見出し画像

[ショートショート] 提出日

ここは森の中の小さな城。深い緑に包まれた木々の葉には朝露が宿り、陽を受けて眩しく光っていた。
どこか近くで沢が流れているのだろう。さらさらとした水音が、耳に小さく囁く。

男は窓辺に立ち、しばらくその景色を眺めてからコーヒーに口をつけた。
そして卓上へ手を伸ばす。
朝食は決まっている。

“さつまいも”と“豆スープ”。

欠かしたことはない。
男は新聞をゆっくりめくりながら、さつまいもをひと口頬張った。
熱々でほっくりした芋から湯気が立ちのぼり、香りが鼻をくすぐる。
舌の上でとろりとほどける甘さに、男は思わず目を細めた。

そこへスープを流す。さっぱりとした味付けが、口の中に残った芋の甘みをすっと溶かしていく。


「今朝の芋は、
 鹿児島県から届いたものです」
背後から声がし、執事が部屋へ入ってきた。

男は振り返らず頷く。

「そうでしたか。
どうりで実に美味しい。甘みがちょうど好みですよ」

執事は目尻に深いしわを寄せ、穏やかに笑った。

「よろしゅうございました」

執事はそう言うと、栗でできたケーキを差し出した。

「こちらは茨城県から取り寄せた栗で作らせていただきました。お口にあいますとよいのですが……」

栗を濾して生地に練り込み、真っ白な生クリームを混ぜる。その上にさらに栗が散らされている。
少し塩気のある栗と、やわらかな甘さのクリームの相性は素晴らしかった。
男が食事を終える頃、執事は静かに一礼して部屋を出ていった。

入れ替わるように、白衣の男がはいってくる。

「……今朝は、どうですか?」

白衣の男は笑顔を絶やさず言葉を続けた。
「……そろそろ?」

男はコーヒーカップを置いた。

「まぁまぁ。
焦る気持ちは充分に承知しております。私自身も同じです。
しかし……こればかりは私にはどうにも」

男はゆっくり立ち上がり、部屋の隅に置かれた椅子型の装置へと向かった。
腰を下ろすと、肘掛けあたりに幾つかのボタンが見える。

迷いなく赤いボタンへ指を伸ばした。

触れた瞬間だった。
男は鬼のような形相となり全身に力を込めた。

「……う、ううう……!」

耐えきれぬように声が漏れる。
白衣の男もまた拳を強く握りしめ、固唾を呑んで見守った。

装置がガタガタと音を立てて揺れる。

どれほど時間が経ったのか。

汗だくになった男の表情が、ふと変わった。
目を閉じたまま、何か清々しさを感じているような顔になる。
真っ赤だった顔は、次第にいつもの血色へ戻っていった。

白衣の男は握った拳を緩め、肩を落とす。

男はしばし黙っていたが、やがてゆっくりと装置のスイッチを切った。

「……どうですか?済みましたか?」
白衣の男が恐る恐る尋ねる。
男は目を閉じたまま、短く答えた。
「……済みました。成功ですよ」

白衣の男はその言葉に安堵し、装置の一部を開いた。

そこから手のひらサイズのカプセルを取り出すと、厳重に箱へ詰め鍵をかけた。

「これで半年は大丈夫ですよ。
それまでゆっくり休養なさってください。
………ただし、食事だけは。
くれぐれもご注意くださいね」

白衣の男は念を押すように言い、急いで部屋を出た。
男は大きく息を吐き、窓の外を眺めた。

「次は半年後か……。まぁ、それまでのんびりと過ごそう」

男は元来、働くことが嫌いだった。この静かな生活こそが望みだった。
与えられた食事をし、昼寝をし、森を散歩する。気が向けば読書や娯楽もある。ここには何でもある。

しかし、食事だけは常に管理される。

男が自由に望めるのは、味の種類や産地程度だった。
それでも不満はない。
定期的にカプセルを提出さえすれば、何の不自由もない暮らしが保証される。男は満足していた。

いや、この男にしかできない暮らしでもあった。

カプセルの中身は……
男の体内から生まれるガス。
それは特殊で、高濃度の“硫化水素”だった。これを欲しがる者は世界中にいた。
特にロシアからのオファーは絶えない。

森の小さな城で、男は今日も新聞をめくる。ほっくりした芋を口に運び、豆のスープで喉を潤す。
そして半年後の“提出日”まで、この平穏を欠かさず守るのだ。

立派な生物兵器として。

#創作大賞2026 #オールカテゴリ部門

いいなと思ったら応援しよう!