「普通でないこと」を恐れない
3児の母で会社員、ももです。
わたしたちは幼い頃から「普通」であることを良しとされがちですよね。
得意を伸ばすより、苦手を克服する教育。
違った意見を言うと煙たがられる。
個性を出すと向けられる奇異の目……。
やがて多くの人は「普通」におさまり、その状態が落ち着くと感じるようになります。
でも。
「普通でないこと」を怖がっていて良いのでしょうか。
わたしたちの「普通でない部分」はどうしたって漏れ出ていて、その「普通でない部分」にこそ、わたしたちの本質や人としての魅力が詰まってるとしたら……。
どんな人でも「普通でない部分」を持っている
もし「普通」を求めたとして、普通であることなんてできるのでしょうか。
わたしたちには多かれ少なかれ「普通でない部分」があるのが「普通」です。
これまでの人生の中で、周囲からそれを「良いもの」として扱ってもらえていたら「才能」となり、やっかいなものとして扱われてしまったら「短所」となって是正を求められてきました。
「普通でない部分」こそ魅力になる
何かにつけて平均化されてきましたが、みんな同じだとやっぱりおもしろくないですよね。
じゃあ何が自分を他者と区別させるかというと、「普通でない部分」というわけです。
それが個性です。
たとえそれが誰かに「良くない」と判断されたとしても、自分だけは否定してはいけないと思うのです。
「普通でない部分」を磨いてこそ、自分の輪郭がくっきりと際立ち、自分という存在が確立し、魅力として輝き出すのです。
普通でない自分を磨く
最近、思うんですよね。
みんなと同じことをして、「普通」に生きていく人生に意味があるのかなって。
それはそれで穏やかで、幸せかもしれません。
けれど、歳のせいでしょうか、残りの時間を意識するほど、思うんです。
自分の本音を無視して普通であろうとするのは、わたしが望んでいるものなのだろうか、と。
きっとこのままでは、わたしって、わたしの人生って何だったんだろう、とむなしくなってしまう。
自分の直感や感性に従い、生きていきたい、と。
だから、楽しいと思うことをとことんやってみる。
おもしろいと思うものを極めてみる。
そんなふうに、「普通でない部分」を見つけて、磨いて、輝かせていきたいと思うのです。
そんな生き方も楽しそうじゃありませんか?
おわりに
自分の普通でない部分にフォーカスして、自分らしさを磨いていく。
それが自分らしさとなり、きっとその方が人生が楽しい、というお話でした。
まあ、これも歳のせいですが、これから足りないものを補って「普通」の域に達するには時間が足りない、それならすでに持っているものを伸ばしていく方がいいんじゃないか、という、ややネガティブな思いもあったりします。
たった一度きりの人生をどう生きるか、ぜひ一緒に考えてみませんか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
