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「これから大変だね」と言われ続けて、私が気づいたこと

だいぶしばらくぶりになりましたが…
離れてる間に、体外受精をして、無事に妊娠16週目を迎えました!
この間に、体調を整えながらもいろんなことを考えていた日々でした。
そして今日は妊娠してから、気づいたあることについて書いてみました。

それは、「これから大変だね」という言葉を、本当によく聞くようになったということです。

「寝られなくなるよ。」
「自分の時間なんてなくなるよ。」
「子育ては本当に大変だから。」

もちろん、悪気があって言っている人はいません。実際に子育てを経験した人たちが、自分の経験をもとに話してくれているのだと思いますし、「心の準備をしておいた方がいいよ」という優しさから伝えてくれている人も多いのでしょう。

でも、私はその言葉を聞くたびに、なんとなく違和感を覚えていました。

「どうして、大変な話ばかりなんだろう。」

そんな疑問が、頭の片隅にずっと残っていたのです。

考えてみると、この感覚は妊娠してから始まったものではありませんでした。

結婚するときも同じだった気がします。

「結婚なんて地獄だよ。」
「独身の方が気楽だったよ。」
「旦那には毎日イライラするよ。」

そんな話は、本当によく耳にしました。

一方で、「結婚して人生が豊かになったよ」とか、「毎日が楽しいよ」とか、「一緒に年を重ねていけることが幸せだよ」という話は、あまり聞いた記憶がありません。

もちろん、幸せそうなご夫婦はたくさんいます。

私の周りにも、お互いを大切にしていて、「結婚してよかったな」と感じられるような関係を築いている人はいます。

だから、幸せな人が少ないわけではないはずです。

それなのに、人の口から出てくるのは、なぜか苦労話の方が圧倒的に多い。

私はずっと、そのことが不思議でした。

もし、これから何かに挑戦しようとしている人が、最初から「大変だよ」という話ばかり聞かされていたら、その挑戦をしてみたいと思えるでしょうか。

例えば、就職活動。

企業説明会で、「残業が多いです」「失敗すると怒られます」「人間関係も大変です」とだけ説明されたら、「よし、この会社に入りたい!」と思う人はきっと少ないでしょう。

実際には、仕事のやりがいや、成長できること、一緒に働く人の魅力なども伝えるからこそ、「ここで働いてみたい」と思えるのです。

もちろん、人生は仕事とは違います。

子育てには大変なことがたくさんあるでしょうし、結婚生活も楽しいことばかりではないはずです。

でも、それでも私は思ってしまいました。


この疑問がきっかけで、私は一日中、人の心理について考えていました。

そして、その答えを探しているうちに、私はいつの間にか、人のことではなく、自分自身の人生を振り返ることになったのです。

私は、なぜこの言葉がこんなに気になったのだろう

最初は、少し意地悪なことを考えていました。
「もしかして、自分と同じくらい苦労してほしいのかな。」
そんなことが頭をよぎったのです。

自分が苦労してきたからこそ、「あなたも大変だから覚悟しておいてね」と伝えたくなる気持ちがあるのかもしれない。

あるいは、「私はこんなに頑張ったんだよ」ということを、誰かに分かってほしいという気持ちがあるのかもしれない。

でも、その考えだけでは、なんだかしっくりきませんでした。

私の周りには、本当に優しい人がたくさんいます。
これまで出会ってきた人たちを思い浮かべても、誰かを不安にさせようとして話しているようには思えません。

では、どうしてなんだろう。
そんなことを考えているうちに、「人は、苦しかった出来事の方が強く記憶に残るのかもしれない」と思うようになりました。

例えば旅行に行ったとき。
美しい景色やおいしかった食事よりも、飛行機に乗り遅れそうになって慌てた出来事の方を、何年経っても鮮明に覚えていたりします。

学生時代もそうです。
毎日普通に過ごしていた日々よりも、テストで失敗したことや、人前で恥ずかしい思いをした出来事の方が、印象深く残っていたりします。

きっと、子育ても同じなのかもしれません。
何気なく笑い合った日常は、あまりにも自然で幸せだからこそ、特別な出来事として人に話す機会は少ない。

でも、夜通し眠れなかった日や、高熱を出して慌てた日のことは、強い記憶として残る。
だから誰かに話すときも、「本当に大変だったよ」という話になりやすいのかもしれない。

そしてもう一つ、私が思ったことがあります。
日本では、幸せをそのまま口にすることが、少し照れくさい文化があります。
「毎日幸せです。」
「結婚して本当によかった。」
「子育てが楽しくて仕方ありません。」
そんなふうに言うと、どこか自慢しているように聞こえてしまうことがあります。

だから、幸せをそのまま話すよりも、「いやいや、大変ですよ」と笑いながら話す方が、場の空気に馴染みやすい。
そんな文化も、少しあるような気がしています。

そう考えているうちに、昔のことも思い出しました。
私は昔から、飲み会などで夫婦の愚痴を言い合うような空気が少し苦手でした。
「うちの旦那は本当に何もしないんだよね。」
「うちの嫁もさ……。」
そんな話が始まると、周りも「分かる、分かる!」と盛り上がっていく。

もちろん、それが悪いことだとは思いません。
日頃のストレスを吐き出したり、共感し合ったりすることで、気持ちが軽くなることもあるでしょう。
でも私は、その輪の中にいても、どこか心から楽しめませんでした。
むしろ、「最近こんなことがあって嬉しかった」とか、「結婚してこんな幸せを感じた」とか、そんな話の方が聞いていて心が温かくなるし、私もそういう話をしたいと思うタイプでした。
実際に、その空気に馴染めず、自然と顔を出さなくなった集まりもあります。

当時は、「私が少し変わっているのかな」と思っていました。
でも今回、妊娠をきっかけに同じような違和感を覚えたことで、ようやく気づいたのです。
私は昔から、不幸を共有することよりも、幸せを共有することの方が好きだったのだと。

もちろん、苦労を話すことが悪いと言いたいわけではありません。
苦しいときに「大変だった」と言える場所は、とても大切です。
でも、それと同じくらい、「こんな幸せがあったよ」と安心して話せる場所もあっていい。
私は、そんなふうに思うのです。

そして、そのことを考えていたとき、ふとこんな疑問が浮かびました。
では、私は自分の人生をどんなふうに語っているのだろう。

もし誰かに、「これまでの人生はどうだった?」と聞かれたら、私は苦労ばかりを思い出すだろうか。
それとも、幸せだったことを思い出すだろうか。
その問いをきっかけに、私はこれまで歩んできた人生を、一つひとつ振り返ってみることにしました。

自分の人生を振り返ってみた

「私は、自分の人生をどんなふうに語るだろう。」
そんな問いが頭に浮かんだとき、不思議なくらい、これまでの人生の出来事が次々と思い出されました。

最初に浮かんできたのは、フルマラソンに挑戦したときのことです。
42.195km。
走っている途中は、本当に苦しくて、「なんで申し込んでしまったんだろう」と何度も後悔しました。
足は痛いし、息は切れるし、途中からは一歩進むことすらつらく感じる時間もありました。
完走した頃には、足の爪が剥がれるほどでした。
あのときだけを切り取れば、「二度とやりたくない」と思ってもおかしくない経験だったと思います。

でも、今思い出すのは、その苦しさではありません。
ゴールが見えた瞬間の景色。
沿道から聞こえてきた応援。
そして、完走したときの、言葉では表せないほどの達成感。
「あのとき頑張って本当によかった。」
そんな気持ちの方が、ずっと強く残っています。
だから今では、「また走ってみたい」とさえ思えるのです。


次に思い出したのは、スウェーデンで働いていた頃のことでした。
もちろん、楽しいことばかりではありませんでした。
人間関係で悩んだこともありますし、仕事が思うように進まず、落ち込んだ日もありました。
でも、それ以上に思い出すのは、美しい街並みや、澄んだ空気、夜遅くまで明るい夏の空です。
現地で出会った人たち。
文化の違いに驚いたこと。
日本では経験できなかった毎日。
日本とは違う土地に暮らしてみて、ガラッと変わった価値観。
今でも、「また行きたい」と思えるくらい、大好きな場所です。
もしあの頃に戻れるなら、私は迷わずもう一度スウェーデンへ行くと思います。


前職も同じでした。
公務員として働いていた頃は、本当に忙しい毎日でした。
思い通りにいかないこともありましたし、大変だと感じることも少なくありませんでした。
それでも、今振り返ると、一番最初に思い浮かぶのは、人です。
優しく声をかけてくれた先輩。
一生懸命頑張る子どもたち。
何気ない雑談で同僚と笑い合った時間。
あの頃の毎日があったからこそ、今の私があると思えるのです。


そして、不妊治療。
これは、私の人生の中でも、特に感情が大きく揺れ動いた時間でした。
思うような結果が出ず、涙を流した日もありました。

「どうして私だけ。」

そう思ってしまったこともあります。
それでも、その時間があったからこそ出会えた人たちがいました。
クリニックの先生やスタッフさんの温かさ。
家族の支え。
そして、自分自身と向き合う時間。

振り返ると、不妊治療は「辛かった経験」だけではありません。
人の優しさに触れ、自分自身の弱さも強さも知ることができた、大切な時間だったと思っています。


こうして思い返してみると、不思議なことに気づきました。
私が「人生の宝物」だと思っている経験は、どれも決して楽なものではありませんでした。
途中では、「もう嫌だ」と思ったこともあります。
逃げ出したくなったこともあります。

でも、今の私は、そのどれもを「やってよかった」と思っています。
もちろん、苦しかった記憶が消えたわけではありません。
あのとき苦しかったことも、つらかったことも、ちゃんと覚えています。

それなのに、その経験全体を振り返ると、「幸せだった」と思える。
私は、そのことがとても不思議でした。
そして、その「不思議」の答えが、少しずつ見えてきたのです。

出来事は、ただの出来事なのかもしれない

マラソンも、スウェーデンでの生活も、前職も、不妊治療も。
どれも、決して楽な経験ではありませんでした。

それなのに、私は今、そのどれもを「やってよかった」と思っています。
その理由を考えていたとき、ふと頭に浮かんだ言葉がありました。

「出来事は、ただの出来事なのかもしれない。」

私はこれまで、「良い出来事」と「悪い出来事」があると思っていました。

うまくいけば良いこと。
失敗すれば悪いこと。
つらければ悪い経験。
楽しかったら良い思い出。

そんなふうに、自然と分けて考えていたように思います。

でも、本当にそうなのでしょうか。
例えば、フルマラソン。
走っている最中の私に、「今、幸せ?」と聞かれたら、きっと「全然幸せじゃない!」と答えていたと思います。

でも、今の私は「あの経験があってよかった」と心から思っています。
出来事は何ひとつ変わっていません。
変わったのは、私の受け止め方だけです。

スウェーデンでの生活も同じでした。
あの頃は、目の前のことで精一杯になる日もありました。
でも今では、大好きな思い出として心に残っています。
前職も、不妊治療も、きっとそうです。
そのとき感じていた苦しさが消えたわけではありません。
でも、その出来事全体を振り返ると、「苦しかった」だけでは語れない時間になっていました。

そう考えたとき、私は一つのことに気づきました。
私は、出来事そのものに苦しめられていたのではなく、その出来事に「これは悪いことだ」という意味をつけていたのかもしれない、と。

もちろん、これは「何でも前向きに考えよう」という話ではありません。
本当に悲しい出来事もありますし、どうしても受け入れられない経験だってあります。

つらいものは、つらい。
苦しいものは、苦しい。

その気持ちに蓋をしたいわけではありません。
でも、時間が経って振り返ったとき、その出来事の中にあったものは、本当に苦しさだけだったのだろうか。

そう考えると、私の答えは「違う」でした。

誰かの優しさに気づいたこと。
自分の弱さを知ったこと。
今まで見えなかった景色を見られたこと。

「あの経験があったから、今の自分がいる。」

そう思える出来事が、私にはたくさんありました。
だから最近は、「良い出来事」「悪い出来事」というよりも、「人生の出来事」という言葉の方が、しっくりくるようになりました。

どんな出来事も、その瞬間だけでは意味は決まらない。

何年か経って、「あの経験があってよかった」と思える日が来るかもしれない。
逆に、あのときは幸せだと思っていたことが、後から違う意味を持つことだってあるでしょう。
人生って、そんなふうに、あとから意味が育っていくものなのかもしれません。

そして私は、もう一つ大切なことに気づきました。
私は、苦しい出来事を「幸せな思い出」に変えるのが上手だったのではありません。
その出来事の中にあった、小さな幸せを忘れずに覚えていただけだったのです。

そのことに気づいた瞬間、私は未来のことまで少し楽しみになりました。
これから始まる子育ても、きっと同じなのかもしれない。
そんなふうに思えたのです。

幸せを伝える人でありたい

そんなことを考えていたら、自然と未来のことを想像していました。

もうすぐ、私は母になります。

きっと、子育ては思い通りにならないことの連続でしょう。
夜中に何度も起きる日もあるかもしれません。
思うように眠れない日もあるでしょう。
子どもが大きくなれば、今度は違う悩みも出てくるはずです。
もちろん、大変なことはたくさんあると思います。

でも、私はその「大変だった」という記憶だけを残したくありません。

初めて笑ってくれた日。
小さな手を握ったこと。
何気なく目が合って、一緒に笑ったこと。

そんな一つひとつの幸せも、同じくらい大切に覚えていたいと思うのです。

そして、いつか子どもが大きくなったとき、私はどんな言葉をかける親になっていたいだろう、と考えました。

「人生は大変だから覚悟しなさい。」

そんなふうには言いたくありません。

もちろん、人生には苦しいこともあります。
思い通りにいかないこともあります。
努力しても報われない日だってあります。

だからといって、「人生は苦しいものなんだ」と伝えることが、その子のためになるとも思えません。
私が伝えたいのは、もっと違うことです。

「人生って、楽しいことがたくさんあるよ。」
「大変なこともあるけれど、それ以上に面白いことも、幸せなこともあるよ。」
そんなふうに伝えられる親になりたい。

そう思うようになりました。
もちろん、それは言葉だけでは伝わらないのでしょう。
親が毎日ため息をつきながら、「人生は楽しいよ」と言っても、きっと子どもには伝わりません。

だからこそ、私自身がそんな生き方をしたい。

今日一日考えていて、最後にたどり着いた答えがあります。
私は、苦労をなくしたいわけではありません。
人生から試練を消したいわけでもありません。
そうではなく、その過程まで楽しめる人になりたい。

どうしたら楽しめるかな。
どうしたら笑えるかな。
どうしたら、この時間を好きになれるかな。
そんなことを考えながら、自分なりに工夫して生きていきたい。
苦しい出来事があったとしても、その出来事の中にある小さな幸せを見つけられる人でありたい。

きっと、その積み重ねが、何年後かに人生を振り返ったとき、「いい人生だったな」と思えることにつながっていくのだと思います。

そしてもう一つ、私には叶えたいことがあります。

私は、幸せを伝える人でありたい。

「これから大変だね。」
そんな言葉だけではなく、
「これから楽しみだね。」
「きっと素敵な時間が待っているよ。」
そんな言葉も、自然に伝えられる人になりたい。

苦労を隠すのではありません。
苦労もちゃんと伝える。
でも、それと同じくらい、幸せも伝える。
その両方を語れる人でありたいのです。

もしかすると、私が昔から飲み会で夫婦の愚痴ばかり聞くのが苦手だったのも、同じ理由だったのかもしれません。
私は、不幸を共有することよりも、幸せを共有することの方が好きだった。

そしてこれからも、そういう人でありたい。
妊娠をきっかけに考え始めたことでしたが、最後にたどり着いたのは、子育てのことではありませんでした。
これはきっと、私がこれからどんなふうに人生を歩んでいきたいのかという、生き方そのものの話だったのだと思います。

おわりに

この記事を書きながら、何度も自分の人生を振り返りました。
マラソンも、スウェーデンでの生活も、前職も、不妊治療も。
そのときは「もう嫌だ」と思っていた出来事なのに、今振り返ると、「あの経験があってよかった」と思えるものばかりでした。

だからきっと、これから始まる子育ても同じなのだと思います。
今はまだ始まってもいないのに、「これから大変だよ」という言葉をたくさん聞いて、少し身構えていた自分がいました。

でも、今日こうして文章を書いてみて、その気持ちは少し変わりました。
大変なことがあることは、きっと事実です。
でも、それは人生のすべてではありません。
その中には、笑い合える時間もあるでしょう。
思わず涙が出るくらい幸せな瞬間もあるでしょう。

そして何年か後には、「あの頃は本当に大変だったね」と笑いながら話している自分がいるのかもしれません。

私は、これから先もきっと、いろいろな経験をすると思います。
うまくいくこともあれば、思い通りにならないこともあるでしょう。
それでも、その出来事を「良い」「悪い」と急いで決めるのではなく、その中にある小さな幸せも一緒に見つけられる人でいたい。
そんなふうに思っています。

そして、もしこの記事を読んでくださったあなたが、今まさに何かに挑戦しようとしていたり、不安の中にいたりするのなら、一つだけ伝えたいことがあります。

大変なことは、きっとあります。
でも、それと同じくらい、いや、それ以上に、あなたにしか出会えない景色や、人との出会い、幸せな瞬間が待っているかもしれません。
だから私は、「これから大変だね」という言葉だけではなく、
「これから、楽しみだね。」
そんな言葉も、一緒に届けられる人でありたいと思います。

この記事を書き終えた今、そんな未来が、少しだけ楽しみになりました。

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