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『裸の聖書』60. なぜ創世記はメトシェラの年齢を偽っているのか? -2

こんにちは、もんぱちです❣
真実を知る手がかりの一助として、『裸の聖書』を翻訳し拡散しています

双子が異常な起源を示す指標?
遺伝子操作の証し?

アダム人はみんなとっても長生きだったみたい
有名な登場人物は別の時代に生きていたんじゃなくて
みな同じ時代を生きた人たちかも?

前回の記事はこちら↓↓↓

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なぜ創世記はメトシェラの年齢を偽っているのか? -2

双子の誕生はしばしば、新生児の異常な起源を示す指標となる。エロヒムの介入の結果である。
「これは最初から起こっている。ラシが説明するように、カインもアベルも双子として生まれた。」
カインが弟を殺すと、彼は罰せられる。彼はガンから追放され、恐れおののく。カインは、自分が庭の外に出たときに殺されないように、見分けがつく印が欲しいと頼む。
「いいだろう、だが誰に殺されるというのか?伝統によれば、アダムとイブがわたしたちの唯一の祖先ではなかったのか?」
明らかに、そうではない。カインは保護された区域の外での危険な遭遇を恐れていた。実際、彼は『主』が彼の額に認識できる印を付けた後で、その場を離れることになる。
「当時、地球にはすでに他の人々が住んでいたことを否定しようとする者たちがおり、さまざまな仮説を立てている。たとえば、カインは自分の家族による報復で殺されることを恐れたという。」
しかし、ビグリーノによれば、この説は成り立たない。
「自分を守るために、カインは何を求めたのか?識別の印だ。まるで自分の両親が彼を認識できないかのように?」

ホモ・サピエンスに遭遇するのを恐れていた?

庭の外には、危険な動物が潜んでいたかもしれないと言う人もいる。
「でも、額に印があるからといって、獣たちが彼を襲ったり、食い殺さなかったとでもいうのか?」
改めて、宗教的思想に縛られた多くの釈義者ではなく、わたしたちは聖書そのものに耳を傾けるのが賢明だろう。少なくとも、ウサギを追いかけて時間を無駄にするようなことはない。
「カインが実際に恐れていたのは、普通のホモ・サピエンスに遭遇することではなかったか? 彼ら―高度に進化したアダム族―と比べれば、野蛮で、遠ざけるべき存在に見えたはずだ。」
しかし、奇妙な点はこれで終わりではない。
創世記の13章でも、アダムとイブの三男であるセトの誕生が驚くほど強調されている。
『アダムが130歳の時、自分の姿とそっくりな男の子をもうけた。』と書かれている。
当然だ。子は親に似るのが普通だ。
「しかしここで―そしてここだけで―使われている表現は、始祖たちがエロヒムのツェレムで『製造された』ときに使われたのと同じだ。」

エロヒムのDNAから作られたアダム人?

それは彼らのDNAを意味するのか?
「そうだ。そして創世記がセトに対してこの表現を使う必要性を感じたのは奇妙だ。セトもまた特別な方法で『製造された』ということなのだろうか?」
ビグリーノは、アダム人の聖書の年代記にわたしたちの注意を向ける。
「アダムは、セト、エノシュ、ケナン、マハラレル 、ヤレド、メトシェラ、ノアの父ラメクと同時代に生きていた。アダムはノアが『製造される』少し前に死んでいる。」
このように見ると、家族写真は大きく変わる。
「わたしの主張はこうだ。彼らの長い寿命を合計すべきではなく、重複していると考えるべきだ。このように考えてみてほしい:これらの関連する人々は互いを非常によく知っていて、同じ地域に住み、恐らく常に顔を合わせていた。」
彼らは皆、千年近く生きたのだろうか?
まったくあり得る話だ。もし彼らがみなエロヒムの直系の子孫であり、エロヒムが2万年か3万年生きることができると考えるならば。
族長たちの中には通常の生殖を行った者もいれば、そうでない者もいただろう。
アダムは庭に『配置』され、イブはクローンで作られ、おそらくセトの誕生もまたこの種の介入の結果であったかもしれない。
そしてこのすべてにおいて、有名なヤハウェはどうなのか?
完全に不在だ。
ヤハウェが登場するのは、セトの子孫の時代になってからであり、それ以前には登場していない。
「セトにも子が生まれ、彼はエノシュと名付けた」と創世記4章26節に記されている。「このとき、ヤハウェの名がはじめて言及され始めた。」
つまり、アダムとイブだけの時代には、ヤハウェはまったく言及されていない。
カインとアベルの誕生時にもヤハウェの名は登場しない。
さらにその後、セトが生まれたときにも出てこない。
ビグリーノはこのことから明確な結論を導く。「最初の段階では、明らかに、戦士エロヒムの介入はまだ必要なかった。聖書はヤハウェを『イシュ・ミルハマー(Ish Milchamah)』、つまり文字通り『戦いの人』として描いていることを忘れてはならない。」

イシュ・ミルハマー、戦いの人、Grokより

このことをどう考えればいいのだろうか?
「当初、エロヒムはおそらくガン・エデンで働き、自分たちの食料を実験的に生産し、自分たちのために働くように『作った』この新しい民族に特別な関心を寄せていた。」
「事実として」とビグリーノは指摘する。「創世記によれば、最初の235年間、ヤハウェの名はなく、祈られてもいなかった。明らかに、ヤハウェはガンで行われた活動には参加していなかったのだ。」

おそらく、アタカマにあるような超望遠鏡でさえ、聖書のヤハウェと、唯一神で全能かつ永遠の神という神学的な概念とのつながりを垣間見るには十分でないかもしれない。
創世記自体が、ヤハウェの名前がセトの息子エノシュの誕生後に初めて広まり始めたと明言している。その後、ケナン、マハラレル、ヤレド、そして謎めいたエノクが続き、さらに後にはメトシェラ、ラメク、ノアが登場し、洪水による『大いなるリセット』が起こる。
そして、ヤハウェは?
ヤハウェが実際に活動しているのを見るには、非常に長い時間を待たなければならない、とビグリーノは強調する。
「ヤハウェがついに活動しているように見えるのは、アブラハムの時代だ。そのとき、彼は中東でのエロヒム間の戦争に関与しているのがわかる。」
イスラエルの民については、ヤハウェは出エジプトの時点で初めて彼らと正式に具体的に関わるようになる、と学者は付け加える。
「それは、彼がその民を自分のものとし、エジプトから導き出し、支配する領土を征服させ、その民に仕えられる場所を確保しようと決めたときに起こる。」
明らかに物議を醸す登場だ。
聖書から実際にわかるのは、『戦いの人』ヤハウェは毎回自己紹介する必要があり、アブラハム、イサク、ヤコブのエロヒムであると宣言していたことだ。
「彼はそれが依然として自分であると繰り返さなければならなかった、まるで自分のアイデンティティを確認する必要を感じていたかのように、明らかに民に最初から完全に受け入れられていなかったのだ。」
『あなたは何者なのか?』
モーセ自身が彼に尋ねる。
「この質問は、もしモーセが唯一の超越的な神に向けようとしたのであれば、絶対に考えられないものだ。」
モーセは、実際自分がどのエロヒムを相手にしているのかを知る必要があった、とビグリーノは言う。
「しかし、ヤハウェは『この名によってわたしを覚えよ』と言うのを好んだ。」

正体を明かしたくなかったYHWH?

YHWH。
有名なテトラグラマトン、母音はない。
「わたしたちはその名がどの言語で発音されたかを知らないため、適切な意味を与えることすら確信できない。」
「ヤハウェは明らかに、先祖たちに現れた存在と同じだと主張する必要性を感じていたが、自分の正体を本当は明かしたくなかったのだろう。」
彼は複数の箇所でこのことを主張している。彼は、アブラハム、イサク、ヤコブのエルと同じエルだと述べる。
それは真実だったのではないか?
「聖書の中で、ヤハウェが彼らの先祖たちとその契約を結んでいなかったことを信奉者たちに思い出させるのは、モーセ自身である。彼は出エジプトの時点で、彼らとだけその契約を結んだのだ。」
ヤハウェとモーセ、どちらが正しかったのだろうか?
「実際、聖書自体が、アブラハムの家族の最初のメンバーたちがメソポタミアにいたとき、他のエロヒムと関わっていたと語っている。」 とビグリーノは結論づける。
旧約聖書は後に、出エジプトの際には、ヤハウェはすべてを単独で行ったと付け加えている。彼と一緒に『よそ者のエロヒムはいなかった』と書かれている。

このように読み直すと、聖書は奇妙に聞こえるだろうか?
奇妙ではない、とマウロ・ビグリーノは言う。なぜならこれがまさに聖書が最初の数節から言っていることだからだ。
ベレシト。
ガン・エデン、双子、『人類の製造』。その生涯はほぼ1000年に及んだ族長たち、おそらく全員が一種の共同体のように共に暮らしていた。
そして、そこは退屈とは程遠い場所で、人々が絶えず出入りしていた。
たとえば、メトシェラの父であり、ノアの曾祖父であるエノクだ。
このアダムとイブの6番目の直系の子孫は、魅力的な人物だ。
新約聖書のユダの手紙でも、7番目の族長としてエノクに言及している。
『エノクは365年生き、神とともに行動したが、突然消えた。なぜなら神が彼を連れ去ったからだ』とあり、同じことが後に預言者エリヤにも起こる。
『エノクは主を喜ばせ、すべての世代への教訓的な例として連れ去られた』とシラ書は記している。
『その信仰のゆえに、エノクは死を経験しないように連れ去られた;神が彼を連れて行かれたので、彼は二度と見つからなかった』とヘブライ人への手紙に記されている。
エリヤと全く同じだ。だが、彼はどのように『連れ去られた』のだろうか?
『二人が歩きながら話していると、突然、火の戦車と火の馬が現れて二人を引き離し、エリヤは旋風とともに天に上って行った』と列王記(2章11節)は記している。

天の戦車ってどんなだろう?

つまり『いつもの』天の戦車である。これは、神学的翻訳(『神』)を元の言葉であるエロヒムに置き換えれば、さらによく理解できる。
多くの学者が指摘するように、族長エノクは、キリスト以前の最後の数世紀とキリスト教時代の1世紀に栄えた外典文学の中で重要な人物となるための必要条件をすべて備えていた。
彼を特別な存在にしているものは何だろうか?
彼は死ななかっただけでなく、神そのものの前に立つことになった、まさにザラスシュトラがアフラ・マズダと対面する栄誉を受けたのと同じように。
筋書きはここでもほとんど同じである。神は選ばれた者に人生の秘密を伝える。
いわば長い伝統である。
メソポタミアでは、バビロニアの族長(エノクと同じく7代目)が『神聖な秘密』の啓示を受ける。彼の名はエン・メン・ドゥル・アナだ。
まるで同じパターンを繰り返しているようだ。選ばれし者は、神聖な知識の受け手となり、『天空の神秘』に導かれる。
その元祖として、エノクは偉大な知恵を持つ外典の人物たちの膨大な集成に命を吹き込んだ。エノク書はさまざまな版でわたしたちに伝わっている。最も有名なエチオピア語版は、コプト教徒によって保存されている。他の版本は、スラブ世界に受け入れられ、セルビアやロシアの正教会の修道院で保存されている。
天と地の間に宙吊りにされた大使のように、エノクはルネサンス期にも大きな関心の対象となった。イタリアの詩人アリオストの叙事詩『狂えるオルランド』では、彼をエリヤとともにエデンに置いている。

イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』

エノクは現代文学にも登場する。イタリアの小説家イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』では、マルコ・ポーロとフビライ・ハンの最後の対話に登場し、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』や、ウンベルト・エーコのベストセラー『薔薇の名前』にも登場する。
『神は彼の僕であるエリヤとエノクを遣わす。彼らはエデンで生かされており、いつか反キリストを打ち負かすために。』
ここで語っているのは二人の修道士、ウベルティーノとグリエルモである。彼らがエノクについて宗教的な言葉で語るのは当然のことである。
当然ながら、『薔薇の名前』の中世の設定では、古代宇宙飛行士説の余地はない。ガン・エデンが舞台であってもだ。





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エノクたち、宇宙を散歩する-1へ続く**********************************************************


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