歴史好きな友との「交流」はANA愉し
このエッセイは、あくまでも個人的な見解を述べたものです。信長が「本音はこうですよ」と自分で書き残していない以上、誰が何を言ってもそれは個人的見解となりますので、その点をご理解の上、最後までごゆっくりご鑑賞下さいませ。
私には歴史マニアの友人M君がいる。彼とは大学の同期だから、もう30年くらいの付き合いになろうか。とにかく陽気なヤツで、周囲が私を奇異な目で見る中、どういうわけだか馬が合った。彼は私よりも何倍も頭がよく要領も良い。あまり私生活を明かさぬ男だ。そういう所は私に似ている。知らぬ間に結婚し、この難しい世相の中で人生を謳歌している。そんな彼は大学で「織田信長」の研究をしていた。当然、卒論のテーマは信長について書いたわけだが、何を書いたのか聞いても毎回煙に巻かれてしまう。奥ゆかしい男だ。とにかく信長に関しては詳しい男だから、日本史に疎い私は大変に重宝している。私は大学で東洋史を専攻していたので、実はあまり日本史には詳しくはない。「三国志」をやりたくて東洋史を選択したのだけれど、教授が中国の六朝時代を研究している人だったから、三国志なんてお門違いも良いところ。でも、卒論は司馬仲達を書いたっけなあ。もう30年以上前だから、何を書いたのかは忘れちゃった。
※私はこの人が好きなんですが…
好きか嫌いかは別にして、日本人としてやっぱり織田信長は気になる存在。信長のアレコレについては、なんちゃって歴史好きな私でもつい知りたくなってしまう。そんな私にとって、彼は欠かせない存在なわけで。
そんな歴史マニアのM君とは、ここ何年か、毎年冬になると連れだって史跡巡りをすることにしている。なぜ冬なのか?ちょっとした山城へ行こうとすると夏は色んな意味で危険だ。まず蛇が出る。私は前世が蛙なのではないかと思うくらい、蛇が嫌いだ。舌をペロペロ出しながら蛇行して行くあの姿を見るだけでフリーズしてしまう。まるで勝手に強制終了するパソコンのように。美濃のマムシと言われたのは斎藤道三だけど、本物のマムシなんかに襲われたらThe Endだ。まあ、どっちも怖いけど。
※油売りだったというのは嘘…
それに、最近は熊も怖い。くまモンならいくらでも相手になろう。
※復興のシンボルとならんや…
だが本物は遠慮させて頂く。いくらクマよけのスプレーを持っていても、そんな物を使う余裕すら相手は与えてくれないだろう。最近になって死んだふりがNGだと知った。ガセネタをバラまくのもいい加減にして欲しい。それでBad Endを迎えた人もいるんじゃないか?それと、何より熱中症だね。40度なんてエジプトぐらいだろうと思っていたら、日本でも軽く超えちゃったしね。小学校で日本は温帯湿潤気候だなんて習ったけど、もう完全に亜熱帯気候なんじゃないの?まさかステップ気候とか?
と、そんなことはどうでも良い。要するに歴史マニアの友人を史跡巡りに連れて行くと、非常に質の良いガイドをしてくれるから有難いということが言いたかったわけで。草木の生い茂る未整備の山城なんかに行くと、ここが堀の跡だの門の跡だのと、地形を見ただけで的確に教えてもらえるから頭が下がる。年に一度の彼との史跡巡りは、日本史に詳しくない私にとって、喉から手が出る程の貴重な体験なのだ。去年は桶狭間へ出向いた。今更そんなメジャーな史跡を見て意味あるの?と思う人もいるだろうが、道中、歴史を知る友と並んでああでもない、こうでもないと論議を交わしながら歩くのが楽しい。前から書いている様に、「歴史」には確実な史料が無い限り完璧な答えは無い。もう終わっちゃってるから誰にも真相は分からない。今起こっていることでさえ真実がどこにあるのか分からないのに…。逆に言うと、だから自由にアレコレ言えるし書けるわけで。桶狭間での顛末は以前noteに書いたので、興味のある方は探して読んでみて欲しい。たくさんエッセイを書いてるからなあ。探せるかなあ。
彼と交わす携帯メール、ん?何で今更携帯メールなのかって。だって私はガラケーなんだもん。だからlineなんて別世界の話。ああ、因みに、日本人の平均月収やボーナスが幾らってのもそう。私にとってはどこの国の話?って感じだね。
話を戻すと、もちろん相手はスマホだから、いちいちショートメールを打つのが面倒くさいに違いない。そんな我々のメールは、ほとんどがどうでも良い内容(noteには恥ずかしくて書けない)なんだけれど、ごく稀に、「おっ」と思わせる物もある。今回はそんな私たちのやりとりを一部再現したい。
私はふと思った。なぜ信長は朝廷からの三職推任(将軍or太政大臣or関白への就任)を断ったのか?表の理由は「だって、まだ天下統一してないもんね」ということだけど、あの一癖も二癖もある信長がそんな理由で断るなんてあり得ないだろうと。本心は別にあるに違いない。ということで、早速M君にメールしてみた。何せ彼は信長の専門家なのだから、明確な回答を出してくれるに違いない。但し彼曰く、30年前の知識(大学在学中の)ということなので悪しからず。でも当たってると私は思うけどなあ。
私はM君に保留の理由を尋ねてみた。
M君「クイズ。なんで保留したか?」
私「表の理由は天下統一してないからだと思うけど、本当の理由が知りたい」
M君「答。例え形式的としても天皇権威の下に立つことを嫌った。しかし本願寺との勅命講和等、天皇権威克服の理想には、至らなかった」
私「ということは、仮に統一しても三職は受けないということやな」
M君「なんか早とちりだぞ。本願寺等と書いてあるだろ。他にも信長政権の天皇権威克服の理想と、現実局面での天皇権威利用の矛盾例あり。結論、最強の軍事実力者信長は、国内統一事業と並行して、天皇権威克服を目指したが、どちらも未完のまま終わった」
彼の言う矛盾例の一つは「馬揃え」のことだろう。信長が天皇権威を利用して自己PRに利用したわけだから。結果論だけど、信長の事業は中途半端に終わってしまった。そんな中途半端な信長を日本史最大のヒーローに仕立て上げたのは司馬遼太郎に違いない。小説家の力って本当に偉大なんだなあと思う。だって、江戸時代、信長は誰からも嫌われてたんだから。それが明治になって“勤皇家”という評価が生まれ、さらに戦後になって小説で格好よく描かれることで爆発的な人気を呼ぶ。それが日本人にとっての「信長像」へと定着していく。全く、司馬史観には恐れ入谷の鬼子母神だ。それにしても、天皇権威の克服を目指していた信長が勤皇家とはねえ。時代を感じるなあ。結局は克服に失敗したわけだから、まあ、一面でそう見えるのも仕方ないけど。
私「結局、信長は天皇権威の克服に至らなかったから、最終的には何かは受けざるを得ないということだな」
M君「追記。秀吉は、家康を軍事的に屈服させることに失敗したことにより、関白に就任。天皇権威と密着して統一事業を果たした」
私「家康は何で将軍になったの?豊臣家が残ってたからか?」
家康が政権を握った(幕府を開いた)時点ではまだ豊臣家が残存していたわけで。だから豊臣家をすっ飛ばして家康が諸大名を従えるためには、豊臣家よりも偉い朝廷の権威にすがるしか無かった…。
M君「正解だぞ。結果、幕末に信長の危惧が現実に」
私「信長が朝廷を克服したかったのは、幕末みたいに朝廷を利用する輩を出さないためだったのか。なるほど」
つまり、こういうことだろう。
織田家の権力が緩んで来た時、必ず朝廷権威を利用して反乱を起こす連中が出て来る。それを防止するためには朝廷権威をフラットにしておく必要があった。
なるほどなあ。つまり信長は「その先」を見ていたんだなあ。さすが信長。で、もし信長が晴れて天下統一していたとしたら、一体どんな役職に就いたんだろう。なんて妄想してみるのも楽しい。一番可能性が薄いのは関白だろうなあ。そうなると将軍か太政大臣の二択かあ。どっちかなあ。どっちにしようかな、神様の言う通り…。こっちかぁ。さて、私がどういう妄想を抱いたのか?それはまたの機会に。
で、ここで私の頭に浮かんだのは、豊臣家が公家で残る可能性もあった、という話だ。私も以前この説に賛同していた。けれども、この信長の思考から推量するに、それは無いかも知れないとも思える。なぜか?例え公家とはいえども豊臣家は政権を握っていた武家。織田家は徳川大名として残ってはいるが、それとはちょっとニュアンスが違う。幕末には岩倉具視や三条実美といった公家が暗躍するが、それを想像させる。豊臣家は織田家と違って、天下統一した家だから、もし存続していたら確実に徳川の憂いとなるだろう。だから千姫を返してもらっても、豊臣の血脈を残すことをしなかったんだろうなあ。歴史にifは禁物だから、豊臣家の存続という論議自体が無意味と言えば無意味だけれど…。でも、こういう妄想を抱くのも、歴史の一つの楽しみ方だと思うね。
ここで私はもう一つの疑問をM君に投げかけてみることに。
私「豊臣家が滅んだ後、何で徳川は朝廷を滅ぼさなかったの?」
M君「天皇が無くなれば、徳川は将軍でなくなり、建前では各大名と同格になる」
なるほどなあ。そりゃそうだ。
私「結局、信長にせよ家康にせよ、天皇権威を克服できなかった時点で、幕末のような状態は想定されていたということだな」
M君「合戦に勝った負けただけでなく、こうやって事実に解釈を加えると、
歴史に厚みが加わる」
先にも書いたけど、歴史には「絶対」はあり得ない。例え偉い学者が「こうだろう」と本に書いていても、それはその学者の説に過ぎない。だから歴史学者は星の数ほどいる。もし、絶対にその説が正しいというのであれば、それぞれの時代を考証する学者は一人で良い。
M君が言っているように、歴史は「解釈」なのだ。一つの史実を複数の視点から見てアレコレと解釈する。江戸時代にディスられていた信長が、明治になって「勤皇家」として評価されたのが良い例だ。よく「歴史を都合よく解釈する」なんて言われるけど、残念ながら歴史というのは解釈を伴って発展していく性質だから、往々にしてそのようなこともある。それが是か非か、素人の私には断言できない。
ただ、M君が言っているように、歴史を愛する人たちによって色んな解釈が加わり、歴史は厚みを帯びて行く。そういう性質もある。だから私は歴史の探求を止められないんだなあ。答えが無いんだもの。やがて私だけの答えにたどり着けるかも。まあ、そんな答えは誰も興味無いだろうけどね。
今回のエッセイは、M君との久々の歴史談議(普段はここで文字化出来ないくだらんネタばかり)を通して、歴史の楽しさを改めて知った、というお話。お粗末。
恐々謹言
※今回、このようなエッセイを書くことが出来たのは、M君の博学の賜物である。この場を借りて彼に謝意を表したい。
Made in Human~このエッセイは全て人間によって書かれています。
