月もない、真っ暗な景色
ダイニングテーブルを拭いていたら、すーっと、黒い線が伸びてしまった。テーブルの淵に黒い絵の具が残っていたらしい。
この前の日曜日、4歳の娘が、絵の具遊びがしたいと言い出した。
絶対、あちこち汚れるだろうな…とは思ってた。
けど、寒風吹き荒ぶ中、公園に行くよりはマシかな?と。
そしたらもちろん、小学3年生の息子も「やる!」となった。
卵の空きパックに絵の具を、豆腐の空き容器に水を入れる。夏休みの宿題用に百均で買っていた絵筆を出す。
大きな紙に描きたいと言う。市の幼児画展でもらった参加賞のスケッチブックから画用紙を2枚取ってテープで繋ぎ合わせた。
これを喧嘩しないように、息子用と娘用の2セット、ダイニングテーブルに用意した。
「いっぱい、混ぜるの!」
と、娘は太筆を取り、画用紙の上に色を重ねて筆も洗わない。鮮やかだった絵の具は、どんどん茶色に近くなっていった。
それでも、娘の勢いは衰えない。ぐるりぐるりと丸を描き、ズンズン白い紙を塗りつぶしていく。
何の絵でもない。でも、面白いらしい。

一方、息子は、細筆に黒色を取り、0系新幹線を描くんだと意気込む。
「お母さん、0系ってね、ダンゴっ鼻でね、夢の超特急だったんだよ。」
しかし、筆で描くのは思ったより難しかったらしい。
「何か…。こんなのになっちゃった…。」
しゅんとしている。
黒で横に細長い、丸みを帯びた台形のような形。その中に丸い水色がいくつか並んでいる。潰れた紙袋やUFOのようにも見えた。

もう一度、描いてみる?
紙をもう一度用意した。
「どうやっても、こうなる。」
絵の具と筆の扱いに苦戦しているようだ。線の太さが変わってしまうこと、筆の先が割れて線が割れてしまうのが嫌なようだ。
「筆で描くのって、ペンで描くのとは違うよね。いろいろやってごらん。」
と、声をかける。
娘ももう1枚描くと言うので、娘にも紙を用意した。
出していた絵の具を使ってしまったようなので、もう一度、絵の具も用意する。
「ここには黄色ね!」
卵パックの指定された窪みに絵の具を絞る。
「僕も。黒が足りない。」
息子の絵の具も足そうとして、ふと手が止まる。
細筆を根元まで使って、ただ黒い色。擦り切れたタッチで描かれた二重丸。それを塗り潰すかのように、ザカザカと不規則に黒が塗り広げられている。
「何を描こうとしてるの?」
答えはない。
娘が、
「土と空!そういう景色」
と、自分の絵について教えてくれた。

「僕も景色。月もない、真っ暗な景色。」
思い通りに描けない辛さ。込み上がってくる息苦しさを、私も知らないわけじゃない。理想は確かに頭の中にあって、描けた時の事を思い浮かべてワクワクしていたのに、何ぜだか上手くいかなくて、あの目頭の奥が重く熱くなる感じ。

「それは、描きたいものなの?無理して描かなくて良いんだよ。ちょっと休憩してみる?」
できるだけ優しく声をかけると、息子は鼻を啜りながら頷いた。
画用紙を前に、椅子に三角座りをして牛乳を飲む。
不意に手が滑ったらしく、コップを落としてしまう。
「あっ…!」
飲みかけだったから、たくさん牛乳がこぼれたわけではない。しかし、弱り目に祟り目。
息子はこらえていた涙を流して、鼻の頭に皺を寄せる。
「僕は、なんてついていないんだ…」
「大丈夫だよ。」
そう言って、私は床や椅子のクッションを拭く。息子や画用紙は牛乳で濡れずに済んだ。
息子は画用紙の前から離れ、リビングへ。
娘も飽きたらしく、画用紙の前から離れる。
私は、2人の絵の具で汚れた衣類を脱がし、手や顔を拭いてやった。
月もない、真っ暗な景色。
君が黒い絵の具を足して欲しいと言った時、私はどうすれば良かったのだろう?
ただ黒い絵の具を足して、黙って見守れば良かったのかもしれない。
黒を塗り広げる内に、気が変わって何かを描けたかもしれない。
塗り広げられる黒色の中に、何かを見つけて「良いね!面白いね!」って言ってあげれば、途中から何かの絵になったかもしれない。
黒を塗り広げた後だとしても、上から月や星を描けたかもしれない。
水気を少なくした絵筆で、明るい色を点々と載せれば煌めく星空になる。水気を含ませた絵筆で、光を滲ませるのも美しいかもしれない。
いやいや。そもそも私は、別に何かを描いて欲しいというわけではなかった。
それに、こういう自由な創造に親が干渉して、子供の自由な表現活動を方向性から変えても良いものだろうか?
私は、ただ楽しんでほしかった。
やっぱり、あのまま何も言わずに見守れば良かっただろうか。
思うままに筆を走らせる、何とかセラピーっていうのがあったような気がする。
でも、ただ黒色を塗り広げるのって、癒されるのだろうか?描きたいものが描けなくて、苦しくて、半ばヤケで、黒を塗り続けるのって、やっぱりどよどよした気持ちのままなんじゃないだろうか。
私は、どうすれば良かったのだろう。
答えは、闇の中。
でも、これで良いのかもしれない。
暗い、長い、トンネルの先の出口のように、そんな考えがふと脳裏に灯った。
何も描けなくても、楽しくない結果に今日が終わっても。
これで、良いのかもしれない。
できれば、子供達には楽しい思いをいっぱいしてほしい。けど、どんな経験もきっと無駄ではないはず。
現に私も、あの時の苦しさを知っているから君の苦しさも分かってあげられた。
あの時、私がどんなに干渉したとしても、君がどんなに真っ黒に画用紙を塗りたくったとしても、否応無しに明日はやってくる。
君は、たくさんの人と出会い、失敗と成功と、そのどっちでもないことがあって、楽しいことも楽しくないこともあるんだろう。君も私も想像もできないような事柄で君は彩られていくだろうと思う。
あの日、君が失敗作だと言ったUFOみたいな新幹線は、よく見ると疾走感に溢れている。
どうすれば良かったのかと悩んでいる私は、結局のところ正解を知らないままだけど、そんな自分も許せる気がしてきた。
UFOみたいな0系新幹線も、君の気持ちも、形を変え、色を変え、様々な景色の中を走っていくのをワクワクしながら見守りたい。
思い通りにいかないことの連続が通常運転。
いちいち、ちょっとした事に動転してちゃいけない気もするし、そこからダイナミックに未来を想像してしまうなんて、やりすぎ?いったいなんのはなしですか?って感じが段々としてきたのだけども、私なんてそんなもんです。
何はともあれ、懲りずにまた、子供達と色々挑戦したい次第であります。
こういう時、こんな風にするよ〜ってのがあれば、ぜひ教えて欲しいです。ちょっと参考にさせてくださいな。
なお、この時、1歳の次女はリビングで夫に見てもらってました。
いつかは3人で描くのかしら。用意も片付けも、大変そう…😱
その頃には、この息子君が用意も片付けもやってくれることを期待しようかな…✨
