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古代から続く「智」の聖火リレー。ひと繋ぎの大秘宝🗺️

前回、こんなことを書いた。

「これはフィクションだ。でも、すべて本当のことから生まれている」

今日はその「本当のこと」の背景を、少し話させてほしい。

Mondoという旅の地図🗺️として、わたしが採用しているものがある。

神智学という、少し変わった思想の系譜だ。

教祖のいない、古代から続いている「智」

「神智学」という言葉の壁

まず正直に言う。

「神智学」という言葉は、とっつきにくい。

神?智?学? なんか宗教っぽい。スピリチュアルっぽい。怪しい。そう感じる人がいても、全くおかしくない。

わたしも最初そう思った。

でも中身を知ってから、考えが変わった。

神智学は宗教じゃない。特定の神を崇拝しない教祖もいない

「これを信じなさい」という教義もない。

むしろ逆だ。

「真理に勝る宗教はない」

これが神智学のスローガンだ。

どんな宗教も、どんな主義も、真理の前では相対化される。

何かを盲目的に信じることを促さない。

比較して、検討して、自分で判断することを重んじる。

科学的なスタンスに近い。

智の聖火リレー


神智学を一言で説明するなら、こういうことだと思っている。

古代から続く、智慧の聖火リレーだ。

オリンピックの聖火リレーを想像してほしい。

一つの炎がある。その炎は、ランナーからランナーへと引き継がれていく。

ランナーは変わる。時代も変わる。場所も変わる。

走るスピードも、スタイルも、それぞれ違う。

必要な時代に、必要な炎を届けに、様々なランナーが走る。

でも炎は一つだ。

神智学の系譜も同じだ。

古代エジプトの神秘学があった。
それをギリシャの哲学者ピュタゴラスが受け取った。

プラトンに引き継がれ、中世のカバラヘルメス思想へと流れ、やがて19世紀にブラヴァツキーという女性が現代の言葉に翻訳した。

20世紀にはベイリー、クリシュナムルティ、クレームという、全く異なるスタイルのランナーたちが走った。

それぞれの炎の色は違う特色も違う。時に全く違う形に見える

でも根っこは同じ火から来ている

誰も「自分が発見した」とは言わない


ここが決定的に重要な点だ。

この系譜を走ったランナーたちは誰も、「自分が真理を発見した」とは言っていない。

ブラヴァツキーは言った。「古代からずっとあったものを、今の時代の言葉に翻訳した」と。

クリシュナムルティはさらに徹底していた。

神智学協会が「次の世界教師」として彼を担ぎ上げようとした時、その役割を完全に拒否した

「師を持つな。権威に依存するな。自分で真理を見出せ」

と言って、組織そのものを解散させた。

その結果、教祖になることを拒んだ人物が、最も多くの人に影響を与えた。

これが神智学の逆説であり、最も面白いところだ。

炎は、器を超える。


ONE PIECEみたいでしょ?

とわたしは思っている。

世界中に散らばった、一つながりの大秘宝。

それぞれ全く違う形をしている。
でも繋げると、一つの大きな真理になる。

宗教、神話、伝承、民俗学、哲学、科学。

あらゆる垣根を超えて、共通する核心を探す。

否定するのではなく、比較して、検討して、繋げていく。

Mondoの無限の書庫には、あらゆる時代のランナーたちが残した炎がある。

ギリシャの哲学書の隣に、チベットの密教の写本がある。その隣に、量子物理学の論文がある。さらにその隣に、ある宇宙の観察記録がある。

全部、同じ棚に並んでいる。

わたしが神智学を「採用」している理由


ここは誤解してほしくないので、はっきり言う。

わたしは神智学を崇拝しているわけじゃない。
こだわっているわけでもない。

採用している理由はシンプルだ。

そこに、学ぶことへの自由があるから。


「これが正解だ」と言わない。

「この人だけが真実を知っている」と言わない。

宗教でも科学でも哲学でも、真理の前では等しく比較検討の対象になる。

その自由なスタンスが、Mondoの旅に一番合っている。

もし明日、神智学よりも優れた地図が現れたら、そちらを採用する。

否定できる明らかな根拠が現れるまでは、今この地図を使う。

それだけだ。

次回は、この地図が指し示しているものの話をしたい。

人類の進化とは何か。そして、あなたがここにいる意味とは。

まりもん(真理もん) Mondo (門道)プロジェクト

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