悪名高き丙午
丙午という単語は算命学や干支について造詣がなくともご存じの方が多いように思います。
丙午生まれの女性は気性が荒いとか夫を食い殺すという迷信があり、
事実そうした事を不安に思う方が鑑定に来られることもあります。
果たして、それは本当なのでしょうか。
実際来年と同じく丙午が巡った1966年の出生率は前年の約25%低下しており
いかにこの迷信が当時浸透していたか分かります。
このままでは少子化が叫ばれる昨今、来年の出生率が心配になりますね。
この記事で少しでも丙午の迷信を返上してみようと思います!
分解丙午
まずどうしてこの様な悪名(?)があるのか丙午という干支を素因数分解し考察してみます。
干支は全て合わせて60干支あり、その43番目・丙午という干支の構造は天干は五行陽火の「丙」、地支の「午」も火性属性で上も下も火・火で構成された干支です。
それが特別かというとそうでもなくて、例えば干支番号54番・丁巳も火・火で構成されています。
その他にも天干地支共に同じ五行でできている干支はありますが、丙午のような強い文言はありません。
なぜなのでしょう。
これはおそらく、丙午を構成する丙が自然界に置き換えると燃え盛る太陽、
午も夏の真ん中に配当される支でどちらもハイパワーの炎であることに由来していると感じます。
算命学、もっとさかのぼって陰陽五行論はかつて天の意志をそのまま人界に反映するため知恵として生まれました。
天体の動きを観察し、干支記号に置き換え、今後の世のあり方を予測しました。
とてもシンプルな古代人の生きる知恵だったのです。
古代中国王朝においても陰陽五行・干支論が重用され天の施政者である皇帝が安泰な政のためにこの技法を用い、バランスの取れた中庸が良しという考えが定着しました。
そう考えると確かに燃え盛る火性フルパワーは平和で安穏とした世界にはアンマッチですね。この点においては避けられるのも理解できます。
安定した時代には、避けられる干支だったことから、この様な強い文言がついたのでしょう。
ただ、平和な時代では避けられても、戦国の世であればどうでしょうか。
避忌されし業火は一転、混乱を収めて迷える人々を新時代へと誘う輝く超新星となるのではないでしょうか。
この様に干支に限らず時代というフレームが変われば、そのものの持つ価値も大きく変わるのです。
恋人にしては刺激が足りないまじめで面白味のない人も結婚相手と見れば、大変安定した生活と愛を提供してくれる理想の相手にとなるように…。
なぜ丙午「女性」限定?
なぜ「丙午の女性」と性別まで限定されるかというと、中国には儒教思想によって男尊女卑が定着していました。
紀元前5世紀の書「列子」にも「男女之別、男尊女卑」とはっきり書いてあります。
儒教の男女関係は「女必従夫」であり、男は天、女は地、男は陽、女は陰 と示す。 つまり、夫は妻の天で、天は尊く、地は 卑しい者で、夫は絶対のものとして位置づけられていました。
もうこれだけで現代女性憤慨の価値観ですね。
こうした時代背景から男性の付属物に過ぎない女性がハイパワーでリーダーシップを持ちすぎるのは好ましくなかったという事が想像に難くありません。
現代では価値観も多様化し、女性首相誕生したりとこうした一元的思想は変化しつつあります。
エネルギッシュな丙午の女性が活躍しやすい時代となり、むしろ歓迎されるのではないでしょうか。
まさに混迷を生き抜く力、ですね。
以上の点から丙午の悪評は単に平和な時代が強いエネルギーの干支に対し警告含めて過剰な表現でその性質を示したにだけに過ぎないと推察します。
丙午の年に生まれるともれなく気性の荒い毒婦となる?
来年還暦を迎える方はほとんどが丙午生まれですが、全員揃いも揃って、激烈な毒婦…な訳あるかーい!
まず、基本の考えとして算命学をはじめ生年月日から占う命術において最も重要視するのが生まれた年ではなく、生まれた日の干支です。
なので丙午の年に生まれたからといって、激烈に性格がキツくなる・夫を食い殺す様な運を持つということはありません。
あなたの同級生たちを思い返してください。のんびり屋さん、せっかちさん、優しい人、きつい人、色んな人がいる様に丙午の年に生まれた・生まれる人もそれぞれです。
確かに同じ干支年に生まれた人たちはなんとなーくうっすーら同一カラーを纏いますがその年に生まれたからといって全員が苛烈な性格になるはずがないのです。
来年60歳の知り合いを思い浮かべて、
「いやいやそんなことない!来年還暦の人みんなもれなく性格キツいよ!」なんて思った人は完全に丙午バイアスにかかって客観性を失っています。
もう一度言います。丙午年に生まれたことが原因で劇的に気性が荒く夫を食い殺すような女性になる事はあり得ません。
仮に1966年生まれのお知り合い全員そうだとしたら別の要因があります。
丙午迷信から思うこと
東洋における命術では主に生まれた日・月・年(四柱推命では時間も)の三つ(四柱推命では四つ)の干支を用いてそれぞれの関わりや位置によってその人の宿命を推量するのでその関わりを度外視し生まれた年の干支だけをピックアップして騒ぎ立てるのはナンセンスなのです。
なのでこれから赤ちゃんが欲しいなと思っている皆さん、安心してくださいね。
大切なのは、避けることではなく、知ることです。
今回このnoteを読んでくださった方は少なくとも丙午の迷信の由来について知ることになり、恐るものではないとご理解いただけたかと思います。
人は知性がある分、分からないと怖いし、不安です。
でも本態理解することによって対策を立てたり、準備をする事ができますね。
人生も同じく、自分がどういう宿命を持って生まれ、どの様な環境が合うのか知るか知らないかでは大きく違うものになります。
算命学はあなたの宿命を読み解き示す事はできますが、運命を定めることはしません。
翼を持たずして生まれ地を這う宿命を定められた人類でしたが、知恵を持って鉄の翼を生み、今や自由に空を飛び交っています。
できることとしたいことが違っても、やりようによっては遂げられる。
持って生まれた性質を知りそこから戦略を考えてみてください。
自分の持って生まれた宿命能力、気になる方はぜひ一度ご相談くださいね。
最後に
私見を述べます。
算命学関係なくて恐縮ですが、この迷信を信じて1966年の出生率が25%低迷したということはそれだけ同年で行われる受験・就職選抜の競争率が下がったという事です。
この年生まれの方が大学を出て就職したと仮定して1988年は、日本経済バブル景気絶好調、個人消費も高まりどの企業も新卒積極採用で青田刈りなんて言葉もあるくらいの時でしたね。
前年に比べ新卒人材の総数が少なく、それに対し需要が大きく上回っていたのでまさしく売り手市場、その後訪れる1993年以降の景気低迷期とも比較すると就職先を見つけることは容易でした。
結論として、「丙午迷信」に振り回されず、ありのままに生きた方が結果として現実面ではメリットが大きかったように思います。
特に子どもというものは授かりものです。
一人ひとりが持って生まれた宿命は違い丙午だから全ての人にとって絶対悪という事はありません。
大切なのは俗論に振り回されず、個の宿命から真理を見極める事です。
是々非々無為自然のままにあなたが今だ!と思った時がその時です^^
読んでくださり、ありがとうございました。
次回は、上記で
「基本の考えとして算命学をはじめ生年月日から占う命術において最も重要視するのが生まれた年ではなく、生まれた日の干支です」
と述べました。
では、生まれた年でなく生まれた日が丙午の場合は、どうなるの?
ということをお話したいと思います。
日干支に関し、多少専門性を深めた内容にしようと思いますのでご興味ある方はどうぞご覧ください。
続き
