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スラムドッグ・ミリオネア

 世界不況のちょっと前まで、新聞にBRICSという文字が出ていた頃、インドのムンバイは(ドバイと並んで) 新興成金都市の象徴でした(今でもそうなのかな)。

 『スラムドッグ・ミリオネア』という映画は、そんなムンバイのスラムに育った「スラムドッグ」と呼ばれる少年少女が、ほとんど新石器時代的、『マッドマックス・サンダードーム』的世界から這い上がって、わずか10年でハイパーモダン都市の中間層にたどりつくまでの目も眩むほどの疾走を描きます。

 多分、この疾走感は現代インドの実感なんでしょう。それが映画に例外的な緊張感をもたらしています。

 巨額の賞金を約束したクイズに18歳の無学のスラム育ちの青年が全問正解していく。どうして彼は正解を答えられるのか。それは一つ一つの問いの答えが、どれも彼の心身に刻まれた痛みの記憶と癒合していたからという、まるでジャック・ロンドンの短編小説みたいに冴えたシナリオです。

 でも、このクイズ番組の緊張がドラマのクライマックスなのかと言うと、実はそうじゃないんです。逆なんです。「クイズ$ミリオネア」で、正解すれば巨富を手に入れ、誤答すればすべてを失うという、TV視聴者たち全員をとらえるヒリヒリするような切迫感に、ひとりジャマール君(デーヴ・パテル)だけがまったく動じないというところがこの映画のツイストの利いているところなんです。

 彼のこれまでの実人生における生死を賭した「綱渡り」に比べたら、クイズで当たれば2千万ルピー、はずれたらゼロなんていうのは笑っちゃうくらいにのんきな話なのですから。彼は最愛の少女ラティカに「もう一度会いたい」というシグナルを送るためだけに、彼女が欠かさず観ていたテレビ番組に出たんです。

 このシンプルで純度の高いラブストーリーは、「一攫千金でスラムから豪邸へ」という現代インドに取り憑いた節度を欠いた上昇志向に対する静かな批判として観ることもできるのかなと思いました。

 映画の最後のクレジットでは、『踊るマハラジャ』的大群舞が展開するんですけれど、これは僕に深い救いをもたらしました。アカデミー賞は「これしかない」という審査員の確信に最後のダメ押しをしたのは、絶対、あの超ハッピーなダンスです。


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