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リーダーとはどうあるべきか?

こんなことを学生の頃に経験した

山の先輩の下宿の近所にラーメン屋がありよく連れられて夜食事をさせていただいた。過去の人生でそこのラーメン屋の親父以上の人物にはいまだかつて出会ったことはない。

入れ墨はなかったが、眼光鋭い親父さんで隣に相方の奥さんが控えていた

実際に出会ってお話をしてきた学校の先生、会社の上司、友人・知人の中にも「人物」は何人かいて優秀な方もいたが比較にならないほど「迫力」「説得力」「理屈というか理論」「実生活、体験、経験からくるエピソードに基づくお話」はまるで映画・ドラマのような世界であり例えようもない。あの圧倒的な迫力はドイツ文学者の「西尾幹二」くらいしか知らない。

親父さんのエピソードは数えきれないほどあり小学生の頃に台湾でリヤカーを曳いて商売をし家族を支えたころから、タコ部屋に監禁されたときは18歳にして2000人ほどの荒くれ男をまとめた話や脱獄ではないが島から逃げたのに海岸で村人が安心なとこに行くと送ってくれたのに「また元の島だった」とか、朝鮮半島での軍隊での憲兵をした話、戦後は村長をした話、汽車の電化の時の土建屋、学校の食堂経営から車屋経営、マツダを相手にした訴訟など波乱万丈の人生を語ってくれた。

大学の先生だったり会社の偉いさんでもラーメン屋に一歩入ってため口をたたいていると「論破され、叱られて、皆ワンワン泣いて帰る」くらいの迫力で一度はヤンキーが目の前で「おいちゃん、なんぼ?」と聞くと「いりません!」という、気に入らない客からは金はとらない。

いつもお題を問うと禅門答のように教えていただいた。そんなお題の中に先輩と私は山をやっていたので「リーダーとはどうあるべきか?」をある日尋ねた。

引率とは率いることである、率いるとはメンバーをすべてで凌駕しないといけない

リーダーとはどうあるべきか?

すると・・・ビシッとこちらをよく指をさして「あなたはどう思いますか?」聞かれたが「わかりません」というと「それはねぇ・・・リーダーは生まれながらにして決まっているんです」という。

 あの、田中角栄を見ろという「皆、人生出世してリーダーになる人間は小さい時からガキ大将だ」という、「ガキ大将でアクもいる」という。これはいろいろと後日学ぶとどうやら親父さんのいっていることは生まれながらに持った「素質」というものらしい。

「素質」と「素養」は違う、「素質は生まれ持ったものだ」

「素質は生まれ持ったもの」「素養は体験を経験に昇華させて長い間に色々と学んで身につけた知識や技術のことだ」「素養のある人のことをその道のプロとかベテランと呼ぶ」がしかし「素質と素養は違う」リーダーには「素質がいる」。ベテランというのとリーダーをするのとは別の話で勘違いをしやすい。

最近この年になってわかったことだが、旅行業協会の登山部の理事曰く、登山の世界でも引率とは「率いること」だという。「率いる」ことについてどうあるべきかを考えればいいが、リーダーには「素質がいる」「素質がないのに素養だけでリーダーとして振る舞うと遭難の引き金を引くことになる
 加えて「素質」に教養と引率に足るものが備わっていれば尊敬もされるし危急時にも全員を生還させることができる。

リーダーは生まれながらにして決まっている。

そう逆にいうと「リーダーにはなってはいけない者がこの世にはいる」ということだ。世情すべてに言えることだが親父さんはそう教えてくれた。「山は謙虚さを学ぶ学校だ」というが「素質のない者」は謙虚にすべきだろう。
山岳四団体のリーダー研修でそのようなことは教えられないだろう「元も子もないしそもそも、教える側に素質がないものがいればダメだ」

最近、男女二人組でクライミングからバリエーション、厳冬期登攀などや沢登りで遭難して女性だけが頻繁になくなっている、二人で男性が亡くなったことは聞いたためしはなく自分だけ小屋にたどり着いた男性もいた。女性の個人情報がでても責任のあるリーダーの男性のことはこれっぼっちも触れられないのはどうかしているが、元々資格のないものがリーダー役をするからだと思っている。最近はそういう勘違い男がおおい。

話は親父さんに戻るが社会に出て実践で「教えてもらったことで」そのセリフが役にたったことがあった、交通事故で暴力団事務所に連れ込まれてすごまれたときに留守番役に「それはこっちがやばい」といわせたことだが、ながくなるので割愛する。

追伸
考えれば動物のリーダーは「選挙」で決めるわけではないので、親父さんの言う「リーダーは生まれながらにして決まっている」という洞察は当たっているというのが正しいのだろう。波乱万丈を生き抜いてきた方は皆、清濁すべての真実を知っている。


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