「変わり者」と呼ぶ前に、これを観てほしい。『ぼくとパパ、約束の週末』を観た私の話
サッカーの推しチームを決めるために、実際にスタジアムへ行って、自分の目で見て決める物語?
なにそれ、面白そう!!
映画に関する予備知識はほぼゼロ。
エンドロールで初めて実話だと知ったレベルです。
海外サッカーもほぼ知らない。
旦那がプレミアリーグを見るので、ブライトンの三苫薫と、リヴァプール(旦那の推しチーム)をなんとなく知っているくらい。
「わたしも主人公と一緒にブンデスリーガの推しチームできちゃったりして〜♪」
そんな軽い気持ちでした。
でも、観終わった後に残っていたのは、
サッカーの知識でも、推し候補でもなく、
自閉症への理解。
いや、理解しようとする視点でした。
途中で「あれ?思ってた物語とちょっと違う?」と、気づいているのに、なぜか目を逸らせませんでした。
「頭の中で戦争が起こっている」
自閉症の人自身も、自分の思考が両立しないことを分かっている。
でもどちらも妥協できない。
こんな場面があります。
主人公のジェイソンが、パスタとソースを別添えで頼んだ。
運ばれてきた料理は、確かにソースは別にしてある。
でも3本のペンネにソースが付着している。
たった3本。
ソースが付いていると言っても、私たちなら気にもならないくらいすこーしだけ。
でもジェイソンにとっては、大事件なんです。
大パニック。
ソースがついたペンネはパパが食べればいいじゃん。
→「食べ物はシェア禁止」という自分ルールに引っかかる。
・新しいものを作り直してもらおう。
→「食べ物を無駄にしない」という自分ルールに引っかかる。
どちらもダメ。
「解決してよ!」と叫ぶしかできないんです。
でも解決策がない。
自分の作ったルールに、自分が一番苦しめられてしまう。
全部好きでやっているわけではないのに、そうなってしまう。
本当にシンプルに言うなら「生きにくい」
でもそんな一言では、軽すぎるんですよね。
そしてもうひとつ、私が抱いた感想は、
「頭のいい人って、みんな変わり者なんだろうな」
でした。
この感想は、悪い意味で捉えないでほしい。
あなたのできる最大限の良い意味で捉えて欲しい。
一つの物事に熱中し、探究し、長ける。
それは簡単にできることではない。
でも「変わり者」は、それができてしまう。
もはや、それができるから変わり者に見えるのかもしれない。
この世の中がこれほど発展したのは、
一握りの「変わり者」と、それを取り巻く、
俗に言う「普通の人」なのではないか。
そもそも普通って何ですか、なんて議論は今まで散々されてきたと思うので、
ここでは、”多数派”という意味であえてそう呼びます。
ジェイソンの言葉を借りるなら、
みんなそれぞれ個性があり、違う人間なんです。
「なんでそんなことするの?」なんて行動、言動の人は、少し街を歩けば目につきます。
ましてやネットの海の中なら、探そうとしなくたって見つかりますよね。
自分と違う考えを理解しろなんて思わない。
理解する必要もないと思う。
でも、少しだけ想像することは、出来そうじゃないですか?

誰かの中で起きていることは、簡単には分からない。
他人なんだから、分からなくて当たり前。
分からないままでもいい。
でも、分からないということを忘れないでいたい。
