キューバ密航船を探して──揺れるキューバの今を旅する 14
キューバから密航船が出航しているらしい──
ある男から聞いたこの一言に突き動かされ、
ひとりのルポライターがキューバへ降り立った。
密航船の情報を追いながら、キューバ全15州をめぐる
熱くて危険な旅が始まった。
キューバ革命の原点の地へ
──マンサニージョ編
男が紹介してくれた宿はキューバ人用だった。
キューバ南部、グランマ州第二の都市マンサニージョは人口約12万人、カリブ海に面した坂の多い港町である。昼過ぎにバスターミナルに到着して乗合馬車に乗った。車内にいた若いキューバ人カップルと話し込んでいるうちにあっというまに繁華街に到着した。運転手に宿は決まっているのかと問われ、これから探すと答えると、彼氏のほうが紹介してくれたのである。
乗合馬車を降りて、ベージュの2階建ての建物を見上げると私は思わず固まった。キューバは民泊が盛んで、カサ・パルティクラルという宿泊制度があることはすでに述べた。建物には錨のマークがあり、青色は外国人用でキューバ人用は赤色なのだ。乗合馬車の彼氏が問題ないというので階段を上がっていくと、浅黒い中年の背の高い女がこちらを見下ろしていた。


「何? 宿泊?」
「はい、2、3泊出来ますか? 日本人の旅行者ですが大丈夫ですか?」
「……部屋が空いてれば大丈夫だけど。確認してくるからちょっと待ってて」
女はそう言うと曖昧な微笑を浮かべて奥へ引っ込んだ。
階段をあがった。廊下にもなぜかベッドが置いてあった。
「部屋は空いてるわ。1泊20ドル(約3,200円)ね」
キューバ人用だからといって料金がローカル価格になることはないようだった。ただ、キューバ人用でも泊まれることが確認できたのは収穫だった。
この街へ来た目的は、マンサニージョを海岸沿いに南下した小さな村、コロラダスの近くの海辺へ行くことだった。1956年12月2日、キューバ革命のためにメキシコから密航してきたチェ・ゲバラ、フィデル・カストロら82人を乗せたグランマ号と呼ばれる船が辿り着いた最初の場所だった。言わば、キューバ革命の原点の地だった。
荷を降ろすと、私は繁華街へ向かった。日中の固い日射しが遮るものなく降り注いでいる。これまでまわって来たどの街よりも暑かった。道路のひび割れたコンクリートが、灼熱の太陽にあぶられ、今にも溶け出してしまう気がした。潮風に洗われたような年輪を感じさせる木造の建物をいくつか見ながらどうにか中心部のセスペデス公園に着いた。バイクタクシーの運転手たちが木陰にいた。私はキューバ産の缶コーラを買い、一気に飲み干してから彼らに尋ねた。


「コロラダスへ行きたいけど、どうすればいいですか?」
彼らは口々に「今はガソリンがないから定期便のコレクティーボやバスがない。だからバスターミナルで個人タクシーと交渉しろ」と言う。コレクティーボは乗り合いタクシーのことだ。宿の女も彼らと同じようなことを言っていた。個人タクシーには苦い経験があったが、宿からの紹介もなく、旅行代理店も営業していない街ではもはやそれしかなかった。
その中の一人のバイクのうしろに乗ってバスターミナルに向かった。到着すると、建物の前に一台だけ黒の目立つクラシックカーがあった。個人タクシーだった。コロラダスまではグーグルマップで見ると約80キロ、一直線の幹線道路だ。私はこれまでの経験で往復150ドル(約24,000円)ぐらいではなかいと踏んでいた。だが、大柄の気さくな黒人の運転手は想像よりも安い往復120ドル(約19,000円)で提案してきた。男は40代後半ぐらいか、あっけらかんと胸襟を開くタイプのように思えた。私は思い切ってこれまで個人タクシーで味わった苦い経験を話した。すると、男は意外なことを言った。
「ここは小さな街だ。君のその体験は、サンティアゴとトリニダーだろ。キューバの有名観光地だ。ここでそういうことをしたら、噂になる」
なるほど私はその言葉を信じて120ドルでお願いすることにした。明日の朝8時に宿に迎えに来てくれることになったのだった。
夜は昼の炎天とはうってかわって少し涼しくなってきた。就寝前に私は部屋の冷房を消してドアを開け放ち扇風機をつけた。
そのときだった。地面が一瞬傾いたように揺れた。地震ではなかと思い身構えると、女の喃語のような声が途切れ途切れに聞こえてきた。やがて揺れは激しさを増して肌と肌が擦れ合うパンパンという音に変わってきた。
思えば、2月にキューバに来てから10ヶ所以上の外国人用の宿に泊まっているが、私以外の宿泊客に会うことはほぼなかった。ほかにお客がいる。それも、キューバ人のカップらしき人たちが。それが妙に新鮮だった。
だが、その新鮮さはしだいに薄れていった。反対側からの部屋からも男女の営みが聞こえてくると、いよいよ疑念はつのってきた。
もしやここはラブホではないか。やがて両方の部屋から退出する音が聞こえると、私はおそるおそる廊下に出た。
昼間の女が机のノートにメモをつけてお金の勘定をしていた。テレビもありイヤホンのコードが女の近くまで伸びていた。目が合うと、女は含み笑いを浮かべた。そして私を手招きした。
「眠れないの? お茶飲む?」
女は《テー・ベルデ》というパックのお茶を出してくれた。私は気になっていることを尋ねた。
「ここの宿、キューバ人はいくらですか?」
「2時間1,000ペソ(約350円)よ」
時間貸しだ。つまり、ほぼラブホ状態というわけだ。
「宿泊は?」
「2,500ペソ(約900円)だけど、泊まる人は少ないわ。遠くから旅行や仕事で来る人はいるけど、最近は石油危機で少ないわ」
「あたなはここのオーナーですか?」
「まさか」女は両手を上げて大仰な仕草をとると、続けた。
「私は小学校の教師よ」
今度は私が驚く番だった。彼女は57歳のベテラン教師だが、先月からこのホテルで週末のみ働き始めたという。学校の月給は70,000ペソ(約2,300円)で、近年、物価高が続いているなか、1月のベネズエラ侵攻が追い打ちをかけた。2月下旬から学校の授業が停電の影響で8時~12時に縮小されたこともある。今のところ月給は変わらないが不安を覚えて副業するようになったのだという。
ただし、仕事柄、地元では元生徒に会う可能性がある。だから彼女はわざわざ1時間かけてこの街までやってくる。カミオンと呼ばれる大きなトラックの荷台に乗る時間不定期の乗り物に乗って。勤務形態は、朝の8時から翌朝の8時までの一日だ。廊下にベッドが置いてあるのは、客が不在のときの仮眠用だった。キューバの最低賃金の月給は約4,000ペソ(約1,300円)ぐらいで、平均賃金の月給は6,506ペソ(約2,000円)である。
「仕事は慣れましたか?」
彼女はテレビを指した。
「夜はね、ブラジルやトルコのドラマが深夜までやってるから飽きないわ。停電でもここはソーラーパネルの電気でカバーできるから居心地はいいわ。蚊も少ないし。うちは小さな村の川の近くだから、蚊が多くてたまらないの」
それからしばらく雑談していると、インターフォンが鳴った。男女が上がってくるのと入れ替わるように私は部屋に戻った。
翌朝――。個人タクシーは8時に迎えに来る予定だったが、10分前に華やかなバックファイアーの音を立ててやってきた。
コロラダスまでは約1時間半だった。ゲバラたち革命戦士を乗せた船が最初に辿り着いた地点は、車から見えるような分かりやすい地点ではなかった。鬱蒼としたマングローブの奥だった。今では観光地化されており、その中にアスファルトの一本道が敷かれていた。車を降りてその道を歩くこと約20分、すうっと視界が開けると、海の匂いがした。雲ひとつない日中の青々とした空と海の蒼氓がひとつに溶け合っていた。海水は底の石が数えられるくらいに透き通っていた。息を呑むほどの景色が広がっているが、ゲバラやフィデルたちにそんな余裕はなかっただろう。


宿に戻ると、男は車の中で言った。
「約束通り、120ドルだ」
私が安心して120ドルを手渡すと、男は聞いてきた。
「この街はいつ出る? 次はどこへ行く?」
明日にはグランマ州の州都バヤモへ戻る予定だった。車で1時間半ほどの距離で10ドル(約1,600円)だったはずだ。
「明日なら、ちょうどお客を乗せてバヤモへ行く予定だ。乗っていけ」
「えっ? いくらですか?」
男は首を横に振った。
「今日、充分もらった。明日は一銭もいらない」
胸が熱くなった。個人タクシーとの苦い思い出が一気に吹き飛んだ。
北澤豊雄(Toyoo Kitazawa)
1978年長野県生まれ。ノンフィクションライター。帝京大学文学部卒業後、広告制作会社、保険外交員などを経て2007年よりコロンビアを拠点にラテンアメリカ14カ国を取材。「ナンバー」「旅行人」「クーリエ・ジャポン」などに執筆。著書に『ダリエン地峡決死行』『混迷の国ベネズエラ潜入記』『花嫁とゲバラを探して 〜南米婚活紀行』(いずれも産業編集センター刊)。
※次回は2026年6月23日(火)の公開を予定しています。
今話題の北澤豊雄さんの著書はこちら
破綻国家と噂される、南米ベネズエラで見たもの…
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南米随一の産油国として繁栄していたベネズエラ。しかし、長引く政情不安や経済政策の失敗により、国民は貧困に苦しみ、日常的に犯罪が発生する南米最貧最恐の国になってしまった。
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