プロレスがくれたもの
幼い頃、僕は本ばかり読んでいた。
そのこと自体は当時も今も変わらないのだけど、現在のように、好きだ! という前向きな気持ちはあまりなくて、本の世界に逃げ込むということが一番の目的だった。
いじめだったり、あとは前向きになれない自分の性格であったり、そういうものがまとめて自分の内面にのしかかって、いつも俯いていた。
そんな僕を変えたいくつかのものがある。
ひとつは、ゲーム。
トラウマもたくさんあるのだけど、そのトラウマがあったからこそ、ノベルゲームという素晴らしいコンテンツに出会えた。
そして、もうひとつ。あの頃も、今も、僕を支えてくれているコンテンツがある。
それがプロレスだ。
僕はマニアと呼べるほど知識もないし、会場に通って実際に声を届ける、といったこともできていないから、自身をファンと呼んでいいのかすら微妙だけれど、プロレスというジャンルが僕にくれたモノはあまりにも大きい。だから、マニアでも、もしかするとファンでもない僕が、プロレスに感謝なんて言う資格はないのかもしれないのだけど、少しだけ、語らせてほしい。
プロレスを観た時。一番僕の心を震わせたのは、激しい痛みに耐え、ボロボロになっても、必ず3カウントギリギリのところで立ち上がる姿だった。
痛いのも苦しいのも嫌で、できる限りそれから逃げてきた僕には、その姿はあまりにも眩しくて、どうしてこんなに強くなれるんだろうと思った。
最初は、そんな強さに憧れた。
けれど、プロレスを観続けていくと、その感動は少しずつ変化していった。
好きだなと思った選手が勝てば、もちろんそれは嬉しい。でも、負けた時も、勝った時とは違う感動が自分の中に生まれている。
勝ち負けを超えた何かが、そこには確かにあった。
それはなんだろう。考えてみて、結局は原点にもどった。
必ず立ち上がる。
僕がプロレスを好きな軸は、やっぱりそこだった。
そして、もうひとつ。
選手を信じ、どれだけ追い詰められていても、必死に応援をするファンの方々。
それだけ愛してもらえる選手もすごいし、それだけ愛せるファンの方々もすごい。
なんてすばらしい関係性なんだろう。
僕はそこに感動していた。
僕も強くなりたいと思った。
肉体的にとか、そういうことではなく、こんな風に、誰かの心を震わせて、声援をむけてもらえるような人間になりたいと思った。そのために、とにかく「自己」を鍛えようと決めた。
決心をした次の日から、自分なりにいろいろと試してみた。それらは、奇抜というか、やりすぎでは? と思えるようなハチャメチャ(誰かに迷惑をかけたりはしておりません。増えたのは自らの黒歴史のみ……)さで、むしろ人は僕のもとから離れていったのだけど、現在、そんな僕の黒歴史を笑ってくれる大切な友人たちがいる。
僕にとってその友人たちは、あの日テレビの向こうに見た、どんな時でも選手を応援してくれるファンの姿と重なる。
けれど、問題は、僕がプロレスラーのような、応援してもらえる輝きがないということ。
素晴らしい仲間に恵まれているのに、僕はいまだ、強さも魅力もない。
いつもヘロヘロで、なぎ倒される。
それでも、そんな負け続きの僕を、友人たちは見捨てずに応援してくれる。
どれだけ時間がかかっても、僕はその声援にこたえられる人間になりたいと思う。ならなくてはいけないと強く思う。
いつか、カウント3の手前。カウント2.7で立ち上がり、たとえ負けたとしても、誇れるような負け方をしたい。
そして、願わくば、その負け続きの後に、誇れるような勝利をし、自分に声を届け続けてくれた友人たちに、声を大にしてこう言いたい。
「イヤァオ!」
と。
いや、パクリじゃん。という話だが、憧れなのだから許してほしい。
友人たちには「しつこくない?」というくらい中邑真輔選手の話をしているので、通じるはずだからよいのである。
逆境から立ち上がるのがプロレスラーだ。
僕は、その姿にあこがれた。
それを、憧れだけで終わらせないよう、僕を信じてくれる仲間たちを裏切らないように、戦い続けたいと強く思う。
