感動の迷子センター、あるいは「厨二病」の火が灯る場所
今日は、気合を入れて「笑い」を取りに行った。
自分の中では完璧なボケ、計算通りのオチ。
読者の皆さんの爆笑をかっさらうつもりで、渾身の漫才ネタを書き上げたのだ。
ところが、公開後のコメント欄で、私は思わぬ「事件」に遭遇する。
ある読者の方が、こう呟かれた。
「ずっと笑ってたのに、最後、ちょっと感動しました🥹」
……えっ?
私の指が止まる。スマホを二度見する。
「笑ってもらえて嬉しいです……って、あれ? 笑ってない!?」
「最後って……どこですか?私も感動したいです!!🥹」
作者本人が、自分の書いた文章のどこに感動要素があったのか分からず、
コメント欄で必死に「感動の正体」を捜索し始める。
まるで「記事の続き」のような漫才が、コメント欄で始まってしまった。
さらに追い打ちをかけるような事実が判明する。
今回、私がノリノリで書いたネタや、コメント欄で飛び交った
「使い古しの包帯」「ドラゴン」といった単語。
世間では、これを——「厨二病」と呼ぶらしいと、あとで知った。
……実は白状すると、私はその言葉の意味をよく知らなかったのだ。
ただ「包帯を巻けば面白そう」
「ドラゴンに乗せちゃえ」と、
野生の勘だけで筆を走らせていた。
後からその意味を知った時の、あの顔から火が出るような恥ずかしさといったらない。意味もわからず、私は世界に向けて「厨二病」を全力投球していたのである。
狙った笑いはズレるわ、言葉の意味は知らないわ、読者には感動されるわ……。
だが、この「なんのはなしですか」というタグの世界観には、そんな掛け違いさえも愛でてくれる、不思議な引力がある。
ボケとツッコミがコメント欄で完成し、書き手の意図を超えて、「喝采」や「喜び」が広がっていく。
私が「笑い」を投げたつもりが、読者の感性のフィルターを通ると、いつの間にか「感動」という宝石に変わって戻ってくる。そこには、人間のユーモアと、静かな知恵が満ちている。
この「なんのはなしですか」の灯火は、noteの世界で消えることなく、リレーのように、どこまでも繋がっていくのだろう。
このやり取りを眺めていると、PC作業でカチカチに緊張していた肩の力が、ふっと抜けていた。心の中では、小さなお鍋が火にかけられているように、「くすっ、コトコト」と笑いが続いている。
素敵で、不思議で、愛おしい。
意味を知らずに放った「厨二病」の言葉が、
今日も、凝り固まった私の毎日を、やわらかくほどいていく。
※きっかけとなった元記事(きのころさん作)はこちらです(本文中のやり取りはそちらに由来しています)↓
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