他人にどう思われているかなんてどうでもいい理由
3児の母で会社員、ももです。
年をとってきたせいでしょうか、他人にどう思われているか、というのが、若い頃に比べて気にならなくなってきました。
その理由を掘り下げてみます。
といっても、なにはともあれ結論はただひとつ。
他人にどう思われているかなんてどうでもよし。
「ももさんて運動してないでしょ」
つい先ほど、仕事のチームメンバーに言われました。
めちゃくちゃ失礼じゃありません?
どういう意味!?
そんなにどんくさそう?
体型がだらしない?
なんにせよ失礼!
とまあ、イラッとはしたわけです。
(どうでもいいって言ってるくせに。笑)
なぜイラッとしたかというと、わたしは自分の体のことに気を使っていて、継続してウォーキングや筋トレはしているのに、(その人は知らないとはいえ)事実と違うレッテルを貼られたからです。
いやいや、わかったように語ってくれるなよ、と。
がんばってるのをわかってほしい、というのとはまた違うんですよね。
他人はひとつの側面しか見ていない、見えない
明らかに失礼な物言いではありますが、相手を責めるつもりはありません。
人は他者を、ある側面で見て判断するしかないですからね。
わたしがどんなにがんばっていても、時にくじけそうになりながらも気持ちを奮い立たせていても、見えていない(見せていない)のだから、見える一面だけに注目してしまうというものです。
自分が自分のがんばりを知っていればいい
自分のことを何もかも知り尽くしているのは、自分だけです。
それだけでじゅうぶんじゃないですか?
冬の寒い朝に早起きをするときの気合い、なかなか腹筋がつかないもどかしさ、毎日体重を測って行動にフィードバックする試行錯誤……。
あらゆる努力や思いを、1ミリの誤差なく理解しているのは自分です。
他人に中途半端にわかった気になってほしくないし、それにとやかく言われる筋合いもありません。
自分のがんばりは、自分が知っているだけでじゅうぶんなんです。
自分が他者を見るときもまた然り
このことは、自分が他人を見るときにも注意しておきたいことですね。
わたしが見ているのは、あの人のほんのひとつの側面でしかありません。
いくつかの行動を見て、あの人はこういう人なんだと決めつけてはいけないですよね。
持っていいのは、そういう側面があるんだな、という認識だけです。
人は誰しも何かを抱えていきている
わたしたちには、自分が他人より不幸に思えたり、いつも笑顔のあの人には悩みがないと思ってしまったり、自分が持っているものを持っていない人を下に見てしまったり……と、勝手な解釈で判断してしまう部分もあります。
けれど現実は、誰しも何かしらを抱えて生きていて、それはどんなに説明されたとしても、自分には理解しきれないのです。
他人を正しく見るために、心に留めておきたいことですね。
おわりに
他人にどう思われてもどうでもいい。
その理由は、自分が自分のことをちゃんとわかってあげているから。
つまり、もっともっと、ほめてあげたらいいんです。
たくさんのものを抱えながらも成し得た本当のがんばりは、自分だけが知っています。
そんな自分をまるごと承認し、ほめたたえてあげましょう。
ひとつの側面で判断する他人より、ずっと強力で確かな評価ができる自分を信じましょう。
大丈夫、わたしたちはちゃんとがんばっていますよ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
