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多様性って言葉、そろそろ腐ってない?

多様性って、自分を認めてって意味じゃない。

みんな違って、みんないい。

でも、みんな違うなら、嫌いも、苦手も、認めなきゃ変じゃない?


…………なのに「多様性を認めろ!」って叫ぶ人たちは、

「自分の考え」を否定する人に牙をむく。

違う考えを許せないその姿こそ、いちばん多様性がない。


じゃあ、そもそも多様性って何?

SNSでは毎日のように流れてくる。

「多様性を大切に」
「違いを尊重しよう」
「誰もが自分らしく生きられる社会を」

——その言葉は美しい。

でも、いつからか私は、その美しさにうんざりするようになった。


だって、それを叫んでる人たちの多くは、

“自分と違う人”をちゃんと見ていない。


LGBTQを語るけど、保守的な人間をバカにして笑う。

フェミニズムを掲げながら、違う立場の女性を攻撃する。

「人権」を叫びながら、匿名で誰かを晒す。


それ、どこが多様性?

どこが“違いを認める”なの?
結局さ、「違いを認めろ」じゃなくて【自分だけを認めろ】ってことなんじゃないの?


多様性って、ほんとは、

「気に入らない人もいる」ってことを前提にした言葉だと思う。

自分と合わない人を「存在ごと否定しない」ってこと。

だけど、今の“多様性”って、

同じ思想の仲間内で「違う考えのやつを潰す」ための便利な合言葉になってる。


それが矛盾なんだよ。

まるで、「多様性クラブ」から外れた人間を処刑するみたいに。


だから私は、今日から叫ばない。

多様性なんて。クソくらえだ。


なぜかって?

金のために「違い」を商売にするやつも、

弱い者いじめして「正義」を語るやつも、

他人を傷つけて「自由」を名乗るやつも。

そういうやつを認めたくないから。


多様性を語っちゃうと、そういう連中も愛さないといけないじゃん?

だったら、私は差別主義でいく。

“好き”と“嫌い”をはっきり言える人間でいたい。

自分の感情に嘘をつかないで、誰かに媚びないで、

ちゃんと「ムカつく」って言える人でいたい。


多様性なんて、ばかみたいだし。

私は、そういう連中に噛みついて、

私のままで、私を生きていく。

多様性なんて言葉叫ばずに、【自分らしく】って言葉叫んで生きていくから。


──本当の多様性は、

きっと静かに息をしてる。

誰かを踏みつける音もしない。

誰かを見下す笑い声もない。

ただ、そこにある。

それを、私は守りたいだけ。

自分を認めてもらおう。だなんて思わない。

ただ自分らしくいたいだけなんだ。

だって自分を認めてほしいってことは、相手も認めるってことじゃん

私は自分が認めたい人を認めたいか

最後にいっこ。自分の多様性を認めろって叫んでいるあんたら。自分を認めないやつも、犯罪犯すやつも、あおり運転するやつも、
ぜんぶぜーんぶ。愛せよ?ラブ&ピースでいけよ?
その滑稽な姿を、私はこっから見てっから。
コッケー。コッケー。烏骨鶏


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佐伯由羅(伏見もなか) とても、とても嬉しく思います。