【名言考】No.182:心の指紋の見つけ方~開高健から学ぶオリジナリティの真髄
名言考とは
名言考は、偉人達の名言を一つずつ味わい、その人物、名言の背景、そのメッセージの核心を掘り下げていく大人の学びなおしコンテンツです。
著者の個人的な見解を交えて名言をジャンプさせた私の迷言もご覧ください。
本日の名言
自分の書きたいことではなく、自分が書かざるを得ないことを書け。
"Don’t write what you want to write; write what you cannot help but write."
この言葉は、昭和の日本文学界を代表する作家であり、稀代の食通、そして釣り師としても愛された「開高 健」さんのものです。
開高 健のプロフィール
開高健は、1930年に大阪で生まれ、1989年に58歳で亡くなるまで、小説、ルポルタージュ、エッセイなど幅広い分野で活躍した作家です。
彼の人生は、常に「現場」にありました。
芥川賞を受賞して華々しくデビューした後も、書斎に閉じこもることなく、ベトナム戦争の最前線へ向かったり、世界中の秘境へ巨大な魚を釣りに出かけたりしました。
その命がけの経験から紡ぎ出される重厚な言葉は、今も多くの読者の魂を揺さぶり続けています。
【開高健の生涯とキャリアの変遷】
サントリー宣伝部での活躍
若き日の開高健は、寿屋(現在のサントリー)の宣伝部に勤務していました。
そこで「人間」という雑誌を編集したり、トリスウイスキーのキャッチコピー「『人間』らしくやりたいナ」を生み出したりと、コピーライターとしても非凡な才能を発揮しました。
作家としての誕生と苦悩
1958年、『裸の王様』で芥川賞を受賞。
一躍スター作家となりますが、彼は現状に満足しませんでした。
本当の真実、本当の人間を描くために、彼は自ら戦地や極地へと身を投じていきます。
戦地で見つめた「生」と「死」
1964年、朝日新聞の特派員としてベトナム戦争へ赴きます。
そこでゲリラの襲撃に遭い、200人の部隊の中で生き残ったのはわずか17人という死線をさまよう体験をしました。
この凄まじい経験が、後の彼の作風をより深く、切実なものへと変えていきました。
【開高健の代名詞:『オーパ!』シリーズ】
開高健の魅力を語る上で外せないのが、世界各地での釣行を記録した『オーパ!』の一連のシリーズです。
「オーパ(Opa)!」とは、ブラジルのポルトガル語で、驚きや感嘆を表す言葉。
アマゾン川の巨大魚ピラルクを追い、アラスカでキングサーモンと格闘し、モンゴルの平原でイトウを待つ。
そこには、大自然の圧倒的な生命力に対する畏敬の念、そして「食べる・遊ぶ・生きる」ことへの貪欲なまでの情熱が刻まれています。
「何事も経験しなければ分からない」という彼の信念が、美しい写真とともに鮮烈に描かれたこのシリーズは、今なお多くの冒険心を持つ人々のバイブルとなっています。
この名言が導くもの
開高健は、戦地での恐怖、孤独、そして世界の美しさを、まさに「書かざるを得ない」という圧倒的なエネルギーで形にしました。
この言葉は、情報が溢れる現代の私たちに大切なことを教えてくれます。
「正解」よりも「実感」を大切にする
SNSなどで「いいね」をもらえる言葉を探すのではなく、自分自身が本当に感じている「違和感」や「感動」を言葉にすることの尊さを教えてくれます。
内なる衝動を信じる
「こんなことを書いても意味がない」とブレーキをかける前に、自分の心の奥底にある切実な想いに耳を澄ませてみること。
それが、自分だけのオリジナリティに繋がるのではないでしょうか。
書くことで自分を救う
言葉にせずにはいられない苦しさや喜びを吐き出すことは、自分自身を深く理解し、精神的に立ち上がるための祈りのような行為でもあります。
【書かざるを得ないこととは何なのか?】
「書かざるを得ないこと」について、私なりに考察してみました。
それを一言で表現するならば、「心の指紋」ではなかろうかと思いました。
唯一無二の「個」
指紋が誰一人として同じでないように、「書かざるを得ないこと」は、その人のこれまでの人生、傷ついた経験、愛したもの、あるいはどうしても許せなかったことの積み重ねから生まれます。
「書きたいこと(外側から持ってきた借り物の言葉)」は誰かと被ることがありますが、内側から溢れる「心の指紋」は固有性そのものなのです。消そうとしても消えない「業」
指紋が一生変わらず、消そうとしても皮膚の奥から再生するように、「書かざるを得ないこと」は本人が蓋をしようとしても、ふとした瞬間に漏れ出してくるものなのではないでしょうか。
それは知性でコントロールできる「意思」ではなく、本能に近い「業」と言い換えることができます。「そこにいた」痕跡
人は何かに触れるとき、無意識に指紋を残します。
同じように、人が社会と衝突し、あるいは歓喜したときに、その場所にこびりついて離れない「痕跡」こそが、書かざるを得ない内容になるのではないでしょうか。
開高健がベトナムやアマゾンに残してきたのも、まさにこの「心の指紋」だったのではないでしょうか。
【書かざるを得ないこと~「心の指紋」の見つけ方】
とは言え、「心の指紋」はどうすれば見つけられるのでしょうか?
私なりに仮説を考えてみました。
「怒り」と「違和感」
人は、幸せなときよりも「理不尽」や「怒り」を感じたときの方が、強いエネルギーを発します。
喉まで出かかっている言葉、誰にも理解されない自分だけの「痛み」や「悔しさ」。
これらをそのドロドロした感情をそのまま書き出してみる。
それが、書かざるを得ない心の指紋に繋がっているような気がします。「秘密」と「恥」
開高健は、人間のきれいな部分だけでなく、「醜さ」や「業」を直視した作家でした。
「墓場まで持っていこう」と思っていること、思い出すだけで顔が赤くなるような「恥ずかしい失敗」。
これらを自分だけのノートに、その「隠したい部分」をあえて晒してみる。
そこに心の指紋が残っているのかもしれません。「喪失」
何かを失った経験(人、場所、若さ、自信など)は、心に深い穴をあけます。
あの時、失ったものに本心では何と言いたかったのか?
今の自分が、喪失を経験したときの自分に「一通だけ手紙を書く」としたら、何を書くのか?
「喪失」を埋めようとするものの中に、心の指紋が隠れているかもしれません。「身体の感覚」
「書きたいこと」は頭(脳)で考えがちですが、「書かざるを得ないこと」は身体(心臓や胃のあたり)がよく知っているのかもしれません。
思い出すと心拍数が上がる「体感」、いつまでも忘れられない「味」。
理屈で説明できないけれど、身体が覚えている感覚を言葉に翻訳しようとするとき、そこから書かざるを得ないことが浮かび上がってくるのかもしれません。「もし明日、声が出なくなるとしたら?」
究極の状況を想像して、自分を追い込んでみます。
世間体も損得勘定も、それらすべて消えたとき、それでも誰かに伝えたいことは何なのか?
たった一人、一番大切な人にだけ、最期に残したいメッセージは何なのか?
外界をすべて遮断したときに残る「最後の一行」こそが、書かざるを得ない心の指紋なのかもしれません。
私の迷言
開高健の力強い名言から、昨日と違う視点を学んだような気がします。
心の指紋を見つめてみよう。
それを紐解き、言語にしてみよう。
それが私の書かざるを得ないこと。
格好良い言葉を探すのではなくて、ただその痕跡を辿り、その時感じた言葉を記録する。
散歩しながらやってみようかな。
本日も素敵な時間をお過ごしください。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
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こちらは、Wikipediaなどのインターネット情報と著者の個人的解釈を組み合わせたコンテンツです。
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