補聴器越しの54年 〜「見た目は普通」な僕が、3つの障害と楽しく生きる理由〜
はじめまして。「カルピス」こと、かずのりです。
私は1971年に福井県で生まれ、現在は名古屋で会社員として働いています。今年で54歳、定年を数年後に控えたひとりの人間です。
街で私を見かけても、おそらく多くの方は私が「障害者」であることには気づかないでしょう。
私は、生まれつき背骨が曲がる「先天性側弯症」があり、目は「弱視」、そして両耳に「補聴器」をつけて生活しています。
服を着て歩いていれば「普通」の人に見える私ですが、ここまでの54年は、見えないハードルとの格闘の連続でした。
最初の相棒は「箱型のイヤホン」だった
私が初めて補聴器を手にしたのは、小学4年生の時。
今のような小さな耳かけ式ではなく、胸ポケットに入れるような「箱型」の機械から、右耳だけにイヤホンをつなぐスタイルでした。
スイッチを入れると、世界に音が溢れ出しました。
でも、それは決して心地よいものばかりではありません。ドアが閉まるガシャンという衝撃音、周りのガヤガヤした雑音、そして突然耳元で鳴り響く「ピーピー」というハウリングの音……。
何より辛かったのは、周りに補聴器をつけている子が一人もいなかったことです。
「自分だけ、みんなと違う」
多感な時期だった私は、その機械をつけていることが恥ずかしくてたまらず、学校でつけることを頑なに拒んだ時期もありました。
中学生になり、少し形が小さくなった「耳かけ式」に変わっても、やはり「恥ずかしい」という気持ちは消えませんでした。
「不自由」だけど「不幸」ではない
そんな私が、なぜ今、こうして自分の障害をオープンにして、前向きに発信しようとしているのか。
それは、20歳で福井から名古屋へ飛び出し、免許がなくても公共交通機関を味方につけ、30年以上同じ職場で働き続けてこれたという「自信」があるからです。
「聞こえにくい世界」は、不便です。
でも、その不自由さがあったからこそ、私は人の優しさに敏感になれました。一生懸命に話を聞こうとする姿勢が、信頼に繋がることを知りました。
このnoteで伝えたいこと
これから補聴器を使い始める方、あるいは「障害」という言葉に不安を感じているご家族の方へ。
「大丈夫です。不自由はあるけれど、世界は意外と温かいですよ」
40年以上、補聴器という相棒と共に歩んできた僕の、等身大の知恵とポジティブな日常を、これから少しずつ綴っていきたいと思います。
定年を前にした今だからこそ見える景色を、一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。
