見えないものの収穫祭
部屋に入る太陽の角度が変わった。
夕暮れも早まってきた。
ニュージーランドはもうすぐ冬だ。
昨日の夕食時、我が家の話題は太陽の軌道についてだった。
夫と長男、長女が「夏に比べてどれくらい日が短くなったか」を熱心に議論していた。
東西南北すら怪しい私は、会話に入っていけず、静かに彼らの会話に耳をすませていた。
太陽が昇るのは東だったか西だったか…。そんなレベルで思考を巡らせていると、いつもなら一番やかましい次男が、妙に静かだったことに気がついた。
テーブルに鼻がくっつくほどの距離で、一点をじっと凝視している。
何か落としたんだろう、そう軽く考え視線を外した。だがしばらくしても、微動だにしない。
「どうしたの? 大丈夫?」
心配して声をかけると、次男はゆっくりと顔を上げ大真面目な顔で言った。
「ばい菌、見ようと思って」
食卓に爆発的な笑いが巻き起こった。
「顕微鏡なしで!?」
「見えるわけないだろ!」
夫と上の子たちは馬鹿笑い。
私は一人静かに微笑むしかなかった。むしろ、彼らのその正常な反応に、心底驚いていたのである。
私にも覚えがある。
その昔、次男と同じように、世界に潜む「目に見えない何か」を肉眼で捉えようと必死に目を凝らしていた「前科」が。
太陽を直視し続ければその核が見えると信じていた。舞い踊るホコリに妖精の羽ばたきを感じていた。雪の降る夜にはベランダで凍えながら空を見上げ、空へ登っていく錯覚に陥った。「私はいつか月に帰るかぐや姫なんだ」と本気で迎えを待っていたこともある。虫歯も見えると信じ、友人たちの口の中を覗き込んでは嫌がられた日々。
あの頃の私と、今ここにいる次男は、確実に同じだ。
「で、どうだった? ばい菌は見えた?」
次男に真顔で聞いた。
次男は少し悔しそうに答えた。
「見えなかった。でも、テーブルの模様が迷路みたいになってるんだよ」
夫たちはまだ腹を抱えて笑っているが、次男はどこ吹く風だ。
最近、友人たちから「親との記憶」の話をよく聞く。
親の「そんなつもりじゃなかった一言」が、何年も残ってしまうというやつだ。
記憶は、出来事そのものではなく、「そのとき自分に見えていたもの」によって形を変えることがある。
私も母の何気ない一言に意味を与え、長く囚われてきた。
見えた気になったものを、あとから現実として記憶してしまったのだろう。ばい菌を見ようとして、迷路を見た次男のように。
だから、私が子どもに注いでいるものも、まっすぐには届かないかもしれない。そういうものだと、覚悟しておこう。
そしてふと思った。
どうせ人間は、あとから好き勝手に記憶を書き換える。だったら、最初からどうしようもない記憶を作ってしまえばいい。しかも解釈の余地すらないやつを。
次男に乗った。
「ママね、実は、ビニール袋でおなら捕まえて、見たことがある!」
嘘である。
しかし、凍りついた食卓の中に熱が発生した。さっきまで冷めていた長男が、身を乗り出してきたのだ。
「え、おならって見えるの?」
「たぶんね。あれは一瞬の煌めきなんだよ」
「捕まえてみる?」
私の提案に、目をギラリと光らせキッチンへビニール袋を取りに走った息子たち。それを見送る夫と長女の背筋が凍りそうなほど冷ややかな視線。
こんなバカバカしい時間だけは加工不能で、そのままの記憶として血肉に残るはずだ。
見えないものの収穫祭が始まった。
あとは、夕食のケールとキャベツが動き出すのを待つだけ。
手にビニール袋を持ってスタンバイする母と息子たち。私たちを凶器のような視線で見つめてくる夫と長女。
全てを腸にゆだね、見えないものを、必死で確かめようとしている時間。後から何の意味もつけられないような、意味不明なひたすらオカシナな時間。役に立つかどうかは分からない。それでも、こういうどうしようもない記憶だけは、どこかに残ってしまえばいいと思う。
意気込んでいる息子たちに注意した。
「タイミングが全てだからね!」
「あと、ズボンはちゃんとズリ下げて、拡散しちゃうと見えないから!」
きっとこの記憶だけは、誰にも歪められない。
嗅覚的に無理だ。
私たちは万全の体制を整えて、スタンバイに入った。
さあ、こい。おなら!
なんのはなしです家。
すのうさん❤
ギリギリ飛び込ませていただきました。よろしくお願いします。
