#1新シリーズ             50歳からはじめる、思考を言葉にする技術            第1章|リビングのバケモノと、私の20年目の降伏



私は、50歳を前にした医療職だ。

朝起きて仕事へ行き、
目の前の人と向き合い、
夜は家に帰って、ひと息つく。

どこにでもいる、
ごく普通の父親である。

そんな私の日常に、
ある日、小さな亀裂が入った。

「挑戦してみたい。」

リビングで、
彼はそう言った。

その「挑戦」が、
決して楽な道ではないことを、
私は知っていた。

だから、
すぐには頷けなかった。

むしろ、
喉の奥には
「やめておけ」
という言葉があった。


理由は単純だ。

私自身がかつて、
「勝負の世界」で
負けた人間だったからである。

若い頃、
私はある目標に向かって、
必死に努力した時期があった。

人より長く机に向かい、
人より多くの時間を費やし、
それでも届かなかった。

世の中には、
努力だけでは埋まらない差がある。

それを知った時、
私は初めて、
自分の限界を思い知った。

その悔しさは、
思っていた以上に深く、
長く、
自分の中に残っていた。


だから、
彼の挑戦を前にした時、
私は彼の未来ではなく、
自分の過去を見ていた。

「そんな世界は苦しいぞ」
「傷つくかもしれないぞ」

そう思った。

でも今なら分かる。

それは親心ではなかった。

自分の古傷を、
彼に重ねていただけだった。


ところが、
彼と並んで歩き始めて、
私は驚くことになる。

彼が向き合っていたのは、
単なる知識ではなかった。

どう考えるか。

どう整理するか。

どう本質を掴むか。

つまり、
「思考の型」だった。

そして彼は、
それを驚くほど自然に、
自分のものにしていった。

私がかつて、
遠回りして学んだことを。

迷いなく、
軽やかに。

その姿を見て、
私はようやく認めた。

「ああ、敵わないな。」

でも、
その瞬間の気持ちは、
悔しさではなかった。

どこか、
清々しかった。


私は、
ようやく昔の自分と
和解できた気がした。

あの頃の自分へ、
今なら言える。

「よく頑張った。」

届かなかったことと、
価値がなかったことは、
同じではない。

むしろ、
あの遠回りがあったからこそ、
今の自分がある。


彼は、
私の続きを生きる人ではない。

彼は、
彼の人生を生きている。

私はもう、
前を走る人ではなくていい。

隣を歩く人でいい。

支える人でいい。

そして、
彼から学ぶ人でいい。

50歳を前にして、
私はようやく、
「知識を持つこと」から
「知性を手放すこと」へ
向かい始めた。

これが、
私の新しい学びの始まりである。


初めての方へ

前シリーズ
「正しい人ほど辞めていく職場の正体」では、
職場で感じる違和感を「構造」という視点で見つめてきました。

今回は少し視点を変えて、
自分自身の人生を見つめ直してみようと思います。


次章予告

「教える」と「託す」は、同じようで違う。

その違いを、
私はあるグラウンドで学んだ。



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