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アリババ/愛の乞食         ホール公演観劇記録①-アリババ



テントとの違い

テントとは衣装も演出も演者さんも変わり、全編関西弁での上演という新たな試みも加わって、衣テントとはガラッと雰囲気が変わったなと言う印象を受けました。特にアリババの貧子さん、愛の乞食の万寿シャゲはテントとは全然雰囲気が違って面白かったです!ホール公演では、テントにはないスクリーンでの演出が印象的でした。
テントもホールもどちらも観劇すると面白さが増すなぁと感じたので、次回も両方観劇したいです!!

アリババ/愛の乞食の個人的解釈

ここからは物語の解釈に入ります。
唐十郎さんの作品へ深い理解があるわけでもなく、考察が得意なわけでもない、1オタクの解釈ですが…。
安田章大さんが唐十郎さんの舞台は"想像すること、わからないことを楽しんで欲しい"(意訳)とおっしゃっていたので、自分なりの解釈を書いていきたいと思います。
とは言っても私もところどころしか理解できていないので、単語や小さな部分に分けて書き記していきます。

アリババ

中絶や死産、流産などで産まれてこれなかった子供たちが主な題材。
それに加えて男女の対称的な様子が描かれる。

登場人物たちの解釈

児たちは生まれてこれなかった(死産や流産)子供達。
テント版では頭や顔などに包帯を巻いていたし、ホール版ではそれぞれ個性的な髪型をしていたり体の周りに片手だけがくっついていたりしていたので、不完全な子どもたちを表現しているのではないか。男児たちは攻撃的、女児たちは穏やか。
男児たちは貧子に、
"ねぇ、本当に僕たちのことを捨てて申し訳ないと思ってる?もっと泣いてよ"と言ったり、鎖のへその緒を巻きつけたり、攻撃的な言動が目立つ。
それだけ母親へ強い執着がある。

貧子

終始大人びており、現実離れした宿六の話を"ありえない"と言うように聞いている。現実思考。
初めは子拾いのおじさんが見えないが、おじさんの置いて行ったミルクを飲んで英子の腕を見て英子を思い出した時から突如見えるようになる。
英子のことを思い出してから、母親の顔になり、児たちにも優しく寄り添う。

宿六

ずっと黒い馬を追いかけることに必死で、英子や児たちにはあまり興味を示さない、どこか冷めた様子。自分の求めていた黒い馬が、作り物の赤い馬だったことに絶望する。

子拾いのおじさん

おそらくこの世のものではない、霊的な存在。
たくさんの児を連れてやってくる。

挿入歌

少女の歌

優しい花束
ホウセンカ咲く頃
初めて恋した少女の瞳

➡︎ホウセンカの花言葉は燃えるような恋
後の愛の乞食で出てくる万寿シャゲの様子を歌っている?アリババでも何度かこの歌が出てくるのが気になる。

ヨイコラサの舟唄

75人で船出をしたが
帰ってきたのは1人だけ
残りは悪魔が片付けた
それからラムが一瓶と
ヨイコラサ ヨイコラサ

➡︎アリババでのこの歌は受精の競争を表現しているのではないか?(たくさんの精子が卵子を目指していくが、受精できるのは1つだけ)
英子だけが赤い馬に乗っていたことから、帰ってきたのは英子だけ?

➡︎愛の乞食ではまさに帰ってきた1人がジョン・シルバーを示しているのでは。

疑問点・考察

◎なぜ、貧子は最初子拾いのおじさんが見えず、宿六は最初から子拾いのおじさんが見えていたのか?

アリババのラスト

赤い馬の中から出てきた錆びたナイフで宿六が自分の足を刺して狂気的に笑いながら舞台は幕を閉じます。これ、私は全く理解できずただ圧倒されてしまったのですが、他の方のノートを読んでいたら、最後に自分の足を刺したのは、ずっと現実と逃げ続けて幻想を見ていた宿六が、現実と向き合おうとしたからと書いていて少し納得しました。
※もしかしてこの錆びたナイフは海賊たちのものだった?もしくはナイフが海賊の象徴?

終わりに

今回はアリババの感想・考察でした。
次回は愛の乞食の感想・考察を書きたいと思います。


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