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波の音に消えた恋。

その日、私はカイコウラの海を見ていた。

ニュージーランドは月曜日が祝日だったので、2泊3日の家族旅行に出かけた。予約したB&Bはビーチ沿いにあった。

海なし県で育った私にとって、海は遠く、特別な存在だった。
初めて海を見た日のことは、今でもはっきり覚えている。憧れの海は「海」の歌の通り、本当に大きかった。水面のキラキラがまぶしくて思わず息をのんだ。
けれど、底の見えない海はまるで大きな生き物のようで、怖くなった私は、海に入ることができなかった。ただ砂浜に座って、海を眺め、底にある竜宮城を想像していた。憧れだった海を恐怖で染めたくなかった。楽しい想像で怖さを塗り替えようとしていた。

カイコウラの海は青かった。

夫は部屋でゴロゴロしたいと言うので、子ども三人を連れて海辺へと向かった。

海は見ているだけで思考を穏やかにしてくれるから不思議だ。
そして波のリズムが、心の奥を静かに整えてくれる。

そのリズムに誘われるように、記憶の断片が浮かび上がった。
達成できなかった夢、実らなかった恋。海には、完結できなかった思い出を掘り起こし、浄化してくれる力があると思う。

砂浜でバレーボールをしている子ども達。
次男の投げたボールが娘の頭上を飛び越えていく。砂浜にタオルを敷いて座っていた見知らぬ女性がボールを拾い、娘に向かって投げてくれた。
彼女と目が合い、ありがとうと伝え、微笑みあった。
彼女のすぐ横には、身体の大きな男性が座っていた。

カップルだろうか。
2人の姿に、かつての自分の恋が重なった。

その時、波のリズムによって脳裏に浮かんだ彼は、アルバイト先で出会った2歳年上の男性だった。秀才で、アルバイト先でもお客さんから連絡先を聞かれるモテぶりだった。
酔って絡んできたお客さんから、私をいつも守ってくれたのも身体の大きな彼だった。記憶の中の彼は、まさに海のような存在だった。

彼との恋の始まりは、あの日だったと思う。
その日、バイト終わりに、彼が突然言った。

彼「今から海に行かない?」

時計は夜の10時を過ぎていた。明日は学校もある。
海までは1時間かかるし⋯と躊躇する私に、彼は笑って言った。

彼「夜の海って、いいよ。」

ためらいもなく言い切れるその一言が私の好奇心をくすぐった。
夜の海に何か特別なものがあるなら、見てみたいと思った。
いや、違う。「コーヒー奢るよ。」
その一言に負けたんだった。

そこまで思い出した時、目の前で次男が転んだ。その拍子になぜか次男の尻があらわになった。

割れ目に向かって「尻出てますよー」と叫ぶと、「んっも〜、ママ!!」とむくれる次男。
その姿に微笑みながら、また記憶の中に潜っていった。


記憶の中で車のライトが消える。
夜の海辺には暗闇しかなかった。
期待していた「なにか」なんてどこにも見当たらなかった。その前に、暗すぎて何も見えなかった。

私「暗すぎて海すら見えないんだけど」と文句を言ったんだと思う。

彼は言った。

彼「音がいいんだ。」

言われるままに目を閉じて耳を澄ました。波の音が聞こえた。
奢ってもらったコーヒーのせいだろうか、波の音は膀胱を刺激した。

私が目を閉じている間に、彼は車のトランクから何かを取り出した。
アコースティックギターだった。

彼「なんかリクエストある?」

私「オリジナルで」
もちろん冗談のつもりだった。

ところが彼は、待ってましたとばかりに歌いだしてしまった。

曲はやたらと長かった。
「何番まであるんだろう」と思いながら、私は必死に尿意と戦った。

だから、その歌が私への愛の歌だったなんて、その時はまったく気づかなかった。

そして、思い出せない。あの歌を聴いた私は、なんと言ったんだっけ?

今度は、娘の声が私を現実に引き戻した。
娘「ママ、すごい険しい顔してるけど。」

「そう?」と笑って返すと、「めっちゃ、きもいよ」と言い残して去っていった。

再び思考が過去へと戻る。
私は彼の歌にどう返事をしたんだろうか。もう一度記憶へと問いかけた。

その時、波が大きな石を砂浜に打ち上げた。

何だか甲羅みたいな石。

甲羅・・・そうだ、私はこう言ったんだ。

「そろそろ、いじめられてる亀を探したいんだけど。」

照れ隠しでも何でもなかった。
尿意との戦いに限界を感じ、ダチョウ並みの脳しかない私はただ歌をやめさせたかった。尿意から気を逸らすために歩きたかったのだ。
なぜ亀だったのか。単純だ。海を見た瞬間に浦島太郎を思い出し、そこから芋づる式に、亀が出てきただけのこと。しかも欲深い私は、探す対象を「いじめられている亀」に限定して笑いまで取ろうとした。
最低だ。
そして全然おもしろくない。

彼は気持ちを誤魔化されたと思ったんだろう。
後日アルバイト仲間から「彼のことフッたって本当?彼、今、別の子と付き合ってるって聞いたよ」と言われたのを覚えている。

静かな波の音が、耳の奥で鳴り響く。

娘が再び飲み物を取りに水際から走ってきた。険しい顔で海を見つめる私に、娘が言った。

「ねえ、ママ、顔。マジでキモいよ。」

顔だけじゃないんだよ。私は全部キモいんだよ。

カイコウラの海は静かだった。

波の音だけが、耳の奥でゆっくりと響いていた。
風が頬を撫でた。どこか懐かしい匂いだった。
できることなら、忘れていたかった。

玉手箱をあけてしまった私は、もう竜宮城には戻れない。



persiさんへ。
persiさんの記事を読んで、週末の出来事が浮かび、恋の汚もい出を書いてしまいました😭
本当にしょうもない話で、あんな素敵な歌に申し訳ない気持ちでいっぱいです。(しかも長い😭)
どうかお許しください。





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