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『宇野書店へ行ってきた』(VOl1)

2025年8月18日(月)に大塚駅にある宇野書店へ行った。
最初に行ったのは、8月2日なので宇野書店のことや宇野常寛さんという批評家を知っている方は詳しいだろう。。。。

8月2日に行った時は、その場に宇野さんもいてお写真やサインまで書いていただいたことは最高に嬉しくアドレナリンが分泌の極みだった。

今日は平日ということもあり、日中に行ってかれこれ2時間弱は宇野書店にいて、外が壊滅的な猛暑ということもありサードプレイス的な空間として冷房のお世話にもなっていたが、そんなことをアウトプットしたいわけではない。。。
宇野書店で気になる雑誌を読んでいたが、改めて落合陽一さん(筑波大学で助教授、デジタルネイチャーの研究や大阪万博でも展示物を出展)との対談を読み、宗教的神の存在にテクノロジーは君臨していけるか?や民主主義でこの日本をよくしていこうと考えるのは良いことだが、そこに民主主義の限界があるなどの内容は私も同感で民主主義が絶対正義という方向性(思想)は視野を狭めて思考停止に陥ってしまう予感というか確証がどこかある。

宇野さんの提唱している「遅いインターネット革命」は重要なアプローチと示唆であって、インターネットは早いことや効率性などに目が行きがちだが、その分考えることや内面的な部分での問いを生み出す機会を失っている。
私は、最近は遅いインターネットを心がける習慣にシフトしつつある。
もちろん、ゴシップみたいなものは無料ニュースで十分(大抵は迷惑だが、小芝風花がこれから先結婚みたいな報道が流れたら真っ先に追う)だが
概ね、自分の私生活に全く関係がない。。。

私は、ドラマや映画で最近の流行や社会的な動向を思考するのが好きで
たくさん見ているが、国家権力に立ち向かう系の「エルピス」と「Belive」
は現代社会のまた権力や昇進にあまり関心がない若者世代も巻き込んでのドラマ展開は国=政界の脅威みたいなものを提示していくある種の超えられない壁と自己責任論を押し付けられている感じを覚える。
恋愛ドラマや漫画でも大きく恋愛の仕方が変わってきているように感じる。
昔みたいなヒューマン要素全開はより通用しなくなる。
コメディという路線で展開するのか。あるいは新しい路線を見出すのかこれからの恋愛ものは展開が楽しみである。。。

そんなことは今書きながら漠然と考えてしまったことで、宇野書店というサードプレイス的な空間から新たにアウトプットする場設定みたいなものをしたいなと感じた。
宇野さんは対談でも読書会みたいな年上が語り散らかして気持ちよくなる空間は嫌いと成敗していたが、読書会の本質的なものはそうではなくてシェアする中でそれぞれが感じたことや考えたことをテーマ設定してシェアすることにものすごいお金には変えられない価値があるんだと感じる。

読書というのは、自己完結ではなくて他者にアウトプットしてシェアすることで初めて成立する部分(→ないしは、言語化する)だと思うので読書の醍醐味を増やしていくことは何か自分も考えて取り組みたいと思う。

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