スウェーデンでトイレに行き、私は永遠の恋におちた。
2024年2月某日。都内で取材をしていた。
「本日の取材を担当させていただきます。よろしくお願いします。」
いつものようにあいさつをし、音声レコーダーのボタンを押す。
ここから取材の本編が始まる──。はずだった。
「記者さん、あなたはどういう人なんですか?」
録音ボタンを押したばかりの私のなかで予定された取材が静かに崩れ始めた。でもって、何を話そう?
取材相手に興味をもった経緯、大学で勉強していたこと、昔は事情あってスウェーデンに住んでいたこと。とりとめもなく話した。
なぜ記者が自分語りしてるんだ?
ダメじゃん。
ところがじっと話を聞いていた取材相手はスウェーデンという単語が出たあたりではっと反応し、こう話した。
「私もスウェーデンに住んでいたことがあります。」
「あなたはスウェーデンのどんなところが好きですか?」
「トイレ、ですかね。」
***
18年ほど前。小学4年生だ。
この頃、私は「トイレ病」にかかっていた。
小学校に通う私は人生初の集団行動に苦戦していた。なかでも授業中にトイレに行けないことが大嫌いだった。
「もし行きたくなったらどうするんだろう」
「先生にめっちゃ怒られるのではないか?」
と心配になりその心配のせいでお腹が痛くなる無限ループ。授業中は怖くて時計ばかり見ていた。これが、私のかかったトイレ病である。
トイレ病だけならまだしも、その心配は授業やら給食やら学校生活のあらゆることが懸念材料となり、目立ったミスをしないよう萎縮するようになった。
もともと底抜けに明るく、保育園の発表会などでも自ら主役にかって出るような性格だった私は小学4年生をピークに嘘のように大人しい子どもになった。
そんな頃、衝撃を与える出来事があった。
別の小学校で先生として働いていた母が40才にして大学院への進学を決めた。
ずっと学んでみたかったスウェーデンの教育について研究するという。母が学生になるという謎事態にも十分驚いたのにこの話はこう続いた。
「研究のため、スウェーデンに住む必要がある。」
それから数ヶ月後。
ストックホルム・アーランダ空港に到着していた。
夏なのになぜか寒かった。
私たち親子が住んだ街にある小学校には、スウェーデン語に慣れていない子どものために英語のクラスがあり、私はそこに入れてもらえることになった。とはいえ英語だっててんでわからない。寒さか緊張か、震えながら教室へと向かった。
この教室でもっとも印象深い出来事は、
やはりトイレである。
先述したように私は日本の小学校で自由にトイレに行けない状況をとにかく嫌った。
なのでスウェーデンに行くと決まった日から隙あらば「May I go to the toilet?」を練習していたのだ。
そして最悪なことに、
授業中に腹痛が起きてしまうのである。
恐る恐る担任の先生に「May I go to the toilet?」と聞くと先生はこう答えた。
Why not?
と言われましても英語はわからない。表情からおそらく大丈夫だろうとトイレに行った。
その夜、母に起きたことを伝え「Why not?」の意味を聞くと、私はわあっっっと声を上げた。
先生は「授業の前に行っておきなさい」でも「あとちょっと我慢できないですか」でもなく「逆になぜダメだと思うの?」と言ったのだ。トイレ病から、学校への恐怖から、解放された瞬間だった。
「私はいつでもトイレに行っていいんだ、スウェーデンで、私は自由なんだ!」
と若干いきすぎた認識をしつつも、この日から私にとってスウェーデンは「自由にトイレに行ける、大好きな国」になった。
***
これまでの人生を振り返ると、
私が困ったとき、
その景色にはなぜかスウェーデンがいる。
高校生のときは、またも自分が作り出した勉強のプレッシャーに押しつぶされそうになり、逃げるような思いでスウェーデンへ留学をしたら「あなたが幸せにならないならテストの点数なんて意味ない。」とピシャリと言われた。
大学生や社会人になってからも、なにかとモヤモヤするたびにスウェーデンに行き、「それ、本当にやりたいんか?違うっしょ?」と言われた。
なぜ、心に刺さる言葉の主がいつもスウェーデンにあるのか──。自分でもよくわからない。たぶん、あのときトイレで恋をしちゃったから、なんだと思う。
スウェーデンとしては、
「あなたは、あなたが思う以上に自由だ。トイレも人生の選択もあなたの権利だ。好きにしなよ。」
と同じことを繰り返し伝えているだけなのに、簡単に忘れてしまう私に「また忘れたの?ダメじゃん。」と呆れているかもしれない。ごめんよ、スウェーデン。
***
2024年2月某日。
話は都内の取材現場へと戻る。
その日の取材は結局、流れるままに取材相手とスウェーデンのことをじっくり話してしまった。
相手の話を引き出せなかった自分に反省しながら、それでも耳を傾けてくださった取材相手に感謝すると、こんな言葉が返ってきた。
「今日話してくれたトイレの感動をずっと忘れないでいてください。そしていつか必ず、スウェーデンのことを言葉にしてください。」

2024年8月。うだるような東京の暑さを抜け出した私は再びストックホルム・アーランダ空港へと向かっていた。
久しぶりのスウェーデン。あのトイレは今もあるだろうか。忘れてしまいそうな感覚をもう一度確かめたくて、私は第二のふるさとへと向かっていた。
Mone Sato / さとうもね
1996年生まれ、東京出身。国際基督教大学卒。サイボウズ(株)にて製品広報やオウンドメディア編集者などを経て、2025年よりフリーライター。小学生と高校生でスウェーデンに住んだ経験から人権・ジェンダー・性教育などのテーマに関心をもつ。
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