャ国債の元本を53.5%削減する。利回りや償還年限の変更まで含めた実質的な減価は7割を超えた。対象額はおよそ2000億ユーロで、国家の債務再編としては史上最大だ。格付け会社は一時的に「選択的デフォルト」を付け、CDS(債務不履行に備える保険)も発動した。

ここで見落とされがちなのが、誰が損をしたかだ。

ギリシャ国債を大量に持っていたのは、ギリシャの銀行とギリシャの年金基金だった。つまり自国の債務を削るということは、自国の金融機関と自国の年金の資産を削るということでもある。銀行は自己資本が吹き飛び、公的資金で再建された。その資金もまた支援プログラムから出ている。

減らした借金は消えたわけではない。民間の債権者から、EFSF・ESM・IMF・ECBといった公的機関に置き換わっただけだ。今も返済は続いていて、満期は2060年代まで伸びている。

②現金が止まる

2015年6月30日、IMFへの約15億ユーロの返済が期日に間に合わず、延滞状態になった。先進国では前例のない事態だった。

このとき国内で何が起きたか。銀行が3週間閉まった。ATMの引き出しは1日60ユーロに制限された。海外送金は許可制になり、企業は原材料の代金を払えなくなった。国民投票では緊縮に61%が反対したが、結局その数週間後に第3次支援(860億ユーロ)を受け入れている。

デフォルトの本当の怖さは、国の面子ではなく、ここだと思う。自分の口座に残高があっても、1日60ユーロしか下ろせない。信用が切れると、まず現金の流れが止まる。

③資産が売られる

支援の条件として、国有資産の売却が進んだ。ピレウス港の運営権は中国のCOSCOへ、地方空港14ヶ所の運営権はドイツのフラポートへ渡っている。

払えない国は、持っているものを売る。当たり前だが、売った先はもう自国ではない。

④人が出ていく — 為替の代わりに、人間が動いた

そして、これが個人的に一番効いていると思う項目だ。

2010年から2022年にかけて、働き盛りの世代を中心におよそ100万人がギリシャを出た。うち約6割が25〜44歳、つまり最も生産的な層だ。学位を持つ層に限っても、60万人規模が国を離れたとされる。

行き先はドイツとイギリスで半分以上を占める。2010年代にドイツへ渡ったギリシャ人は25万人を超えた。オランダやスイスへの移動も増えた。

ここに、この記事の図②の続きがある。

通貨同盟の教科書的な理屈では、為替で調整できない国が競争力を取り戻す手段はもう一つある。労働力の移動だ。仕事のない国から、仕事のある国へ、人が動く。同じ通貨圏の中なので送金の目減りもなく、EU域内なのでビザもいらない。

つまり、ユーロは「通貨が下がらない代わりに、人が動く」設計になっている。ギリシャで起きたのは、まさにそれだった。為替の代わりに、人間が動いた。

しかも移動先の筆頭は、緊縮を求めた側のドイツだ。ギリシャで教育された人材が、ギリシャの税収と年金を支えないまま、ドイツの経済を支える側に回る。制度として想定された調整であると同時に、いま国内でも問題になっている構図でもある。

かつて1960年代にもギリシャからドイツへの出稼ぎの波はあった。だが今回の波は中身が違う。当時は労働力の輸出で、今回は学位と技能の流出だった。

最近になって、流れが変わり始めている

ここ数年、この傾向にようやく変化が出ている。

2023年、ギリシャ人の帰国者数が出国者数を初めて上回った。約4万6千人が戻り、約3万7千人が出た。2024年はその差がさらに開いている。政府も帰国者向けの所得税優遇を用意して呼び戻しにかかっている。

もちろん、15年で失った分が埋まったわけではない。累計では出た人の方が圧倒的に多いままだ。それでも、経済指標より先に「人がどちらに動くか」が反転しているのは、この国の現在地を示す指標として一番わかりやすいと思う。

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その後のギリシャ経済(2026年時点)

数字だけ並べる。

・実質GDPは2008年のピークから最大で27%落ちた ・失業率は2013年に約28%でピーク。若年層は一時60%近く ・実質賃金は危機前から3割前後低い水準まで落ち、購買力はユーロ圏で最下位クラスになった ・政府債務のGDP比は2020年に約207%まで悪化(分子が増えたというより分母が縮んだ)

そして現在。

・2018年に支援プログラムを卒業 ・2023年から2025年まで、成長率は年2%前後でユーロ圏平均を上回っている ・失業率は9%を切るところまで下がり、2008年以来の低水準になった ・政府債務のGDP比は150%台まで低下。IMFは2030年に130%を割る見通しを出している ・格付けは2023年に投資適格へ復帰し、最後まで残っていたムーディーズが2025年3月に続いた

数字だけ見れば、優等生に見える。だが二つ、戻っていないものがある。

一つは水準だ。実質GDPは今も2008年のピークを15%ほど下回っている。ピークを超えるのは2030年頃という見立てが多い。一人当たりで見れば、ようやく危機前の9割まで戻ったところだ。20年かけて元に戻る、という話をしている。

もう一つは生活だ。成長率が高くても、賃金と年金は切られたままで、そこから戻す速度は遅い。観光は絶好調で、その結果アテネの住宅は短期賃貸に流れ、家賃が上がっている。国の指標が回復することと、そこに住む人の可処分所得が回復することは、まったく別の速度で進む。

つまり、こういうことだ。

破綻は一日で起きるが、その後始末には20年かかる。しかも取り戻せるのは主に「率」であって、失った「水準」は簡単には戻らない。

借金と年金は、その後どうなったのか

ここが一番気になるところだと思うので、分けて書く。

借金:消えていない。2070年までの分割払いになった

まず借金の方だ。返し終わってはいない。返済の形が変わっただけだ。

2012年のPSIで削られたのは民間が持っていた分で、残りは公的機関に移った。今もEFSFに約1418億ユーロ(最終期限2070年)、ESMに約619億ユーロ(2034年から2060年にかけて返済)が残っている。ギリシャ人が生まれる前に決まった返済計画が、生まれてくる世代に引き継がれている状態だ。

ただし返済は前倒しで進んでいる。IMFへの分は2022年に、予定より2年早く完済した。第1次支援で14ヶ国から借りた2国間融資(GLF、総額529億ユーロ)も毎年前倒しで返しており、2022年に約26億、2023年に約53億、2024年に約79億、2025年12月に約53億、2026年6月に約69億ユーロ。前倒し返済の累計は360億ユーロを超えた。本来2041年までかかるはずのGLFを、2031年に終わらせる計画だ。

政府債務は2025年半ばで約4032億ユーロ、GDP比145.9%。2026年に138.2%、2029年に120%割れの見通しが出ている。

つまり借金の話の結論は、「消えた」でも「返した」でもない。世代をまたぐ分割払いに組み替えて、少しずつ前倒ししている、が正確なところだ。

年金:止まってはいない。減らされ、回数も減らされた

一方の年金は、支給が止まったわけではない。切られたのは金額の方だ。

2010年から2017年にかけて、年金の削減は十数回にわたって実施された。主なものを挙げる。

・2012年、13ヶ月目と14ヶ月目の支給(休暇ボーナス)を廃止。これだけで実質15%減 ・1300ユーロを超える主年金を12%削減、補足年金を10〜20%削減 ・累積の削減幅は、低い層で約14%、高い層では40%を超えた。20〜60%という推計もある ・支給開始年齢は原則67歳・早期62歳に引き上げ ・2016年、乱立していた基金をEFKAという単一組織に統合

ここで一つ、興味深いことが起きている。2015年、ギリシャの最高裁にあたる国務院が、2012年の削減の一部を違憲と判断した。削ったはずのものを、国が返さなければならなくなった。緊縮は財政の問題であると同時に、法の問題でもあった。

年金額はその後も長く据え置かれた。増額が再開したのは2023年からだ。2025年には190万人が増額を受けたが、平均で年232ユーロ、月にすれば20ユーロほどである。

さらに「個人差額」という制度上の歪みが残った。2016年の法改正以前に退職した人は、計算上の減額を緩和するための差額を受け取っている代わりに、その後の年金増額がほとんど反映されない。2026年にこれを半減し、2027年に完全撤廃する方針が示されている。削った後始末に、さらに10年以上かかっている。

結果として、何が起きたか

数字の話をここまでしてきたが、実際の被害はもう少し複雑な形で出た。

① 年金カットは、高齢者だけの問題ではなかった

危機のさなか、失業率は27%を超えていた。仕事を失った子や孫が、祖父母の年金で暮らす世帯が大量に生まれた。年金は老後の生活費ではなく、三世代の生活費になっていた。

だから年金を削るということは、高齢者の生活水準を下げることではなく、世帯まるごとの可処分所得を下げることだった。緊縮の効き方が想定より深かった理由の一つがこれだと思う。

② 削ったのに、削った分だけ改善しなかった

年金と賃金を切れば財政は改善する。だが同時に需要が消える。消費が減ればGDPが縮み、債務のGDP比は分母側から悪化する。実際、この十年でGDPは25%以上縮んだ。

削った額がそのまま比率の改善にならない。これは前に書いたイタリアの話とまったく同じ構造だ。

③ 若い世代が「払う理由」を失った

改革後の制度では、現役世代が払う保険料は上がり、将来受け取る額は下がる。しかも目の前で、親世代の年金が政治判断で何度も削られるのを見ている。

自分が払った分が自分に戻ってくる保証はどこにもない、という感覚が制度への信頼を壊した。これが、前の節に書いた100万人の流出の背中を押した面は確実にあると思う。年金改革と頭脳流出は、別々の出来事ではない。

④ 支え手が減り、構造問題自体は残っている

そして人が出ていき、出生率が下がった。保険料を払う側が減れば、制度の算数は元に戻る。削減で当面の帳尻は合ったが、制度が自立して回るようになったわけではない。

破綻とは、どの約束を先に破るかの選択だった

ここまで並べて気づいたことがある。

ギリシャは、対外的な借金の元本を約束通り返し続けている。前倒しまでしている。一方で、国内の年金受給者との約束は、十数回にわたって破った。

国が払えなくなったとき、すべての支払いが等しく止まるわけではない。国際的な債権者との契約は守られ、国内の国民との約束が先に削られる。それが順番だった。

デフォルトという言葉は「払えなくなること」と理解されがちだが、実態は誰との約束を先に破るかの選択だ。そしてその選択をするのは、破られる側ではない。

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ユーロで負け組に回ったのは、どこか

ギリシャだけが特別だったわけではない。同じ仕組みの中で沈んだ国は他にもある。ただし沈み方はそれぞれ違う。

アイルランド:財政ではなく、銀行で沈んだ

アイルランドの原因は年金でも公務員でもない。不動産バブルだった。バブルが弾けて銀行が飛びかけたとき、国が銀行の債務を丸ごと保証した。その瞬間、民間の損失が国の借金に化けた。

2010年に675億ユーロの支援を受ける。ただし回復は最も早く、今では多国籍企業の会計上の移動でGDPの数字が歪むほどの国になった。負け組から抜けた例だ。

ポルトガル:静かに削られた

2011年に780億ユーロの支援。賃金と年金が切られ、若年層が国外に出た。構図はギリシャに近いが、規模が小さく、政治的な混乱も小さかったぶん、話題にならないまま淡々と削られた。現在はユーロ圏平均を上回る成長を続けている。

スペイン:不動産と失業率

こちらも不動産バブル。銀行支援に410億ユーロを使い、失業率は26%、若年層では5割を超えた。現在はユーロ圏で最も成長率の高い大国の一つだ。

キプロス:預金者が払わされた

2013年の支援で使われた手法が異例だった。10万ユーロを超える預金にも損失を負担させる、いわゆるベイルインだ。銀行の破綻処理で預金者が直接削られ、資本規制も敷かれた。

「銀行に預けた金は安全」という前提が、ユーロ圏の中で崩れた事例として記憶しておく価値がある。

イタリア:支援を一度も受けずに、いちばん長く負けている

そして、僕が一番怖いと思うのはイタリアだ。

イタリアは支援プログラムを受けていない。デフォルトもしていない。破綻の瞬間が一度もない。にもかかわらず、ユーロ導入以降の20年間、実質の一人当たりGDPがほとんど伸びていない。主要先進国の中で例外的な記録だ。

単位労働コストはユーロ圏平均に対して2割ほど上昇したとされる。つまり、価格競争力を失ったのに通貨を下げられなかった。政府債務のGDP比は今も137%前後にある。

ギリシャは「一度大きく落ちて、そこから戻る」型だった。イタリアは「落ちないまま、20年下を向き続ける」型だ。ニュースにならないぶん、こちらの方が構造としては厄介だと思う。

共通点は、南欧であることではない

こう並べると、「南欧が負けた」という括りが雑だと分かる。

負けた国の共通点は地理ではない。為替という調整弁を持たないまま、価格で戦っていた国だ。生産性で戦えた国は同じ通貨でも勝ち残った。ドイツやオランダは、自国通貨のままなら通貨高になっていたはずのところを、南欧を含む通貨圏の平均値で輸出できた。同じユーロが、ある国には実力より安く、ある国には実力より高く効いた。

これがユーロの本質的な非対称性だ。

ただし、今は形勢が変わっている

面白いのはここからだ。

2025年時点で、成長率が高いのはスペイン(約2.9%)、ポルトガル、ギリシャといった、かつて叩かれた側の国だ。一方でドイツは0%台の停滞、イタリアも0%台にとどまっている。EUの復興基金の配分も、ギリシャがGDP比16%規模なのに対しドイツは0.7%程度と、南に厚い。

一度落ちきって調整を終えた国が伸び、調整を先送りした国が沈む。危機から15年で、優等生と落第生の位置が入れ替わりつつある。

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これは「中途半端な融合」の失敗例だ

僕はずっと、編集と融合こそ成長の根源だと書いてきた。だが融合には失敗の型もある。

ユーロは、金融は統合したのに、財政は統合しなかった。通貨は一つ、予算は各国バラバラ。良いところ(低金利)だけが先に共有され、責任(歳入と歳出の規律)は共有されなかった。

混ぜるなら、混ざりにくい方まで混ぜなければならない。都合のいい層だけ融合させると、そこが割れる。ギリシャ危機は、融合の設計ミスがどう表面化するかの実例として、今でも十分に読む価値があると思っている。

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この話は、通貨を持つ国では別の形で進む

最後に一つだけ、今の世界に接続しておきたい。

借金が大きくなりすぎたとき、返しきる以外の道は二つしかない。誰かの取り分を直接削るか、通貨の価値を薄めるかだ。

ギリシャは前者しか選べなかった。通貨を持っていないからだ。だから削減は法律の形をとり、裁判で争われ、街頭でデモが起きた。誰が誰から何を取り上げたのかが、全部見える形で行われた。

通貨を持つ国は、後者を選べる。そしてこちらは、ほとんど何も見えない。

皮肉なのは、そのギリシャも結局インフレに助けられていることだ。債務のGDP比が207%から145%まで下がったが、その相当部分は返済ではなく、物価上昇で名目の経済規模が膨らんだこと、つまり分母の側による。自分では起こせないインフレに、ユーロ圏全体の事情で救われた形だ。

ドルも円も、程度は違えど同じ土俵にいる。アメリカは借金がほぼ全額自国通貨建てなので、技術的にデフォルトしない。日本の政府債務は先進国で最も重いが、こちらもほぼ全額が円建てで、保有者の中心は国内だ。だからギリシャ型の「外から突然貸してもらえなくなる」危機にはなりにくい。

ただし、返せることと、価値が保たれることは別の話だ。

今の日本で起きていることも、突き詰めれば同じ形をしている。誰も預金額を減らしていない。年金額も名目では減っていない。それでも買えるものは減っている。(原因は輸入物価や為替など複数あるので、誰かが意図的に起こしたという話とは分けて考えたい。)

つまり、どの方法をとっても、最終的に払うのは同じ人たちだ。年金受給者と、預金で資産を持っている人と、賃金が物価に追いつかない人。

ギリシャはそれを法律の形でやった。だから怒りが可視化され、政権が何度も倒れ、裁判にもなった。通貨を持つ国は、同じことを署名なしでできる。減額を宣言する人が誰もいないので、怒る相手も見つからない。

破る約束の中身は同じで、破り方の見え方だけが違う。

ギリシャで起きたことを「遠い国の失敗談」として読むか、「可視化された先行事例」として読むかで、この記事の意味はまるで変わってくると思う。僕は後者として書いた。

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インターコンチのホテルの部屋から見た景色がこれだ。建てかけのまま止まった空き地、剥がれたアパート、乾いた山。


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街が暗かった理由に、たどり着いた

ここまで書いてきて、最初に感じた違和感の答えが出た気がしている。

僕がアテネで受けた「暗い」という印象は、照明の数の話ではなかったのだと思う。

一つは、緊縮の物理的な記録としての暗さだ。街灯を減らし、公共の修繕を止め、剥がれた建物をそのままにする。十数年かけて削られたものが、そのまま街の見た目として残っている。冒頭に書いたシングルー通りの廃墟も、グラフィティが何層も重ねられたまま消されない壁も、消す予算と消す主体が先に消えたということだ。

そしてもう一つ、こちらの方が大きいと今は思っている。人が抜けた街だからだ。

100万人が出ていった。しかも25〜44歳が6割を占める。街から抜けたのは人口という数字ではなく、夜に外へ出て、店を開けて、金を使って、街を明るくする側の世代だった。

夜の通りが暗くて出歩く気にならなかったのも、単に治安の問題ではなかったのかもしれない。夜を回す人間が、この街には十数年分いなかった。

建物が空いているのは、そこに住むはずだった人が国外にいるからだ。修繕されないのは、直す持ち主が別の国にいるからだ。灯りがつかない窓の向こう側には、ドイツかイギリスに移った誰かの人生がある。

そう考えると、僕が「暗い」と感じたものの正体は、光量ではなく人口だったことになる。

最初に受けた印象は、感想ではなく、記録だった。

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結論:2回目はなくていい。ただし次はメテオラ

率直な評価を書く。

アテネは、僕にとっては一度でいい街だった。街の規模も見どころの密度も期待の範囲に届かず、夜に外を歩きたいとも思わなかった。

ただし条件がつく。

メテオラに行っていないことだ。奇岩の上に修道院が建つあの場所まで足を伸ばしていたら、この国の印象はまったく違っていた可能性が高い。今回は日程に入れられなかった。

だから結論はこうなる。

ギリシャの島に行く機会があって、アテネを経由するなら、次はメテオラを日程に入れる。アテネ単体でもう一度、という選択はしない。

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