先日、ボイストレーニングに行ってきました。
東京藝術大学を卒業され、テナーもカウンターテナーも歌える先生です。
私が今やりたいことを、ほぼ全部、かなり高いレベルでできる現役のプロ。
当然、私とは力量がまったく違います。
ところが、これまで会った先生の中で、一番フラットでした。
偉そうなところが、まったくない。
そして、まず私のいいところを見つけてくれました。
「それだけ歌えるのに、どうしてうちに来たのかわからない」
そんなことまで言ってくれました。
カウンターテナーとして歌ってみたい。
そう思い始めたのは、たぶん30年くらい前です。
自分は普通の男性より高く、きれいに裏声を出せる。
もしかしたら、この声は使い物になるんじゃないか。
そんな自負はありました。
でも同時に、
「まさかね」
とも思っていました。
歌というのは、音大を出た人とか、子どものころから習ってきた人とか、そういう人たちの世界。
まして、男性が高い声で歌う。
今ほど中性的なものが当たり前に受け入れられていた時代でもありません。
ちょっと恥ずかしい。
いい年した素人のおっさんが、
「カウンターテナーをやりたいんです」
と言っていいものなのか。
心は行きたがっているのに、頭が、
「いやいや、無理でしょ」
と止めてくる。
それでも歌うことは好きだったので、誰かに習い続けたわけでもなく、自分で練習してきました。
だから、
「一般的な人よりは歌えるんじゃないか」
という気持ちと、
「でも、本当に通用するのか?」
という気持ちが、ずっと同居していました。
できるかもしれないのに、やっていない。
やりたいのに、やっていない。
このまま何もしなかったら、死ぬときに、
「ああ、歌をちゃんとやっておけばよかった」
と後悔するんじゃないか。
そう思って、ようやく一歩を踏み出しました。
今回のレッスンで、特にうれしかった瞬間があります。
少しだけ自信のある「カッチーニのアヴェ・マリア」を歌ったときのことです。
曲の中で一番高い音が出てくる部分を歌ったら、先生が、
「本当に個性的できれいな表現ができている」
「ちょっとぞくっとした」
「すごく良かった」
と、心から言ってくれました。
まあ、うれしいのなんの(笑)。
自分が少しだけ自信を持っていたところを、ちゃんと見つけてくれた。
しかも、
「ぞくっとした」
と、素直に感じたものをそのまま言葉にしてくれた。
単に「歌が上手い」と褒めてもらったからではありません。
そこには、やってみたいのに踏み出せなかった迷いも、男性が高い声で歌うことへのちょっとした恥ずかしさも、それでも練習を続けてきた時間もある。
人間は、認められたい生き物なんだと思います。
そして認めてほしいのは、目の前に見えている能力だけではない。
その人が何を大切にしてきたのか。
何に迷い、それでも何を手放さずにここまで来たのか。
そういうものまで含めて、その人なんですよね。
だから、そこを見てもらえなかったとき、人は思っている以上に傷つく。
以前行った別のボイトレで、私はまさにそれを経験しました。
私の歌を聴いて、その先生は、
「表現はある程度できる人みたいだけど、そもそもの歌い方の根本的なところが違う」
と言いました。
さらに、
「あなたの今までの歌い方はいったん脇に置いて、私は私の教え方でゼロからやります」
と。
「あ、否定から入るんだ……」
一番大切だったはずの、
「やりたい!」
という気持ちが、急速に萎んでいくのを感じました。
私は、
「ここまで自分でやってきました。もっと上手くなるにはどうしたらいいですか?」
と相談しに来ています。
それなのに、いきなりゼロに戻される。
今なら分かります。
ああ、この人は私を見ていないんだ。
しかも、その先生は私のような高い声を出せません。
言い方は悪いですが、カウンターテナーを歌わせたら、私のほうが1000%うまい。
そこは確信があります(笑)。
もちろん、その先生にはその先生の専門があるのでしょう。
でも、少なくとも私がやりたいことに関しては、プロではない。
なのに、私のやりたいことを伸ばすのではなく、自分が教えられる土俵へ持っていこうとした。
お客さんが何を求めているのか分かっていないのか。
そのニーズに応える力量がないのか。
どちらにしても、
ダメだこりゃ。
今回の先生は、まったく逆でした。
自分のほうが圧倒的にできるのに、私の中にすでにあるものを見つけて、素直に褒めてくれた。
これが自然にできる先生に、私はぶっちゃけ初めて出会いました。
何でも褒めればいいとは思いません。
ダメなところも、足りないところもある。
でも、まず、その人の中にある「いいところ」を探す。
そこから始めればいいんじゃないでしょうか。
私は、マウントをとるという行為は、劣等感の表れだと思っています。
本当に自分の力量に自信がある人は、わざわざ自分を大きく見せる必要がない。
だから、目の前の人を見ることができる。
否定から入れば、「やりたい!」は萎んでいく。
いいところを見つけて伝えれば、「もっとやりたい!」に変わっていく。
人の「ダメなところ」より、「いいところ」に目が向く人。
そして、そんな先生でありたい。
