「妥協」しない富野監督、だ~い好き!
まあ、いわゆるファーストガンダムですね。1979年から放送されていた富野 由悠季監督の手掛けたアニメです。この主題歌にワクワクした当時の子供たち。何を隠そう、私もそんな幼気な子供の一人でした…。
「翔べ! ガンダム」(OP)
作詞:井荻麟(富野由悠季) 作曲 :渡辺岳夫 編曲 :松山祐士
歌: 池田鴻&フィーリング・フリー&ミュージッククリエイション
当時、小学生の子供にですよ、「ニュータイプは人の革新」って富野さん、もうワケワカランですわ。大人になった今でさえ、ニュータイプが何なのかよく分からん。何でも「仏様」のようなものだとか聞いたことがあるけど…。今でもよく分からんのに、小学生の子供を相手に「人の革新」が云々なんて言われてもねえ。まだ人間が何なのかもわからん小学生を相手に、本当に容赦ないわ富野さん。
〔ラグランジュポイント〕
太陽や地球のような大きな質量を持つ2つの天体の間に、質量の無視できる第3の天体が安定して滞在できる5つのポイントのこと。なんじゃそれ?
簡単に説明すると、二つの天体の間にあるこのポイントは、とにかく安定した空間だということです。それがなんじゃい!
富野さんは、地球と月の間のこのポイントにスペースコロニーを配置したんですね。安定してる空間だから、コロニーの中で人が安心して住める、という理屈です。しかも、コロニーは回転することで重力を生み出します。重力があるから、人は違和感なく丸い筒であるコロニーの中でも生活を営むことが出来る、という理屈です。富野さんはどこまでも思考が科学的なんです。
私ら当時小学生ですよ、富野さん。そんな理屈全く分かりませんて。でも、私たちは富野さんのお陰で、こんな専門的な天文学用語を、小学生の時から既に知っていたのです。これは聞いた話ですが、欧米の学者が、天文に興味があるわけでもないごく普通の日本人が、こんな難しい用語を知っていることに驚いたそうです。そうです。これは富野さんのお陰なんです。
〔マ・クベの壺〕
これもまた、私が富野さんを尊敬する理由のひとつですね。子供向けのアニメにですよ、突然何の前触れもなく、「北宋」なんていう中国史の専門用語をぶち込んでくるあたり、並大抵のセンスじゃないですよ。富野さん、もうさすがとしか言いようがありません。
冷血人間のマ・クベが壺を指で弾いて一言、「北宋だな」ですって。く~泣かせるなあ富野さん。このセリフを聞いたら趙匡胤(ちょうきょういん:北宋の建国者)がどれだけ喜ぶことか。「私の建国した国の名前を、日本の子供たちが知ってくれている」と。
何と商魂たくましいバンダイナムコは、かつてノリタケと共同で壺を再現して販売していたとか。
オフィシャルページは既に閉じられているようですので、現在では販売されていないようですね。そのため、今回参照したのは別のサイトになります。確かに、北宋の陶磁器(白磁)の特長は何となく感じるんですが、これが本当に北宋様式なのか、私は専門家ではないので分かりません。しかし凝り性な富野さんのことですから、専門家の監修をちゃんと受けている可能性は否定できません。
〔ミノフスキー粒子〕
「ミノフスキー粒子を戦闘濃度で散布」なんてセリフをよく聞きましたね。要するに、モビルスーツのような戦闘兵器を活躍させるために、便宜上設定された科学物質です。近代戦において、あんな物は単なる的です。戦車がなぜ平ぺったい形をしているかといえば、弾に当たりにくくするためですね。モビルスーツなんて実在したら、弾を当ててくださいと言っているようなものです。そこで富野さんは考えました。それはマズいどうしようかと。そこで思いついたのがコレです。レーダーを妨害する物質を作れば良いと。レーダーが使えなければ、接近戦で戦うしかない。それなら目視?によるモビルスーツの格闘戦も可能になるだろうと。そんな科学物質を発見したのがミノフスキー博士。この博士の名の由来は「富野が好き」からイメージされたのだとか。富野さんの茶目っ気がみえるエピソードですね。因みに、ガンダムの舞台が地球ではなく宇宙になったのは、モビルスーツのような重い物が、地球で自在に動くことは出来ない、という理屈からだったそうです。もう、富野さんはどこまでも科学ナイズされているんだから。イヤになっちゃう。
ファーストガンダムに留まらず、その前身である「ザンボット3」では、主人公の神ファミリーの先祖が宇宙人だということで、周囲の人間達から排除される設定だったり、敵であるガイゾックが、捕らえた地球人の体内に爆弾を埋め込み、兵器として利用する「人間爆弾」なる設定が飛び出したり、とても子供向けとは思えないダークなアニメでした。「ザンボット3」はとにかくエンディングが良い曲なんですよ。まあコレですけどね。
「宇宙の星よ永遠に」(ED)
作詞 :日本サンライズ企画室 作曲:渡辺岳夫 編曲:松山祐士
歌:堀光一路&ザ・ブレッスン・フォー&ザ・チャープス
とにかく富野さん、
「お前たち、オレに着いて来られるかな?」
とまるでシャー・アズナブルのようなセリフを言わんばかりの勢いですね。子供向けだから言って、決して容赦をしない富野さんのプロ魂を感じます。
※この人も容赦をしないプロです…
この辺は円谷英二にも共通しますね。むしろ子供向けだからちゃんとした物を作らないといけない。例えフィクションであっても、嘘をつくのではなく、その世界がちゃんと成立するように仕掛けを施さないと、子供の眼はごまかせません。忖度する大人よりも、余程厳しい眼を向けられます。それに、子供は未来を背負って立つ存在です。子供頃から科学を含んだしっかりした知識を持つことは大切なことですね。
これは持論なんですがね、大人たちが色んなところに忖度して作る子供番組って、やっぱり良くないと思うんですよ。例えばおもちゃを売りたいから、シナリオ重視よりも派手な演出をしてくれとか、コンプラ重視なんで、グロいシーンはNGね、とか。とにかくワクワク楽しい番組を作りたいんで、辛い現実は描かなくてOKとかね。私はウルトラセブンが好きなんですが、セブンの良いところは、人間のダークな面をちゃんと見せているところですね。
※人類のために犠牲となったギエロン星から…
人間にはこういう悪い面もあるから、大人になる前に歯止めをかけておきたい。そんな当時のクリエイターたちの願いが伝わってくるようです。良い物ばかり、楽しいことばかりを見せられて大きくなった大人って、私はどうなんだろうと思うことがありますね。見たくない物は見ない、知りたくないことは知らなくて良い。そんな表面的な大人になって、そんな大人ばかりがいっぱいいる世界って、どんな世界になるのでしょう…。
富野さんが例え子ども相手でも容赦しなかったのは、将来を背負って立つ子供たちを大事に思っていたからだと、私は思います。だから私は、
そんな富野さんがだ~い好き!
お粗末でした。
恐々謹言
