“じゃない方”の作曲家大集合!
クラシック音楽が苦手な方へ
今回のエッセイは、クラシック音楽ネタとなります。私自身、かつてクラシック音楽の集まりに参加した折、そこで交わされる大変にノーブルな会話に付いて行けず、恥ずかしい想いを経験したことがあります。それ以来、私はクラシック音楽を言葉ではなく“体感(フィーリング)”で味わう道を選択しました。このエッセイも、私のそんな苦い経験を踏まえ、クラシック音楽が苦手な方でも何となく読むことが出来るように書いているつもりです。私自体が、ウンチクを大切にして音楽を聴いている人間ではないので、大した文章は書けません。ですから、このエッセイは本式の方向けの物ではありません。その点は悪しからず。引用している音楽は、10分を超えるような長い物もあります。普段ポップスに慣れている方ですと、ちょっとヘビーかも知れません。そんな方は、冒頭の2~3分程度でも構いません。音楽家がどんな曲を作曲しているのか、雰囲気だけでも感じて頂けると幸いです。今回ご紹介する音楽は、全てが楽器のみによって演奏されています。ポップスと違って歌詞がありません。ですから、この音楽が何を語っているのか分からないと言う方もおいででしょう。そんな方は、どうかご自分のハートに質問してみて下さい。この音楽が自分にとってイケるのか、イケないのか?先ずはそこから、って感じです。クラシック音楽の話だからと言って、肩の力を入れず、ゆったりした気分でどうぞこのエッセイをお楽しみください。
じゃない方の人たちこの指と~まれ!
「じゃない方」
漫才コンビで例えるなら、ツービートで言うビートきよしみたいな。すみません例えが昭和チックで。
※巨匠の映画監督はその昔…
何せ令和ロマンとかよく知らないものですから。要するに、それなりに才能はあるのだけれど、世間一般の認知度が低い人のことですね。今回は有名作曲家の親族なのだけれど、今一つ一般大衆には名が知られていない作曲家にスポットライトを当ててみたいと思います。本家は超有名。でもじゃない方は“通”でないとまずお目にかからない、そんな可哀そうな作曲家の皆さんにご登場頂きます。今回はクラシック音楽のお話になりますが、さほど難しいことは書きませんからどうぞご安心を。なお、⭐の付いた作品が「じゃない人」の作品です。お間違え無きよう。
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714~1788)
“音楽の父”と称されるヨハン・セバスティアン・バッハの息子さんです。バッハは成人した息子の何人かが音楽家になっています。今回はその中でカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作品をご紹介しましょう。
⭐「ソルフェジエット」
非常に短い曲ですが、かなりインパクトのある音楽ですね。ピアノを嗜む人なら、こういう指がせわしく動く曲を弾いてみたいと思うのでしょうか。私は全く楽器を触れないので、こういう曲を演奏できる人を羨ましく思います。あのモーツァルトはバッハやエマニュエルを含むバッハの息子からの影響を強く受けています。バッハは音楽の父でもありますが、同時に偉大な音楽家の父でもあったわけです。では、そのバッハの超有名な作品を次にご紹介します。
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
「トッカータとフーガ ニ短調」
冒頭の旋律はあまりにも有名ですね。悲劇の音楽の象徴としてよく使われます。この人↓の替え歌の元ネタにもなってます。
誰もがこの曲の出だしを知っていても、その後の展開はクラシック音楽に馴染みのない方はほぼご存じないと思います。10分を超える作品なので、普段クラシック音楽に親しんでおられない方には、ちょっと厳しいかも知れませんね。この曲を聴いていると、色んな風景が頭に浮かんで来るので、もし機会があれば是非聴いてみて下さい。
ヨーハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト(1719~1787)
普通、私たちがモーツァルトと言う場合、この人の息子さんのことです。つまり、レオポルトはモーツァルトのお父さんということですね。この人は大変に優れた教育者で、彼の出版した「ヴァイオリン奏法」という本は、いまだに出版されているそうです。難しい音楽理論書なのに絶版にならないなんてスゴイですね。レオポルトはモーツァルトにとって大変に厳しい父親でした。幼い頃から徹底した音楽教育を施しました。その様は映画「アマデウス」でも描かれていますね。「まるで猿回しの猿のように…」なんてセリフがありますね。
モーツァルトにとっては単なる父親ではなく、音楽家として成功を収めるためにありとあらゆる指導を施した人物であり、レオポルトは文字通り天才を作った男と言えるでしょう。モーツァルトと一心同体と言っても良い存在でした。それが証拠に、モーツァルトはまるで父を追うように1791年に亡くなっています。
⭐「交響曲ト長調 新ランバッハ」~第4楽章
この曲が発見された時、当初は息子の作品だと考えられていたようですが、実はレオポルトの作品であることが判明したという代物です。初期のモーツァルトもこんな感じなので、やはり親子だなあと思います。モーツァルトの父親である以前に、優れた作曲家だったと思っています。
では、今度は本家の超有名作品と参りましょう。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
セレナーデ 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」~第1楽章
この曲は誰でも知っていると思います。うちの職場ではモバイルバッテリーの充電完了のメロディに使われています。モーツァルトと言えば、って感じですね。この曲はメチャクチャ有名なんですが、何の目的で作曲されたのかさっぱり分かりません。タイトルも「一つの小さな夜の音楽」つまりセレナーデのことであり、モーツァルトが何でこんなシンプルな名前を付けたのかもわかりません。分かっているのは、父親の死後2か月後に作曲しているということだけです。謎多き名曲です。
ヨハン・ミヒャエル・ハイドン(1737~1806)
現在のドイツ国家の生みの親であるヨーゼフ・ハイドンの弟です。モーツァルトとは兄のヨーゼフと共に親交がありました。ミヒャエルが病で作曲出来ないと知ったモーツァルトが、彼に変わって彼の作風を模して作曲するという一幕もありました。ミヒャエルの弟子は有名なカール・マリア・フリードリヒ・エルンスト・フォン・ウェーバーです。この曲が特に有名ですね。
「舞踏への勧誘」
後にベルリオーズがオーケストラ曲としてアレンジしています。
どちらも良い感じです。お好きな方をお楽しみください。
と、弟子の作品を紹介しても仕方ありません。ミヒャエルの作品もご紹介しないといけませんね。
⭐「交響曲ト長調」
この曲も初期のモーツァルトを彷彿とさせる作品です。モーツァルトは兄のヨーゼフからも影響を受けていますが、弟のミヒャエルからも音楽的な影響を受けていたと思います。
では今度は本家の有名作品です。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン作曲
「交響曲 第101番 ニ長調〔時計〕」~第二楽章
ハイドンは100曲以上の交響曲を作曲したことから、「交響曲の父」とも呼ばれます。タイトルが付いていることが多いのですが、楽曲の内容とは特に関係ない場合がほとんどですね。この曲も、ハイドン自身が付けたわけではなく、規則的なリズムのイメージから「時計」なんて呼ばれています。可愛い曲です。ハイドンは結構マニアな人が好む作曲家、というイメージがありますね。私もさほどハイドンの作品は聴きませんが、この曲は大好きでよく聴きます。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン作曲
「トランペット協奏曲 変ホ長調」
年老いたハイドンが作曲したのですが、そんなことは微塵も感じさせない若々しさを感じます。大変に親しみやすいメロディに溢れる名曲です。お時間のある方はぜひお聴きください。
ファニー・メンデルスゾーン(1805~1847)
弟のフェリックスは超有名です。え、そんな人知らないって?じゃあ、この曲はいかがですか?
フェリックス・メンデルスゾーン作曲
劇付随音楽「夏の夜の夢」作品61~「結婚行進曲」
令和の結婚式場でこの曲を聴くことはまずありませんが、昭和時代の結婚式では当たり前のように流れていました。まるで結婚式場が作ったBGMですか、と言わんばかりです。ファニーの弟であるフェリックス・メンデルスゾーンがシェイクスピア劇の音楽として作曲したものです。ファニーは作曲家としてだけではなく、ピアニスト、指揮者としても活躍したようです。男尊女卑のこの時代には珍しく、夫の協力を得て作曲家として活躍出来ました。この辺りはシューマンの奥さんであるクララとは大違いです。弟のフェリックスとは大変に仲が良く、彼の作品の良き助言者として弟を支えました。彼女の死を知ったフェリックスは心労のあまり、わずか半年後に世を去りました。父を失ったモーツァルトに似ていますね。
⭐「ピアノ三重奏曲ニ短調」~第二楽章
クラシック音楽に慣れている人には良い曲だと思うのですが、そうでもない方にとってはメロディが頭に残りにくく、ちょっと難しいかも知れませんね。第二楽章ですので、基本的には穏やかで静かな音楽です。お休み前にどうぞ。
クララ・シューマン(1819~1896)
有名なロベルト・シューマンの奥さんです。シューマンはこの曲で有名ですね。
ロベルト・シューマン作曲
「子供の情景」から「トロイメライ」
良い曲ですよねえ。泣けます。で、クララはこの曲を作った人の奥さんなんです。彼女は作曲家になりたかったようですが世間がそれを許さない。仮に許したとしても、彼女はシューマンとの間に8人もの子供をもうけているので、子育てに忙しく、作曲に時間を割くなんてことは事実上不可能だったでしょうね。でも、私はその割に曲を作ってるなあという印象ですけどね。アラフォーになった彼女は、結局作曲家を断念してピアニストとして生きる道を選択したみたいですね。才能あったのに可哀そう…。シューマンは精神病院に入れられて亡くなるもんですから、クララは旦那が精神病という悪名を浴びないように、シューマンの手紙や作品を破棄するなどしたため、研究者の不評を買っています。旦那の死後、その弟子のブラームスと不倫関係を疑われましたが、そのような事実は全くなく、二人は固い友情で結ばれる間柄でした。ではクララが作曲した音楽をお聴きください。
⭐3つのロマンス Op.22 より第1番
こちらもちょっとクラシック音楽に馴染みのない方は難しいかも知れません。でもしっとりとして良い曲だと思います。
ヨーゼフ・シュトラウス(1827~1870)
「じゃない方の作曲家」の中で、私がイチオシの人です。と言うか、この人はじゃない方の人じゃない可能性が高いです。この人は有名なワルツ王ヨハン・シュトラウスの弟です。本家である兄の作品ですが、恐らくこの曲を知らない人はいないでしょう。
ヨハン・シュトラウス作曲
ワルツ「美しく青きドナウ」
本当に美しいワルツですね。高校時代はヨハン・シュトラウスにハマりまくっていたので、この曲も飽きる程聴きました。そしたらやっぱり飽きました。今ではあまり聴きません…。何せ、私はなんちゃってクラシック音楽リスナーですから。
何と、弟のヨーゼフは工学技師の道を歩んでおりまして、兄が曲に描いたドナウ川の水門建設の現場監督を勤めたということです。ところがです。兄のヨハンがワルツ王として多忙を極め、過労死寸前になり倒れるという事態が発生します。母も兄もヨーゼフに代わりに指揮台に立って欲しいと懇願します。なんでやねん。現場監督ですよ。工事現場の指揮は慣れてても、オーケストラの指揮なんてやったことなんてありません。「お家の大事なんだからやりなさい」と母に促され、渋々指揮台の上に立ちます。さらに作曲までやれと言われる始末。もう踏んだり蹴ったりです。ところが、ここで才能が爆発的に開花してしまいます。兄が病でしばらく作曲出来ないこともあり、代打としてヨーゼフはシュトラウス家を支えます。そうする内に段々と作曲家への夢が目覚め、彼は技師を辞め、本格的に作曲家として活躍することとなります。ところが、ワルツ王である兄の名を超えることはついぞ出来ませんでした。世間では結局、ヨハンの弟というレッテルがずっと貼られていたのです。ヨーゼフにとって、それが大きなコンプレックスだったことは容易に想像が出来るでしょう。では、そんなヨーゼフが作曲した名曲をお届けします。
⭐ワルツ「天体の音楽」
兄の「美しく青きドナウ」にも負けずと劣らない大変に美しいワルツです。ヨーゼフは歌うような美しいフレーズが特長で、「ワルツのシューベルト」と呼ばれていたようですね。
実は、シュトラウス一家には他にこれまた有名な行進曲を作曲した父ヨハンがいます。この曲ですね。親子が同じヨハン・シュトラウスなので、父が1世、息子が2世と言わることもあります。
ヨハン・シュトラウス1世作曲
「ラデツキー行進曲」
父のヨハンは息子が作曲家になることを許さなかったようですね。今でもそうでしょうけど、収入が不安定ですから。妨害工作を試みますが、結局息子は作曲家としてデビューしてしまいます。作曲家としても息子の名声が大いに高まり、その点でも不満だったでしょうね。この行進曲は、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートでは、必ずと言ってよい程、息子たちのワルツが演奏された後、アンコールを締めくくる場面で演奏されます。その様を、父ヨハンは天国で一体どのように思っているのでしょうか。因みに、四男のエドゥアルトも少ないながら作曲家として活躍しています。
エドゥアルト・シュトラウス作曲
ポルカ・シュネル「テープは切られた」
短いですが軽快な音楽が印象的です。エドゥアルトは作曲家としては大成しませんでしたが、男前だったこともあり指揮者としての活動が光ります。兄ヨハンとはどうやら仲が悪かったみたいですね。親兄弟と言えども、決して仲が良いわけではありません。むしろ血が繋がっているからこそ、一旦仲が冷めると、他人よりもややこしいことになりますね。親族だから仲が良いのは当たり前、そんな思い込みはパラレルワールドの話です。
今回はじゃない方の作曲家にご登場頂きましたが、そうは言っていますが、彼らは決して無能な作曲家ではありません。作品に味がある、と言えば良いでしょうかね。ついでに本家の皆さんにもご出演頂きました。音楽を聴き比べてみることで、親族でも随分と個性が違うことに気がつくことでしょう。音楽の違いは決して優劣ではありません。“個性”なのです。私はクラシック音楽の“通”ではありませんから、ウンチクを滔々と語ることも出来ませんし、音楽を言葉で上手に表現することも出来ません。今回、こうして親族の書いた音楽を並列してみましたが、そこから言葉に出来ない「何か」を皆さんに感じ取って頂ければ幸いです。音楽を理屈や言葉で楽しむのも一興ですが、私は音楽はハートで楽しむ物だと思っています。どんなに言葉を尽くしても、それは所詮、その人の頭を飛び越える物ではありません。しかし、ハートで感じる物は、誰の心の中にも共通に染み入る何かがある、と私は思います。今回のエッセイを通して、読者の皆さんに何か残ると良いなあ。
恐々謹言
Made in Human~このエッセイは全て人間によって書かれています。
