"言語化"は急がなくて大丈夫
今回は、これまでリリースしてきた"文章の書き方"からは少し離れますが…「"言語化"は急がなくて大丈夫」ということについて語ってみたいと思います。
本当に、なんでも"言語化"しなくてはならないのか?
最近、とにかく「言語化せよ」というのをよく目にします。
「言語化できない=思考していないことと同じ」という厳しい言い方も。
そこで思うのです。
「言語化することって、そんなに大事なことなのか?」
「なんでも言語化しないとダメなのか?」
従来の日本人には、「察する力」が重視されてきました。
つまり、全て言葉にしなくても、"間"を想像で補う。受け手側の「察する力」つまりは「想像力」によって、人と人とのコミュニケーションが保たれてきたのだと思います。
一方の現代では、海外で活躍したり、日本で海外の方と働く人が増えてきて、その日本人的な感覚から少し離れてきている印象を受けます。
どういうことかというと…
例えば欧米では、特にビジネスの世界で、自分から自分の考えを強く発信していかないと、取り残されてしまうという風潮があるようです。その影響もあるのか、「つまり、どういうことを言いたいのだろう…?」とこちらで考える間を待たず「こちらがわかるようにちゃんと言語化して!じゃないと伝わらないよ!」となるわけです。
発信側の「言語化力」と受け手側の「解釈力」
発信側の「言語化力」が求められるのであれば、受け手側の「解釈力」も当然求められるべきではないでしょうか。受け手側の解釈力不足、想像力の欠落による心無い言葉が飛び交うのを見ると、心が痛みます。
「その一言、一呼吸おいてもう一度考えたときに、それでも必要な言葉なのか?」と。
コミュニケーションにスピード感が求められるようになってきたということもあるのでしょう。背景には、SNSの普及も関係していると思います。
コミュニケーションのスピード感は、時と場合によっては必要です。ですが、何に対してもスピード感を求めるのは違うのではないかと思っています。その塩梅は…経験によって培われる個々人のセンスになるかと思うのですが、そのセンスを磨いていく努力は必要です。
"待つ"勇気を持つということ
最近は、AIと上手く付き合いながら生活を送る人が多くなってきていると思います。「自分の体調管理」「旅行のプラン立て」「人間付き合いの相談」など…
確かにAIは、こちらから「◎◎について教えて」と送ると、簡単にそれに対する答えを用意してくれます。そのスピード感は、ストレスなく気持ちがよいようにも感じます。
ですが、対人間となると、そうはいきません。
「どうしてこんなことを言うのだろう?」
「返信が遅すぎないか?」
…こちらが思うようなタイミングで、こちらが欲しい答えを持ってきてくれることは、なかなかないと思っておいた方がよいでしょう。
こちら側がある程度想像力を膨らまして、
「きっとこういう背景があるに違いない」
「あちら側にも何か事情があるのだろう」
そう落ち着いて少し待ってみる。この"待つ"勇気を持つことが必要なのだと思います。
直ぐに言語化できなくてもよい
「言語化に時間がかかる…」という人も中にはいるかと思います。私もそのうちの一人で、特に対面場面での言語化がとても苦手です。ですので、ビジネスの場では、予め自分の伝えたいことを文章で整理し準備するようにしています。
「直ぐに言語化できる人はすごいな…」そう思います。ですが、きっと誰しもが自分なりの言語化の方法を持っているはずです。
ですので、焦らなくて大丈夫。私のように対面での言語化が苦手な場合は、文章にして自分の考えをまとめてみる。毎日でなくてもよいので、日記をつけてみるのもよいと思います。文章での言語化が苦手な場合は、人と話し、自分の考えを壁打ちしてもらう。他者との会話の中で見えてくる、自分の奥底に眠っている気持ちがあるかもしれません。きっと糸口はあるはずです。
そして、自分自身も「誰かの言語化に頼らない」ということ。
待つ勇気を持ち、想像力を膨らましながら相手と向き合うことで、受け手としての「解釈力」が身に付くはずです。
おわりに
いかがでしたでしょうか?
今回は、「"言語化"は急がなくて大丈夫」というテーマで、私が普段から感じていることをお話しさせていただきました。
テクニックについて解説したわけではないので、読んでくださっているみなさんの力になれる内容にはなっていないかもしれませんが、ぜひ今一度、"言語化"について一緒に考えていただくきっかけになれていればうれしいです!
